第198話 素敵な思い出

 地下の部屋から砦の屋上へ戻ってきた。空にはいまだに満月が輝いていて、心地よい風が吹いている。


 時間的には午前二時くらいだろうか。かなり早く勝負がついた。スキルにお金を惜しみなく投入したおかげだな。目標としていた金貨五億枚以下だったような気がする。


 でも、やっぱり俺自身は弱いな。こうなるのは予想がついていたけど、俺にはスキルによる力押しと小細工しかない。トレーディを倒せたのは向こうが正々堂々というか、まっすぐな人だったからだろう。


 あんな風に戦ってくれるような相手はもういない。大体、一対一で戦うような状況にならないような気がする。トレーディ以外なら、昨日今日と不死者たちで襲い、こちらに休憩させるようなこともないだろう。


 手加減はしていないのだろうが、それはトレーディの基準でそうなだけで、はたから見たらどう考えても手心を加えられた。たった三年で強くなるとは思っていなかったけど、本当に俺はヴァーミリオンを倒せるかね?


『相変わらず自信がないようですね?』

『自信ってどうやってつけるのかな?』

『それを私に聞かれても困ります』


 そうだよな。世界を創ったほどの意思に自信のことを聞いても意味はない。そもそも成功も失敗もないんだから。


『これまで倒してきた敵は昔なら倒せなかったと思いますよ』

『多少は自信を持てと?』

『そんな自信のないクロス様に倒されたトレーディは弱かったですか?』

『弱いわけないだろ』


 戦闘の時間は短いが、絶対に勝てるなんて保証はなかった。それに吸血鬼ならもっと多彩な攻撃をしかけてこれるはず。トレーディは人型のままで、コウモリに変化したり、そういうこともしなかった。


 足が床から離れない状況も、吸血鬼なら足を切るなり、コウモリに変わるなりすれば逃げられた可能性が高い。本気で来られたら俺はもっと大変な目に遭ってただろう。勝てても、もっと金を使ってた。


「クロス様、お見事でした」


 背後からパトリシアの声が聞こえた。


 声から怒りなどは感じない。むしろ安堵したような少し嬉しそうな声だ。殺気もないし、いきなり襲ってくることはないだろうが、警戒はしておかないとな。


『強化や自己修復はまだ続いているよな?』

『大丈夫です。あと三十分は持ちます。ですが、パトリシアに関してはその心配はいりませんよ』

『小心者でね』


 振り向くと月の光に照らされたパトリシアがいた。そのパトリシアが微笑んでから頭を下げた。


「ありがとうございます。トレーディ様はようやく私の呪縛から逃れられたようです」

「祝福の間違いでは?」

「本人の望みを叶えない祝福など呪いのようなものです。それを解いてくださったクロス様には本当に感謝しております」


 その言葉に嘘偽りはないと思う。頭を上げたパトリシアは満面の笑みだ。ちょっと怖いくらいだが、俺に対して怒ってないよな? 笑顔で人を殺せるサイコパス的な人だったら困るんだが。


「あの、何かありました? ずいぶんと機嫌がよさそう――いえ、トレーディが死んでそんなわけはないと思いますが」

「ふふ、恥ずかしいですね。実はトレーディ様の最期に名前を呼んでもらえました」

「名前?」

「はい、パトリシア、ありがとうと。ずっと昔に忘れたと思っていたのですけどね」

「……それは良かったですね」

「はい。私の数少ない素敵な思い出になりそうです」


 本物の吸血鬼は記憶を忘れることがないらしい。永遠に暇つぶしをするような人生の中で素敵な思い出があるというのは、パトリシアにとっては良いことなのだろう。


「これからどうされるのです?」

「まずは住んでいた城に戻って奥様とお嬢様の墓に報告を。それとトレーディ様の墓も建てなくてはいけませんね。そうそう、私以外の使用人はトレーディ様の眷属だったので、今頃灰になったでしょう。皆さんの墓も建てないと怒られてしまいます」


 どのあたりにあるのかは知らないけど、ヴァーミリオンの領地にあると思う。今は湿地帯だが、大昔は人間の国もあったとか聞いたことがある。


「その後は飽きるまで墓守として城を守ります。あそこには大事な思い出がありますので、それを荒らされるのは嫌ですから」

「後で場所をおしえてください。その城には誰も近づかないように伝えておきます」

「はい。ですが、クロス様ならいつでも歓迎ですので、遊びに来てくださいね」

「その時はお願いします。もしあのワインをまた見つけたら、持っていきますので」

「楽しみに待っています。それこそ何年でも」


 俺はそんなに生きられないけど、一度か二度くらいは足を運んでみたいもんだ。


 さて、これでヴァーミリオンの幹部を一人倒した。残りはまだいるけど、ここでの戦いは少し楽になるだろうか。好戦的な奴が来ると今まで以上の激戦区になる可能性もあるけど。


 ……? うめき声? ゾンビたちか?


