第12話 第3章:姉と妹の記憶ー001ー
すみません、マテオは胸のうちで謝っていた。
昨日の今日で、まさか同じようなミスを犯してしまった。
生命の危機なんて状況に、連日に渡って陥ってどうする! 諜報といっても、どこかに潜入しているわけではない。情報がない中、敢えて危険へ突入したわけでもない。
自分の甘さが起因だ。
降り注ぐコンクリの塊や破片に埋もれながらマテオの脳裏に浮かぶ。
ここで終わる自分に対する残された人々の顔だ。姉のアイラと始め、養子に迎えたいとするウォーカー家の面々が過ぎっていく。昨日に引き続いてまた今生の別れを告げているというのが、何とも我ながら情けない。
最後の意識が近づいてくる。
彼女は泣いていた。
隅々まで青さが埋め尽くす空を睥睨できるビルの屋上で、両手を覆って嗚咽を洩らしている。
どれくらい見守っていただろう。
やがて彼女は涙を振り払うように顔を上げた。「いけない、いけない」と笑みを作っては取り出したハンカチで拭う。洗濯日和な陽気に応える作業へ入っていく。衣類を広げては、鼻唄を口ずさみだす。
メロディーだけの唄が、マテオを最上席で耳を傾ける観衆とさせた。
塔屋の影に身を隠す立場も忘れて、うっとりとしてしまう。
任務中にあり得ない行動の報いは、すぐ後ろで起こった。
「歌声も素敵なんだよね、彼女は」
誰と知れない声を耳にした途端に、マテオは能力を発現した。
いくら惚けていてもである。裏の世界で生きてきた自分に気配を感じさせず背後を取るなんて、只者であるはずがない。加えて勘が強く働きかけてくる。
こいつはヤバい、と。
躊躇なく全力で発現した。瞬速の能力で逃亡を図る。これで逃げきれなかったことはない。
なかったはずだった。
能力の発現と共に、マテオは身体中を包む圧を感じた。
斬りつけるような強く勢いある風だった。
ぐっと抑え込まれて飛ばされる形で隣りのビルの壁へ激突する。
初めて失敗した結果が重い衝撃となって気持ちと身体へ見舞う。
真っ逆さまに地面へ叩きつけられたマテオへ破壊された上階の残骸物が覆い被さってくる。身軽でなければ、能力は発現できない。多少ならば何とかなるが、重い障害物は跳ね除けられない。
マテオは頭上から降るコンクリ片に全身を埋め尽くされていくなかで見た。
ひらり、路上へ降り立つ青年を。
翻るコートからシャツにズボンまで黒一色で統一されている。死を招き寄せる凶鳥が如き出立ちだ。なまじっか綺麗な顔立ちゆえに、無慈悲さが醸し出されている。
まだ何の宣告もされていないにも関わらずマテオは心で謝罪していた。
声ではなく想いをもって姉と母へ伝え、それから父と兄の顔が浮かんでくる。昨日命からがらの目に遭っておきながら、このざまだ。目前にいる相手はPAOの刺客とは比べ物にならないほど強大さだった。
結局自分は
ここは世界に類を見ない化け物がゴロゴロいる。
黒き青年が腕を振り上げる。
マテオには相手がどんな能力か識別できた。
風の能力。それはマテオの父と兄になるはずだった人が披露する場面を何度も目にしていた。
自然の力とする『ホシの根元素』を操る能力は、無限のエネルギーを元に繰り出すとされている。特殊な才能のようなマテオを始めとする一般の能力者とは根本からして違う。『能力』と一括りにするには、あまりに桁外れな違いがあった。
それだけの力を有する者は世界に数えるほどしかいない。
大陸ごとに片手で数えられるだけだ。
北米においてはケヴィンとサミュエルの二人だけしか確認できていないとされている。
マテオには最強とされる父子が揃う一家の一員へ自分なんか望まれる意味が解らない。ただただ凄まじさの差を思い知らされただけだ。
だから目前の黒き青年がとんでもない相手だと考えるまでもない。
能力もケヴィンとサミュエル親子と同じ『風』ときている。
強力な威力は全方位に渡って放てる能力だと知っている。
数百メートルといった範囲でしか移動が出来ない自分の能力では逃げきれない。
マテオは自分がここで終わることを声にせず家族へ詫び、見たばかりの女性が頭から離れない現象に不思議さを感じていた。
黒き青年が腕を振り落とそうとしている。
ついに最後か、と思ったまさにその時だった。
「あれ、マテオ〜? なにしてんの、こんな所で」
聞き覚えがある声のあまりな能天気さに、マテオの神妙な気持ちが吹っ飛んでいく。
「見て、わっかんねーのかよ。今にも死にそうなんだよ」
生命の崖っぷちにいる立場を揶揄されているみたいで、つい怒鳴ってしまった。
声をかけてきた相手はマテオの剣幕に押されるどころか、ぷぷっと噴き出す。そうだよねー、と言いながら腹を抱えだす。
笑われてマテオが面白いはずがない。瓦礫に埋もれ、顔だけ出た状態だからこそ口を回した。
「そんなに可笑しいのかよ。ああ、そうか、そうだったのか。
「マテオ、なに言ってんの。流花、ぜーんぜんわかんないんだけど」
この世の最高の美少女と評されても異論など出ない流花が笑いを引っ込めた真面目な返答だ。性別問わず大抵の人間なら容姿の美しさに懸命になって彼女の意向へ従おうとするだろう。
マテオは元来の性質もさることながら生命の危機に陥っていたから構っていられない。
「なんで解らないんだよ。僕が死にそうになってるの、見てるくせに。このボケ!」
八つ当たりなのだが、流花はまともに受け止めてしまった。
「ちょっとー、無茶だよ、それ。流花、また
ぷぷっとまた噴き出す流花は思い出し笑いをしながら続ける。
「どうしてマテオって、変な現れ方しかしないの。もっと普通でいいのに」
ううっ、と瓦礫に埋もれるマテオは唸るのみだ。連日に渡って火急へ陥ったところで出会している。流花の言う通り、一方的に自分のピンチへ付き合わせているだけだ。
「わ、悪かったよ。いつも流花を驚かせて。で、でもな、まさかこんなヤバいヤツの仲間だなんて……」
しゃべっている途中で、あれ? と思いついた。
マテオの今日の行動は、といえばである。
密かな大問題となっている東の能力者一族の嫡流にある三姉妹が出奔して、
鬼になる能力と聞いていたから、どんな恐ろし気な感じだろうと思っていたらだ。
未だに唄声と涙を拭ってからの笑顔が自分の中から離れない女性ときた。
その女性を守るような途轍もない能力者がいる。
黒き青年の存在は、なぜ三姉妹が連れ戻されないか。腑に落ちる理由の一つだった。
マテオは意を決した。コンクリ塊で埋もれ、なんとか顔だけ出せている状態だ。開き直ってぶつかっていくしかない。
「おい、おまえさー」
「マテオー。まだ呼び捨てくらいはいいけど、おまえ呼ばわりはやめてくれない」
「じゃ、流花。最後に教えてくれ」
「なに、最後って。本当にマテオって変だよね」
おまえに言われたくねー、と返しそうになった言葉を飲み込んでマテオは訊く。
「流花の苗字って『
マテオにすれば黙り込まれたことで答えを得られたようなものだった。
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