第196話 満月の夜

 満月の夜、砦の屋上でトレーディを待っている。


 雨が降れとは言わないが、雲くらい出ていてもいいのに、ものの見事に快晴だ。月どころか星まで綺麗に輝いている。こういう時の運は俺にはないね。


 砦には誰もいない。一キロほどはなれた場所に皆は避難している。オリファスが魔法による「目」を残しているので、ここの状況は分かっているようだが、どんな状況になっても来るなと伝えておいた。


 そもそも俺が勝てなかったら、たぶん束になってもトレーディには勝てないだろう。可能性があるとすれば勇者であるヴォルトくらいか。でも、そもそも俺は負けられない。


 俺が死んでしまったらアウロラさんを助けられない。俺が死んでもスキルへの願いは継続されるから、あと二年近くはアウロラさんもあのままだろう。でも、それが過ぎたら終わりだ。スキルの力で体の修復をしなければ、そのまま死ぬ。


 戦いに負けても命があれば問題はない。でも、トレーディがそういう理由で俺を見逃すとは思えない。トレーディもヴァーミリオンを裏切るとは思えないし、生きている限り俺を襲おうとするだろう。


 殺すか殺されるか。負けたらアウロラさんだけじゃない。もっと他の皆も危険になる。そうならないためにも、必ず勝たないとな。


『私が必ず勝たせますので』

『持っている金を全部使えば勝てるとは思う。でも、アウロラさんを治すためにも金の消費は抑えたい』

『そんなことを言ってトレーディに負けたら意味はありませんよ?』

『分かってるよ。使える金は金貨五億枚までだ。それ以上は使わない』


 今でも金貨七十八億枚くらいはある。でも、あと二年でどれだけ稼げるか分からない。それでなくても世界から金貨が減っているという話がでるほどだ。前の帝国みたいな国ならともかく、他の国を襲うわけにもいかないし、一気に大量のお金を手に入れるのは厳しいだろう。


 そもそも、この世界のすべての金貨が何枚あるか分からないんだ。金属とかでも金貨の代わりにはなるが、必要以上に消費するのはまずい。メリルも商人たちの取引で物々交換の提案が多くなったと言ってるし、気を付けないと。


 そんなことを考えていたら、一瞬だけ何かが月の明かりを遮った。


 どうやら来たようだ。月の方を見ると、大量のコウモリと紫の蝶がこちらに向かって飛んできている。


 それが俺の五メートル先くらいの場所に集まると、コウモリや蝶がそれぞれ集まり、そこからトレーディとメイドのパトリシアが現れた。


「待たせてしまったかな?」

「いえ、いま来たところですよ」


 ……なんで俺、彼氏的なことを言っているんだろうか。でも、こんなことを言えるなんて多少は落ち着いているのかもしれないな。色々と準備はした。これで負けるならどうしようもないだろう。もちろん負ける気はないけど。


 トレーディは相変わらず高級そうな服を着ている。貴族っぽいというかなんというか、よくある吸血鬼のイメージそのままだな。そして笑い方も上品だ。


「戦う前に少し話をしても?」

「ええ、構いません」

「まずは礼を言いたくてね。ワインをありがとう。あれほど素晴らしい贈り物はここ数百年で最高のものだったよ」

「お気に召したなら何よりです。もてなしのお返しですのでお気になさらずに」


 それに約束通り、昨日と今日は不死者たちが襲ってこなかった。今日のために十分休息がとれたし、色々な準備もできた。先にやってくれたのは向こうだが、そのお返しだと思えば安いもんだ。


「それと謝罪がある。私の使用人が余計なことを言ってしまったようだね」


 トレーディがそう言うと、パトリシアが「申し訳ございませんでした」と俺に向かって頭を下げる。


「いえ、無理に聞き出したのは私の方ですから、それもお気になさらずに」

「戦いの前に余計な情報を与えたくはなかったのだが、本気で戦ってくれるかね?」

「同情で手加減されるのを気にされていると?」

「その通りだ」

「同情するところはとくにありませんでしたよ」

「……杞憂だったようだね」

「逆にそちらが私に手加減してくれてもいいのですが」

「そんな無粋な真似はしないと誓おう」


 しないよな。死にたいとは言っても、自ら命を絶つことはない人だ。トレーディは恐らく名誉を重んじる。貴族の矜持というか、そういう面倒なことを第一に考える人。戦場で戦い、そして散る。貴族というよりも武人かもしれないが。


