第2話 第1章:旅立ちの記憶ー002ー

 白銀の髪を揺らして倉庫から出てきた。

 少年の面影を強く残すマテオが陽射しに目を細める。顎までかかる白銀の毛髪を指で玩びつつ欠伸をした。


「あれ、姉さん。早かったですね」


 気配を感じたマテオは先んじて口を開く。

 忽然と現れた肩までかかる白銀の髪をした美少女だ。アイラである。


「早かったじゃないでしょ、どうしていつもそう勝手に始めてしまうの。決行の時間はまだだいぶ先じゃない」

「姉さん、髪を伸ばしているんですか」


 姉の抗議にも、どこ吹く風のマテオだ。しかも答えになっていない返事に、アイラは苛立ちをぶつけずにいられない。


「ここのところ、ずっとマテオ独りで終わらせてしまうんだもの。どうして私を待てないの、お姉ちゃんと一緒はいやなの?」

「やっぱり切らないとダメかな。僕と姉さんって双子だから、髪型くらいははっきりさせないと」


 顔立ちは非常に似ている姉弟である。けれども近くにすれば、雰囲気だけで男女差は判別できる。


 わざわざ切らなくても、とアイラは言いかけて噤んだ。自分のペースへ引き込むのが上手になって困る弟である。


「マテオったら、もうちゃんと答えて。どうして、いつも独りで事をすませちゃうの」 

「別に姉さんの力を借りるまでの相手でなかったからですよ。今日も別段何事もなく済みましたし」

「そうかもしれないけど、二人でやったほうがより確実でしょ。危険がないなんて言うけれど、絶対はないのよ、より確実にやるためには……」


 まだ続きがありそうなアイラだ。マテオにすれば口うるさい姉が嬉しい。もちろん態度へ出すつもりは毛頭もない。


「やっぱり髪を切ります。僕は男ですからね。姉の女らしさを引き立たせるために、じゃないな。サミュエル様に姉さんが女性であることをしっかり認識してもらわなければいけないためでした」

「な、な、な、なにを言っているのよ。サミュエル様は関係ないでしょ。変なこと、言わないでよ」


 マテオはこめかみを掻いた。

 いつも冷然を崩さない姉が、叫んでいる時点で認めているようなものだ。瓦礫の中から、サミュエルにお姫様抱っこされて出てきたアイラの姿から気づけないわけがない。終始離れずきた弟にとって、なかなかな衝撃な場面であったのだ。


 選りによって相手は、ウォーカー本家の一人息子である。神とされるほど強大な能力を代々引き継ぐ一家の長男とくる。国というより、大陸で知らぬ者はいないし、世界で有名だ。

 つまり人生上、平坦な道はあり得ない立場にある者だった。

 ずいぶん面倒な相手に好意を抱いたものだ。けれども姉のためならばである。どんなことにでも力を尽くすは、幼き日に立てた誓いだった。


 あれから十年が経とうとしている。


 マテオはもう姉より前へ出ていける。守る道を選んだ。だから、どんな修羅でも先へ出ていく。


 誤解なんだから……、といった趣旨でアイラがぶつぶつ言っている。

 マテオは見え見えな姉の態度に内心で笑いながらも表へおくびにも出さない。


「行きましょう、姉さん。髪を切りたいし、いつまでも居ては面倒になります」


 弟の前半はともかく後半の理由はもっともであれば、アイラはうなずいた。

 行きましょうか、とマテオは何事もなかったかのように促した。


 たった今出てきた背後の倉庫内は、多数の屍体でなければ不可能な赤で塗りたくられていた。


◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    


 マテオとしては嬉しいが気も引けた。

 報告に上がるよう会長自身のお達しだ。凄惨な現場から直行は、本来なら遠慮したい。決して返り血を全て避けきれたわけではない。せめてシャワーを浴びてからと思うが、今すぐとくる。

