第18話 ザファエル伯爵の捕物
フローは悪い奴だ。
それは間違いない。
ザファエル伯爵も悪い奴だ。
証拠固めもしてある。
あとは決行の日、忍び込んだフローとエイリッヒと王兵と僕とで人身売買オークションの現場を押さえるだけだ。
……上手くいくかな。
いいや!やってやるんだ!
あの少年の顔が瞼の裏に思い出される。
憎しみの籠った目だった。
あの子以上に被害に遭った人々がいるんだろう。
その人達を助けることも重要だ。
もう売られたルートは掴んである。
買った貴族や闇組織の連中も。
これまでにない大事に、ぶるりと震えた。
僕の役目は悪逆貴族のルーベルト・トランドラッドとして玩具になる奴隷を見付けに来た振りをすること。
エイリッヒとフローは従者役。
精一杯悪くみせなきゃ。
悪く、悪く、それが正しいことに繋がる。
オークションが行われる満月の夜までもう少し、僕はきちんと役割を演じられるだろうか?
悩みながらもその日は訪れてしまった。
フローが入手した招待状を見せたらすんなりとザファエル伯爵邸に入れてもらえた。
そのまま地下に案内されると、真ん中に開けた場所があり司会者が使うであろう台が置かれており両側が厚いカーテンで覆われていた。
ザファエル伯爵がこちらへ向かって来たので挨拶をするとザファエル伯爵もにこにこしながら挨拶を始めた。
「やぁやぁ、トランドラッド公爵。お目に掛かれて光栄です。ザファエルと申します。本日はどうぞお楽しみください」
「ええ、気にいるものがあるといいのですが」
「それはもう!多様に揃えておりますので!では、お楽しみください」
そう締めくくるとザファエル伯爵も最前列で豪奢な椅子に座った。
後方の僕の両脇にエイリッヒとフローが座る。
「もうすぐだな」
「ええ」
エイリッヒとフローが会話をしていても、緊張している僕は混じれそうもなかった。
まだ震える手をエイリッヒがそっと包んだ。
「大丈夫だ。みんな助ける。そのためにあんなに準備してきたんだろ?」
「うん…」
『そこは「ああ」だな。ここまで来たらやるしかない。民を救うためにやるしかない。歯痒いが、貴様達がやるしかない。やれ』
こんな時でも偉そうで、でも民のことを思いやるルーベルトに少し笑えてきて緊張が解けてきた。
僕には分からないけれど、王兵も忍び込んでいるんだ。
一網打尽にするにはもう今日しかない。
今日を逃したら証拠現場を押さえることは難しくなるだろう。
「頑張ろう」
「ああ!」
「そうですね」
そう改めて決意をしていると、カーテンから人が出てきて台に着くと木槌を叩いて来客に語り掛けてきた。
「紳士淑女の皆様、お待たせしました。本日の催しの開催です」
ぺこりとお辞儀をして、また木槌を叩く。
右側のカーテンから手枷に繋がれたやけに着飾った美しい少女が震えながら出てきた。
「まずは一人目。見てください、この綺麗な顔と白い肌。落ちぶれたとある貴族のご令嬢でした。落札価格を提示させていただきます」
とんでもない金額が出て、来客が札を上げて競い合う。
醜悪な場だと思った。
エイリッヒも顔を顰めているが、フローは平然としている。
当たり前か。フローも人身売買をしている。
やっていることはザファエル伯爵と変わらない。見慣れた合計なんだろう。
僕はどこか他人事のように次々と進んでいくオークションを眺めていた。
早く作戦が始まらないか、落札された人々はどうなっているのか、この場にいる来客や今まで参加した客すべてに罰が当たることを祈っていた。
やがて王城で何度か見掛けた人物がいることに気が付いた。
席を離れる姿を見て、もうすぐ検挙するんだと察した。
「ルーベルト、作戦は分かっているよな?」
「もちろん」
作戦は僕がザファエル伯爵の気を引き王兵達が動きやすいようにして彼等が会場の出入り口を出られないように封鎖したところへ王兵が捕縛したザファエル伯爵と捕らえられた人々の保護だ。
とは言っても、ほとんど王兵がやってくれる。
僕の役目は悪い噂で有名な公爵も来たということでザファエルの気を引くこと。
これはもう終わった。
事実、ザファエルは僕と縁を繋ぎたいのか落札しないのかとちらちらとこちらに視線を向けて王兵が動いていることに気付いていない。
時々、適当に札を上げて落札に負けるのが僕の役目だ。
そんなことしか出来ないなんて不甲斐ない。
落ち込むとルーベルトから叱責が飛ぶ。
『それが悪逆貴族の公爵として求められていることならば全力で演じろ』
でもさ、ルーベルト。
僕はこんな風に見ているだけで本当にいいんだろうか?
