第3話 第1章:旅立ちの記憶ー003ー
ぎりぎりだった。
アイラはもう少しで手遅れとなっていたそうだ。ただ深い傷痕は残る。
ベッドに横たわる姉を見降ろす幼きマテオの頬に涙跡が残っていた。だがすでに目だけでなく表情も乾き切っている。
姉の命が助かり深い安堵を覚えたマテオに次の感情が湧き上がってきた。
それは怒りだ。自分自身に対するどうしようもないほどの憤りだった。
死闘を演じさせた挙句に、自らの死を選ばせる。姉にそんな真似をさせてしまったのは、めそめそしていた自分のせいだ。怯えるばかりで何もしなかった自身が許せない。
「どうやら一命は取り留めたみたいだね、良かった」
横に来て声をかけてきた人物をマテオは見上げる。
スーツを着た金髪の紳士だ。大人の落ち着きを湛えながら他人を魅了する生気に溢れている。一角の人物に違いなかった。
マテオはまだ相手のことを知らない。けれども助けてくれた人だというくらいは解る。
真っ先にお礼を述べるところだが、マテオが口にしたのはお願いだった。
「僕に力を、誰にも負けない力をつけてください」
紳士は微笑みながらも探るような目つきをした。
「キミはいくつだい?」
「五歳です」
「ならば未来に対する選択は数えきれないほどある。きちんと学校へ行き仕事に就く道だってある。今は興奮しているだろうから、少し時間を開けてから結論を出しても……」
「僕は今日のことを無しにして生きていくなんてできない」
固い決意を昂ることなく告げるマテオに、紳士は興味深げな眼差しを向けた。少し笑みを滲ませて、再び同じ質問をする。
「キミ、本当に五歳かい?」
「そうだと思います」
「キミより二つ上になるうちの息子に見習わせてやりたいよ」
はっはっはっ、と笑う紳士だ。マテオも少し気がほぐれていく。
いや失敬失敬、と紳士が笑いを収めては右手を差し出してくる。
「自己紹介が遅れたね。私はケヴィン・ウォーカー。異能を持つ者たちの相談や保護する活動を行う実業家とでも言っておこうかな」
自分の説明に今ひとつ納得していない顔をする紳士に、手を握り返したマテオは低く問う。
「そこには非合法な活動も含まれるんですよね」
「本当に五歳なのかい?」
三度訊く紳士の顔に笑み以外の要素が加わった。
マテオはしっかり相手の目を見据える。
「ウォーカーさん。僕にあいつらを倒すだけの力を身に付けさせてください、お願いします」
わかった、と返事があった。信頼に足る真剣な面持ちだ。
マテオが、ほっと一息吐いた後だった。
ふふっと意味有り気に微笑む紳士は「ところで」ときた。
「名前を教えてくれるかな。今はまだ口約束にすぎなくても、互いの名前くらいは知っておかないとね」
大事な事柄をすっかり失念していたマテオは赤くなる。まだまだ自分は子供だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
一夜にして少年の衣を脱ぎ捨てたマテオは、瞬く間に頭角を現した。
少年と呼ばれる年代で諜報と戦闘のプロフェッショナルとなった。命の危険に曝される機会がたびたび訪れようとも自ら望んだ道だ。むしろ自分は裏世界の水が合っていると考えている。
捨て駒とされる立場を受け入れていた。
ところが北米大陸随一の能力者で連なるウォーカー一族において、頭目とされるケヴィンからである。
養子ならないか、ときた。
マテオからすれば、他を当たってくださいと答えたいところだ。
ケヴィンには一人息子がいる。サミュエルといって、一族の中で唯一ケヴィンを超える実力を身につけるかもしれない、とされている。マテオもそう睨んでいる。
跡取りはいる。子供を迎える意味があるとは思えない。
況してや、マテオとアイラはもうすぐ十五を待つ年齢だ。家族として馴染ませるなら、自分達よりずっと幼いほうがいいに決まっている。名門とされる家であれば、もっと相応しい血筋もある気がした。
でも、これは……、とマテオは考え直す。
これは懸念を解消する機会になるかもしれない。
