第15話 第3章:姉と妹の記憶ー004ー

 いい匂いを立てたフライパンを持った陽乃ひのが入って来なければである。

 マテオは殺気立つまま、夕夜ゆうやへ向かって行っただろう。

 能力差は歴然と言えどもだ。狭い屋内で共に生活する姉妹がいる。手心が躊躇いを生めば、勝機は見えてくる。

 夕夜がウォーカー家から受けたという依頼を何がなんでも聞き出さずにはいられない。

 こうした仕事上、機密保持を謳ってくるだろうから脅してでも口を割らせるしかない。


 ちょうどよく陽乃が入って来たから、マテオは瞬速の能力を発現しなかった。


 お待たせ、と陽乃がフライパンから直接に夕夜の皿へ乗せられた。

 黄色いふわふわは、オムレツと知れる。

 ケチャップはかけるのかな、と考えた時点でマテオはタイミングを逸していた。


 いただきます、と言う夕夜の面持ちは荘厳そのものだ。ただし格好は闇を纏うような黒づくめでいながら、赤ちゃんの前掛けをしている。熱いせいか、ほふほふしながら食べる姿は食事する幸せを体現していた。


 阿呆らしくなってしまったマテオだ。

 こいつはーと思わせる夕夜の傍らで陽乃が立っていた。食事している当人より、ずっと美味しそうな表情で見つめている。

 ずきん、となぜかマテオの胸は痛んだ。


「マテオー、いい加減どこでもいいから座りなよー」


 ちょうどよく流花るかが訊いてきたから、そのまま立ち尽くす真似をせずに済んだ。


 訳の解らない感情に囚われず済んだ要因に、末妹の視線に気がついたこともある。

 テーブルの向こうに座る悠羽うれうが、ちらり視線を向けてきたのをマテオは見逃さない。

 嫌な目つきだった。

 まだ無邪気で輝いていいはずの瞳が明らかに嘲る光りを放っている。人の感情を逆撫でする小馬鹿な感じだ。幼子とは思えない他人を見透かしたような目だった。

 腹ただしい態度は、むしろマテオの気を落ち着かせた。熱くなりそうな感情を冷やすにはとても効果があった。


「んじゃ、遠慮なく」

 座るマテオは気さくさを装う余裕まで持てていた。

 冴闇夕夜の正面へ位置する席に、敢えて着いた。


 流花と言えば、マテオから斜め左向かいに腰を降ろした。夕夜の隣りである。


 冴闇さえやみさん、とマテオは呼んだ。

 正面の相手はフォークとナイフを忙しく動かし、咀嚼に勤しんでいた。

 無視かよ、とマテオが思う横で、流花が笑いながらである。


「冴闇のお兄さん、いつもこう。お姉ちゃんのオムレツを食べる時は何にも聞こえなくなるくらい集中するんだ」


 キッチンへ下がっている陽乃を視線で追いながら事情を説明する次女だ。

 確かに夕夜の食事姿には説得力を感じていた。質問はオムレツを食べ終わるまで待つしかないようだ。


 ナイフとフォークの使い方が下手なせいか、夕夜の食事はかちかち喧しい。

 一体このような相手にウォーカーから何を依頼したのか。本来ならマテオは正体を知られず近づくはずだった連中である。諜報とはそういうものだ。夕飯の誘いときて幸先いいはずが、秘密にされていたのはこちらの方とくる。掴みどころがない今回の案件である、


 まぁ慌てずいくか、とマテオが自らへ言い聞かしていたところへである。


「お客さまを後にしてしまって、ごめんなさい」


 陽乃がマテオの目前に料理を盛った皿を置いた。

 肉と多彩な野菜にとろみがかかっている。名前は解らないが、匂いは凄くいい。

 ここで陽乃が慌てたように訊いてくる。


「もしかしてライスよりパンの方が良かった?」

「いえ、大丈夫です。僕はいろんな食事に慣れてますから」


 だから味なんて二の次です、とつい続けそうになった言葉は急いで呑み込んだ。

 食べられればいい、気を使うとしたら強い肉体を作れるかどうかだけだ。

 毒物に耐性がつくメニューを選んできた。

 食事もまた訓練の一環としてきたマテオだ。


 だから食事途中に涙が止まらなくなる自分が信じられなかった。

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