第3話 婚約者との初対面
『今月も来たか…』
「ルーベルト、それなに?」
ルーベルトは可愛らしい封筒に唸り声をあげた。
気になって訊ねると、余計に機嫌を悪くされる。
『婚約者様からの茶会の招待状だ。義務で月に一度は会わねばならん』
「婚約者!?」
僕は座っていた執務室の椅子から飛び上がった。
『おい、インクが溢れる。落ち着け。貴族なら婚約者くらいいるものだ』
「そうなのかもしれないけれど、婚約者って将来結婚する人のことでしょう?うわぁ、どんな人なんだろう?」
『面白味もない普通の女だ』
「それはルーベルト基準でしょ!そうだ!花束を持っていこうよ!きっと喜ぶよ!」
『やめろ。そんなことはしたことない。急にそんな事をしたら怪しまれる』
ルーベルトは難色を示すが、僕の頭は未来のお嫁さんでいっぱいだった。
「その子のお名前は?」
『知らん。いつもカサンドラ侯爵令嬢と呼んでいる』
婚約者の名前すら知らないなんて!
僕はルーベルトに憤慨した。
なんてひどいやつなんだ!
ルーベルトの今までの分まで僕がルーベルトとして謝罪しなくては!
そんな風に考えてカサンドラ侯爵令嬢に贈る花束はどんなものがいいか女性のことは女性に訊ねるのが一番だとメイドに相談すると、僕…ルーベルトがカサンドラ侯爵令嬢に贈り物をするのがとても驚いたらしく目が点になって口を開いていた。
どれだけの塩対応してきたんだ!ルーベルト!
さて、迎えたお茶会当日。
馬車で向かう間、僕はずっと緊張していた。
いいや、嘘をついた。
本当は数日前からずっとそわそわしていてカサンドラ侯爵令嬢がどんな子か気になって周囲に不審がられて、カサンドラ侯爵令嬢がどんな子か訊ねると、その目は心配から温かいものになった。
『そんな期待するような女じゃないぞ。ごく普通の女だ。口答えをしない、それを第一の条件に選んだ』
「ルーベルトは黙ってて!」
身嗜みは大丈夫か何度も確認したけれど、不安だ。嫌われたりしたらどうしよう。
もしかしたら今までのルーベルトの対応で既に嫌われているかもしれない。
未来のお嫁さんから今から嫌われていたら絶望じゃないか!
『政略結婚だ。そんなこともある』
「ルーベルトは黙ってて!」
そんなやりとりを何度かして、程なく馬車はカサンドラ侯爵家に辿り着いた。
「ごきげんよう、トランドラッド公爵」
お茶会の席に通されて待ち構えていたのは可憐な美少女だった。
あまりの美しさにボケッとしていると、カサンドラ侯爵令嬢に心配されてしまった。
「失礼、大丈夫です。ご心配ありがとうございます。……大変失礼なのですが、下のお名前を伺っても?」
僕の言葉にカサンドラ侯爵令嬢は悲しそうになった。
多分、名前すら覚えられていないと思ったんだ。
事実、ルーベルトも僕もカサンドラ侯爵令嬢の名前を知らない。
ルーベルトが婚約者の名前を知らないのは大問題だと思うけれどね!
「サシャですわ、トランドラッド公爵」
「サシャ嬢、美しいお名前ですね」
本心からそう思って微笑んだ。
「先程はサシャ嬢があまりに美しくて見惚れてしまいました」
『おい、馬鹿!余計なことは言うな!』
そうは言っても本当にサシャ嬢はとても美しいんだ。
こんなに美しい子が将来お嫁さんになってくれるというのに、ルーベルトは何が不満なんだろう?
疑問に思っているとサシャ嬢が泣き出した。
「どうされました?」
慌ててハンカチを差し出して訊ねる。
「婚約して数年、初めて名前で呼ばれましたわ」
その言葉に僕は仰天した。
ルーベルト!仮にも婚約者の女の子に名前すら呼ばないってどういうことだよ!
『名前を呼ぶと色々とややこしいことになる。それにすっかり忘れていた』
嘘だ。ルーベルトの記憶力で婚約者の名前を忘れるなんてことはない。
「今までの非礼を詫びます、サシャ嬢。こちらはこの庭園には負けてしまうかもしれませんが贈り物の花束です」
僕が連れてきた執事に持たせていた花束を受け取り、そのままサシャ嬢へ渡すとまた泣かれた。
「初めての贈り物ですわ」
「本当に申し訳ありません……」
うちのルーベルトが。
まったく、ルーベルトったら何をしていたんだ!
『これで面倒事が増えた。全部お前のせいだからな。カサンドラ侯爵令嬢のことはお前が対応しろ』
もちろん、喜んで!
ルーベルトからの思わぬ言葉に僕は気が良くなってサシャ嬢とこれまでの溝を埋めるかのように話し合った。
話をしてみると思慮深くて優しくて、こんなルーベルトでも慕ってくれる健気な子だった。
お茶会の後、すぐにお礼の手紙を書いた。
サシャ嬢はこれも初めてのことだと泣いているだろうか?
それから数日後、今度はサシャ嬢から手紙が届いた。
贈った花束のうちの一本を栞にしてプレゼントされた。
僕はその栞のお礼にまた手紙を書き、栞を大切に日記に挟んだ。
公爵の仕事は大変だけれど、いや、まあ、僕はルーベルトが言う通りに過ごしているだけだけれど、サシャ嬢と結婚して一緒に暮らせる日を夢見るととても幸せな気持ちになれた。
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