ルーベルトと自問自答している間に出入り口の封鎖は終わったらしく、王兵が台上に登り罪を炙り出す。
ザファエル伯爵はなにか喚いているが、王兵に素早く捕縛された。
一時期呆然と見ていた来客も自身が危ないと分かると出入り口に殺到するが、屈強な兵士が出入り口前に数名いるしドアも封鎖されている。
騒動の中、僕は動けずにいた。
「それを言うならあそこで高見の見物をしているトランドラッド公爵も同罪でしょう!」
縛られた両手でこちらを指差すザファエル伯爵に反応したのはフローだった。
「いいえ、我々は貴方の気を引くために王兵と結託しこの場にいるだけの身。この事は王もご存知ですよ」
相変わらずにこりと微笑んで、優雅にお辞儀してみせた。
「お前はフロー!お前!お前こそ悪ではないか!」
ザファエル伯爵に散々罵られてもフローは微笑むだけだった。
これが終わればフローも捕まる。
分かっているんだろうな。
だって、フローって賢いもん。それとも逃げ切る自信があるんだろうか?
場内が騒いでいる間に王兵がカーテンから捕らわれていた人々を連れてくる。
良かった、無事そうだ。
『ああ。だが、すべてが終わるまで安堵するな』
その言葉に嫌な予感が僕に走った。
王兵に連れられて手枷を外されていく人々と対照的に、我先に逃げようとする来客は捕縛されていき、手枷を掛けられていく。
そのうちの一人が大声を上げながら台上に走り出した。
あっという間の出来事だった。
台の上に飛び乗ると、持っていたナイフで人々を切りつけ始めた。
王兵が慌てて取り押さえるけど、僕も気が付いたら走り出していた。
「ルーベルト!」
エイリッヒが叫ぶのも振り切って、僕も台上へ登ると王兵が手当てをしているのに混じって止血をしたり手当てを始めた。
いつの間にかエイリッヒも手当てをしている。
凶行に及んだ犯人は取り押さえられているけれど、まだ意味不明なことを叫んでいる。
「しっかりして」
そう声を掛けたのは、最初にオークションに賭けられた少女だった。
腹部を刺され、苦痛に顔を歪めている。
「まだ、まだ死にたくない。お母様、お父様…」
震える手を握って患部をハンカチで抑える。
握った手から力がなくなっていくのを感じる。
僕は、人が死んだのを初めて見た。
蒼白になる僕をエイリッヒが支える。
この腕の中にいた命が事切れる瞬間を目の当たりにしたのだ。
『死とはそういうものだ』
ルーベルトは言うけれど、まだ受け入れられない。
エイリッヒが遺体を僕から抱え上げると、比較的に綺麗な場所へと置いた。
死者への弔いをすると、僕の側へ戻ってきて尋ねた。
「大丈夫か?」
「大丈夫に見える?」
僕の顔は蒼を通り越して白いだろう。
倒れ込まないのが不思議なくらいだ。
見知らぬ少女だ。
でも、この腕の中にいて、死にたくないと言いながら離れた家族を想って亡くなった。
「まだ人がいる」
エイリッヒの言葉にハッとした。
倒れていた人物を助けるために一生懸命に手当てをした。
僕が一度は落札しようとした少年だ。
ルーファスと同い歳くらいで見ていられなくなって思わず札を上げていた。
よかった。
まだ息はある。
その頃にはあらかた終わっていて来客も連れて行かれて、王家の救援隊も辿り着いていて、僕達は隊員にその人を引き渡した。
随分と衰弱しているが、大丈夫だろうか?