姉が自分と同じ道を選んでいること。それがマテオにとって解消したい最大の不満ごとであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
薄暗いホールに毒々しいスポットライトの照明が舞う。
立ち込める煙は煙草以外も混じっていそうな匂いだ。所々から上がる嬌声に、アルコールを注文する声。とても未成年が訪れていい店ではない。
マテオが店内を歩く姿に注目が集まるのは当然と言えた。加えて美少年の範疇に入る容姿もまた視線を集める滑車をかけている。ヒュ〜、といった口笛が何処から鳴らされてくる。実際に肩をつかんでくる柄の悪い男がいた。
ここでは性の欲望対象は、異性同性問わずであろう。
ただマテオが踏み越えてきた死線の数は、ここに集う者たちの比ではない。睨みつけるだけで、肩に置かれた手を震わせ退けさせた。
「おー、来た来たー。待ってたぞー」
店の最奥から呼ぶ声がある。
以後、マテオに近づくはおろか視線さえ向ける者もいなくなった。
誰にも邪魔されず進む先に、ソファにリラックスした格好で座る青年がいた。豪奢な金髪が揺れる、鋭利な印象を与える顔立ちに体型だ。手を振るだけで人払いが叶う、若さに似合わぬ風格も持ち合わせていた。
「サミュエル様。お時間を割いていただき、ありがとうございます」
勧められるソファへ腰掛ける前にマテオは直立不動で頭を下げた。
サミュエルと呼ばれた青年はからかうように言う。
「そんな畏まらないでくれよ。だってこれから弟になるんだから。それに、ほら。今さら、あれだよ」
「あれと申しますと」
「ずっと前から、アイラと一緒に監視していただろう。ここ三年は常に傍へあったようじゃないか」
お見通しとするサミュエルの発言だが、マテオからすれば然もありなんである。こちらの存在を気づかれていることを承知で、付いていた。
当初は監視というより、護衛のつもりだった。だが知れば知るほど、自分達など及ばない能力者であると確認させられる。挙句には自分たちこそ守られている立場だったと知る事件もあったくらいだ。
ウォーカー一族を率いる者の跡取りとして申し分のないサミュエルだ……生活態度を除けば。
すみませんでした、とマテオがようやく腰掛ける。
「別に、マテオが謝ることじゃないさ。どうせあのバカ親父が命じたことだろう」
お互いバカを付けて呼び合う父子が、マテオは内心で笑ってしまいそうになる。羨ましい、とする気持ちも否定できない。
「まったくサミュエル様には申し訳ない限りです」
「そう何度も謝られることじゃないさ」
「いえ、実はです。僕はいつも傍にいたわけじゃなく、しょっちゅう姉さんに任せて抜けていました」
半瞬、表情が固まった後にサミュエルは笑い声を立てた。
「そうか、そうか。さすがだな、マテオは。うん、男の子はそれぐらいじゃないとな」
「でもその間に姉一人を向かわせるハメに陥ってしまいました。サミュエル様に救っていただかなければ、どうなっていたか解りません。あれ以来、僕もまた心から忠誠を誓わせていただいております」
サミュエルがテーブルのグラスに手を伸ばしながら、マテオに注文を促している。酒でも構わないぞ、といたずらっぽく付け加えてくる。
毒の耐性にも備えてきたマテオが、アルコールに対しても準備を怠っているはずもない。ここで提供される酒類など、水のごときである。ただしアルコール摂取が許される年齢に程遠い見た目であれば、無難にソフトドリンクとした。
事を滑らかに運びたくて足を運んできたからには問題となりそうな行動を控えた。
チューとグラスに突き刺されたストローを啜るマテオに、てサミュエルが目許を緩めながらである。
「忠誠なんてヤメてくれ。それにこれから義理とはいえ兄弟になるんだから、面倒な気遣いはいらないぞ」
「いえいえ、そんな。それは名目上の話しであって、僕にとっては尽くすべきウォーカー家の当主であることには違いありません」
「そうかい? じゃあ、なんで我々と離れ、一人だけで行こうとするんだい?」
マテオにとって真に底知れない義兄となる人だった。
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