徐行してくる車

 学生の頃のぼくが体験した話です。

 家からバイト先に向かうには車道を通る必要がありました。

 その車道は二車線で、バスが通ると対向車線の車が脇にどかなければいけないほど狭い道路でした。

 もちろん交差点はあるのですが、そこを通ると遠回りになってしまうので、交差点から離れた近道に一番近いところで車が来ないのを待って横断していました。

 その日もいつも通り、バイトに向かうために近道に一番近いところで待っていました。

 右に車の姿はなく、左を見るとワゴンが来たので通り過ぎるのを待ち、その背中を見送るように右に首を巡らせると、

 まっすぐこちらに伸びる直線を軽自動車が徐行していて、ちょうど交差点を通過するところでした。

 十字路からぼくまでの距離はバス二台くらいで、まるでウォーキングするような速度だったので、今のうちに渡っちゃおうと思って、足を踏み出しかけたところで違和感を覚えました。

 その軽が交差点を通過したとき、さっきのワゴンは横断歩道の前で止まっていました。

 赤信号だったんです。

 ゆっくりとしたスピードでこちらに近づいてくる軽自動車は速度を変えることなく、ぼくの方へ近づいてきます。

 そのまま通り過ぎるかと思ったのですが、ぼくから車一台分くらいの間隔を開けて停止しました。

 通してくれると思って足を動かすと、その車も動き出します。

 ぼくが足を戻すと軽自動車も停止しました。

 フロントガラスは真っ黒で相手が何を考えているか全く分からず、点灯していないフロントライトと睨めっこしているような気分でした。

 しばらくすると、睨めっこに飽きたのか、車は交差点を過ぎた時と変わらないスピードで通り過ぎていきました。

 車の窓はスモークガラスになっていて、助手席ドアの窓から辛うじて人影が見えるくらいでした。

 男性か女性かも分かりません。

 特に何事もなかったので、その時は考え過ぎと結論づけ、バイト終わりには、車の事などすっかり忘れてしまいました。

 帰りも行きと同じ道路を横断するのですが、近くまで行ったときです。

 夜の時間にも関わらず、赤い光がグルグルと回転していたんです。

 道路の真ん中にパトカーが停まっていて、その奥には封鎖するように黄色いテープが貼られていました。

 後日、そこで母娘が轢き逃げに遭った事を知りました。

 ぼくがバイト先に向かう為に横断歩道に向かっていた頃です。

 徐行していた車が突然速度を上げて子供をタイヤで潰すと、そのまま母親と激突。しばらくフロントガラスに母親を貼り付けたまま走り血塗れの被害者二人をそのままに十字路を通り過ぎっていったらしいです。

 その逃げた車のフロントガラスは、ペンキをぶっかけたように真っ赤に染まり、その他の窓もスモークガラスだったので中の人の姿は分からなかったそうです。

 事件後すぐ、犯人の手がかりを求めるために道路の電柱という電柱に、遺族が制作したと思われる紙が貼られましたが、十年経った今も貼り付けられています。

 バイト先で聞いた噂だと、

 剥がしても剥がしても、いつの間にか真新しい紙が貼られているそうです。

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