ザファエル伯爵も引き連れられて行こうとしたところにまた喚いた。
「なんで!トランドラッド公爵といえば悪逆貴族として、有名だろう!?なんで邪魔をするんだ!」
「これが私の悪逆だ」
そう。これがルーベルト・トランドラッドの悪逆。
悪いこと、人の道に背いたことに逆らってみせる。
悪逆の、悪逆だ。
『その顔は悪逆貴族のルーベルト・トランドラッド公爵に相応しいぞ』
ルーベルトに褒められたけれど、自分がどんな顔をしているのか分からない。
でも、僕は僕の悪逆を決めた。
でも、それはそれとして、だ。
腕が震える。
抱えた人物からどんどん熱がなくなり冷たくなる感覚が手から離れない。
こわい。
「大丈夫ですか?」
フローがやってくるとその衣服は血だらけだった。
「フロー、血が」
「ああ、返り血ですよ。ご心配なく」
こんな時でもそんな言葉を言ってフローは笑う。
「返り血って」
「私も、ルーベルト様に習いました。ルーベルト様こそ、返り血が酷いですよ。お召替えはご準備されていますか?」
自分の格好を見ると、手当てのために奔走していて被害者の血が衣類に付着していた。
気付かなかった。
でも、フローも人命救助をしていたんだ。
悪いやつか分からなくなってきた。
「おい、ルーベルト!無事か!?」
エイリッヒも再び駆け付けて来てくれた。
震える僕の手を見ると両手で包んでくれた。
「悪い。お前には刺激が強すぎたよな」
「そんなことはない。それよりも、捕らえられた人達は無事なの?」
「もちろんさ!なんてったって、俺達と王家が組んだ作戦だぜ!」
ニカッと笑うエイリッヒに終わったんだと安心した。
『まだフローがいるだろう』
ルーベルトから忠告が来る。
でも、こちらを見てにこにこ微笑むフローが本当に悪人かどうか分からなくなってきた。
フロー。近くに置いて事実を確認したくなってきた。
「フロー。フローさえ良ければだけれど、僕の元で働かないかい?」
『おい!』
「ルーベルト!?」
エイリッヒに肩を掴まれて小声で話される。
「どうしたんだよ、このままフローの組織も捕まえる算段だろう?」
「でもまだフローの組織を捕まえるには証拠が弱いのも事実だ。しばらく様子を見たい」
「お前がそう言うなら、俺も無理強いはしないけどさ。もしもが起きたらどうするんだ?」
「大丈夫さ、僕には頼れる親友もいるしね」
僕の言葉に目を瞬かせたエイリッヒは息をめいいっぱい溜め込むと盛大に吐き出した。
「俺の弟分がとんだ悪い子になっちまった」
「兄貴分に似たんだよ」
笑ってフローを見ると、初めて微笑み以外の困惑の表情を見せていた。
「あなた方はこのまま私も組織も捕まえると思っていましたが」
バレていたか。
『まあ、当然だろうな』
「悪逆貴族の気紛れだよ。それで、どうするの?」
エイリッヒはなにかあればフローを僕から離せる距離に動いていた。
フローはそんなエイリッヒを横目で見ると、跪き恭しく僕の手を取り誓った。
「この命、あなたに預けましょう」
「決まりだね」
『どうなっても知らんぞ』
ルーベルトが呆れる。
フローも捕える気だった王兵に訳を話して、後程国王陛下にもフローがなにかをしたらその時こそ容赦はしないと誓約してフローは僕の部下になった。
「よろしくね、フロー」
「かしこまりました。ルーベルト様」
変わらぬ微笑みを返して、フローは何を考えているんだろう。
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