 砦の屋上から声が聞こえた方を見る。いつの間にかゾンビたちが近くまで来ていたようだ。しかも数がこれまでの比じゃない。トレーディがそんなことをするわけないし、別の吸血鬼がいたのか。


『空から吸血鬼が来ます』

『え?』


 空を見上げると、トレーディたちが来た時と同じように多くのコウモリが高速でこちらに向かってきた。俺に攻撃するかのように突っ込んでくるが、すぐにその場を離れる。


 屋上がへこむほどの衝撃のあと、多くのコウモリが集まり人の姿になった……まずい、コイツ、オルビスだ。UR探究者オルビス。ヴァーミリオン軍の幹部だったはず。


「トレーディが負けるとは。馬鹿な奴だとは思っていたが、その通りだったな」

「トレーディが負けたのは事実だけど、馬鹿なんかじゃありませんよ」

「何を勝手にしゃべってるんだ? まさか私に言ってるわけじゃないよな?」

「いえ、貴方に言ったんですよ。つまらない独り言が聞こえたので訂正してあげました。礼は不要です」


 おいおい、睨んでるよ。沸点低いなコイツ。とはいえ、実力は本物だ。くそ、対策してないというか、いきなりすぎてコイツがどんなキャラだったか思い出せない。URキャラだから強いんだけど、性格が悪いから人気がなかった気はするが。


「トレーディに勝ったくらいで調子に乗っているのか?」

「トレーディに勝ってもいないアンタはなんで調子に乗ってんの?」


 オルビスのこめかみが大変なことになっている。とはいえ、挑発しすぎたか? さすがに連戦はきついんだが。でも、やるしかないか。


 そう思った瞬間に殴られた。何とか両手でガードしたけど、自己修復で無駄に金が減った。くそ、すぐに身体強化の魔法を使わないと。


「無粋とはこういうことを言うのですね」


 パトリシアが俺の前に立つ。もしかして守ってくれるのか?


「お前、トレーディのところにいた使用人か?」

「パトリシアと申します」

「トレーディが死んでも灰にならないところを見ると別の奴の眷属だったのか。ずいぶんと昔から仕えていたようだが、誰の眷属だ?」

「私は誰の眷属でもありません」

「まさかとは思うがヴァーミリオン様直下の眷属ではないだろうな?」

「話を聞いてください。私は誰の眷属でもありません。ヴァーミリオンの眷属なんて気持ち悪いことを言わないでください」

「……気持ち悪いだと?」

「ヴァーミリオンもそうですが、眷属も空気を読めない上に無粋。気持ちが悪いを通り越して目に入れたくないですね」


 次の瞬間、オルビスはパトリシアに殴り掛かった。その攻撃をパトリシアは手のひらで受け、そのまま握りこむ。俺も驚いたが、さらに驚いているのはオルビスの方だ。


「なんだと!?」

「ヴァーミリオンも小者なら眷属も小者。信念もなく、ただ弱いものをなぶるだけのつまらない存在。そんなものは吸血鬼としてふさわしくないと思いませんか?」


 次の瞬間にオルビスが悲鳴を上げる。吸血鬼の体はかなり硬いはずだが、オルビスの拳をパトリシアは一瞬で握りつぶした。


「素敵な満月の夜なのに、大事な思い出を穢さないでほしいわ」

「お、お前は……いったい……?」

「私は吸血鬼の女王パトリシア。不敬よ、貴方」


 パトリシアは右手でオルビスの首を掴む。オルビスは目を見開くと、徐々に干からびていった。まさか吸血鬼の血を抜いている? いや、吸収しているのか?


 結構な体躯のオルビスは苦悶の表情で暴れていたが、すぐに動かなくなった。パトリシアはそれを何でもないように地面に放り投げると、オルビスはすぐさま灰になり、消えてしまった。


 あくまでもゲームの話だけど、オルビスはURだぞ。それを同じURとはいえ、一瞬で倒しちまった。いや、それよりも、まずは礼を言っておくべきだな。


「ありがとうございます」

「いえ、お気になさらずに。トレーディ様を倒してくれたお礼です。それに今は気分がいいのです。それこそ踊り出したいくらいに」

「俺が踊れたら一曲お願いしたいところですけど」

「残念です。代わりに踊ってくれそうな人たちがいるので、そちらに向かいますね」

「え?」

「お礼としては全く足りませんが、ここは私にお任せください」


 パトリシアはそういうと、丁寧にお辞儀してくれた。そして大量の紫色の蝶になり、屋上からゾンビたちの方へ向かった。どうやらやってきた不死者たちを倒してくれるようだ。


『俺がパトリシアに勝てる要素ってある?』

『ないこともないです。今あるお金を全部使えばなんとか』

『絶対に敵対したくないね』


 ヴァーミリオンよりも倒せそうにないってのが怖いよ。今後はワインを見つけたら常に送るようにしよう。

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