 社会的地位や財力だけでなく、恩人であればその声を第一にしなければならない。


 二つの影が世界異能力協会が所有するビルの秘密とされる出入り口を瞬時に潜り抜けていく。アイラとマテオの姉弟は所有する能力を最大限に発揮させていた。

 あっという間に姉弟が会長室のドア前へ辿り着いた。


「おぅー、帰ってきたか」


 気さくな声の主は、真っ白なシャツが引き締まった健康そのものの身体によく似合っている。血を浴びても目立たないよう黒で固めたマテオたちと真逆な装いの男性だった。


「今日もこんな僕たちのお出迎えなんかして、ごくろうだね。オリバー」


 やや皮肉を込めて、マテオは返す。

 会長室の前で偶然に会うなど有りはしない。待ち構えていたに違いない。ウォーカーの姓にあるオリバーが一族以外の者を信用するわけがなかった。

 しかも先行が過ぎると問題視されているマテオだ。

 用心すべき人物としてマークされていてもおかしくなかった。


「何を言うんだ。PAOの支部を壊滅させてきたアイラとマテオの二人には心から敬意を表そう」


 大仰な言い方をするオリバーが油断のならない笑みを浮かべている。睥睨する目つきは挑発的と取れた。

 やる気か、と身構えたのはマテオだけではない。アイラもだった。

 オリバーが貼り付ける笑みで、わざとらしく両手を上げて降参のポーズをしてくる。


「会長室の前で変な気を起こさないでくれるか。それに俺だって双子同時に相手なんて危険すぎるのは判っている」


 おーい、いるんだろ、とドアの向こうから声が聞こえる。


「会長がお呼びだ。これで俺は失敬させてもらうぜ」

「つまらない気遣いはいらないよ」


 マテオが投げつける喚起に、オリバーは背を見せたまま首だけ振り向けた。


「それはこっちのセリフだ。特にマテオ、貴様がな」


 はっはっはっ、と大きな笑い声を立てて廊下の奥へ消えていく。


「何しに来たんだ、あいつ」


 威嚇しに来たと思うものの、マテオの口から出たのは疑念だ。敵対している相手だからこそ決めつけは危険だ。


 行きましょ、とするアイラに促されてドアを叩く。


 彼方まで広がる風景を従えたオフィスのデスクに腰掛けていた。

 煌びやかな金髪をきっちりビジネス用に整えた男性は四十歳近くの大人だ。事業は世界中に及び、『能力者』が抱える問題に対応する活動も行う組織のトップに立つ。そんな実力も地位もある人物が、机に座るお行儀の悪さだった。


「二人がいるのは知っているんだ、改めてノックなんかしなくていいよ」


 いくら砕けた態度を見せられても調子合わせにはいけない。マテオとアイラは片膝を付いた。


「そうは参りません、ケヴィン様」


 この世で唯一跪く相手であれば、マテオは重々しく応じた。本来なら雲の上の人であり、現在こうしていられるのもケヴィンのおかげだ。ただ内心にて、最近やけに馴れ馴れしいな、とは思っている。


「マテオだけでなくアイラももっと親しげに来てくれていいんだぞ。昔は私が行くと嬉しそうに抱きついてきたじゃないかー」


 一体いつの話しをしているんだ、とツッコミたいマテオだが相手が相手だけにするわけにはいかない。それより妙にテンションが高いのが気掛かりだ。正確に言えば、碌でもないことが起こりそうな予感しかない。

 たいていこうした未来予想図は当たるからやり切れない。

 急にケヴィンが机から飛び降りては、慌ててマテオへ駆け寄ってくる。


「マテオ、もしかして怪我しているんじゃないのかい」


 身を案じてくれる姿は嬉しい。マテオとしても素直に感謝したい。

 けれど組織の長であると同時に、実戦の猛者であるケヴィンだ。部屋に入ってきた時点でマテオが数カ所の擦り傷程度で済んでいることを見抜けていないはずがない。

 何を今さらである。   

 心配する態度は何かの伏線か? マテオの用心は、ケヴィンの手が肩に置かれたまま回収へ向かっていく。


「マテオとアイラに何かあったら我が妻とバカ息子に申し訳が立たなくなるじゃないか」


 ケヴィンの物言いが、ドア前で会ったオリバーの言と重なって警戒心しか呼び起こさない。大仰な口ぶりはウォーカー一族に共通する企みのお告げにしか聞こえなかった。


「ケヴィンさま。ご心配など、どうかなさらぬようお願いします。僕は組織の裏側に属する者であり、いつこの身が消えようとも気になさる必要はない存在です」

「マテオやアイラが、そう考えるから困っているんだ」


 マテオの肩に置くケヴィンの手に力がこもった。

 

「だからだ、マテオとアイラには環境を変えてもらおうと考えた」

「どんなふうにしようと考えているんですか」


 答えるマテオは嵩を括っていた。

 裏家業から表へ引き上げるくらいではないか。でもどうせやることは変わらない。

 ふふっとケヴィンが意味深な笑いに、マテオが気を引き締めるより早くだ。


「アイラ、それにマテオ。どうか二人とも、我が家の子供になってくれないか」


 マテオは姉のアイラと同様にである。何を言われているのか、よく解らなかった。

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