「それとここにいる使用人には絶対に手を出させないから安心してほしい」

「その心配は全くしていませんでしたが、分かりました」

「では始めようか。ぜひとも私の願いを叶えてくれたまえ」

「ええ、記憶があるうちに必ず奥様とお嬢様のもとへ貴方を送りましょう」


 トレーディとパトリシアが目を見開いた。


 死にたいというのは多分そういうことだと思う。あの世とか死後の世界、トレーディはそういうのを信じていて、死ぬことで会えると思っているんだろう。


 スキルの話によればこの世界は輪廻のシステムが採用されている。死ぬことがあればはるか未来に別の形で出会うこともあるだろうとのことだ。絆で結ばれた魂同士は惹かれ合うのだとか。


 このまま生きていても奥さんや娘さんと同じ魂と出会う可能性はあるが、トレーディの体はもう記憶を保てない。ならここで肉体と魂を分離させたほうがいいらしい。スキルはそんな風に言っている。


 アウロラさんを助けようとしているのに、トレーディの命は奪うという矛盾。俺もアウロラさんも異世界の魂だから、またちょっと違うようだが、この世界の魂を持つトレーディに対して輪廻のシステムを使ってあげることが救済になるのだろう。


 トレーディが腰に差していた剣を抜いた。赤い刀剣は血のように見える。


「君と戦えることを誇りに思う」

「ええ、私も貴方と戦えることを誇りに思います」

「そうか、ならば最初から全力で戦わせてもらおう。紹介したい人もいるからね」

「紹介?」


 トレーディの周囲に赤い液体が集まる。おそらく血だ。真っ赤な血。それが二つの形を作った。全身が真っ赤だが、ドレスを着た二人の女性、それがトレーディの両隣に現れる。


「私の魔力で作り出した妻と娘だ。もちろん模倣であり、本人ではないが、君には知っておいて欲しくてね」

「美しい方達ですね」

「ありがとう。だが、娘は嫁にやらんよ?」

「そういうことをいう父親は嫌われるらしいので気を付けた方がいいですね」

「それは生きている頃に聞きたかった――では、戦おうか」


 すぐさま身体強化の魔法を起動して、超絶強化を使う。


『戦闘が終わるまで超絶強化を永続的に使ってくれ。効果が切れるたびに課金する』

『分かりました。最初の十分は無料ですが、その後、十分単位に超絶強化を金貨五枚で延長します』


 一瞬で距離を詰めたトレーディが剣で俺を斬りつける。

 すぐさま木刀でその攻撃を弾いたけど、一撃が重すぎる。

 これだけ強化しているのに腕がしびれた。さすがは満月時の吸血鬼か。


 しかも間髪入れずに魔力で作られた奥さんと娘さんが見事な連携で攻撃してきた。

 こっちはそこまで強くないし、長い爪でひっかくような攻撃。

 そこまで速いわけでもないので、こちらは躱せる。


 どこまで効果があるか分からないが、見えない聖水を散布する。

 吸血鬼の祝福を持つトレーディには効果がないだろう。

 少しでも違和感を持ってくれればいい。

 一瞬の攻防が生死を分ける。そういう戦いなんだ。


 くそ、奥さんの方の攻撃を躱したと思ったら、娘さんの方が足に絡んできた。

 トレーディが剣を振り上げている。片手ではなく両手。受けきれるか?


 木刀を横にしてトレーディの剣を受ける。

 受け流しができない全力の振り下ろし。

 俺よりも、砦の床の方が耐えられなかったようだ。


 屋上から下の部屋に穴が開き、そこから落ちた。

 ありがたいことにトレーディはその穴から笑顔で俺を見ているだけで追撃はなかったようだ。滅茶苦茶痛いんだけど、腕と足の骨が折れてないか?


『体の治癒を頼む』

『金貨十枚で』

『頼む』

『しました』


 痛みが引いた。痛覚無効や常に傷を治す状態にはしておこう。


『戦闘が終わるまで痛覚無効と常時回復を頼む』

『痛覚無効は一時間で金貨一枚。常時回復は傷の状況によりますので、その都度引きます』

『分かった。それで』

『しました』


 しかし、どうするかな。今の時点で防御しかしていない。

 三人を相手にするのは難しいぞ。

 そういえば、なんでトレーディは追撃をしてこないんだ?


 上を見上げて空いた穴から外を見る。その穴から月が見えた。


 そうか、月の明かりが届かないのか。圧倒的な強さを見せたトレーディだが、それは外だからだ。なんとかして砦の中に誘い込もう。一応、朝まで粘るという作戦もあるが、それは最終手段だ。

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