第195話 記憶

 いつの間にか太陽は地平線に落ちて、空には月がある。満月よりも少し欠けた月だが、なぜかいつもより明るく見えた。


 そして目の前にいるのは吸血鬼の女王パトリシア。肌が焼けるのうなこともなくなり、月の明かりがよりパトリシアを白く見せる。魅了の魔眼を使っているわけでもないのに魅力的に見えるのは素がいいのだろうな。


 そんな女王が言った言葉は「トレーディを殺してあげて欲しい」という旨の内容。たとえ本人が死を望んでいるとはいえ、それを俺に頼むのはどうかと思う。


 それに理由が分からない。普通ならそうならないようにするだろう。俺のスキルのような神の力を持たなくても、吸血鬼の女王ともなれば、なんでも自分の思い通りにできるはずだ。


「理由を聞いてもいいですか?」

「理由を知る必要がありますか?」

「倒す予定ではありますが、俺は殺し屋じゃない。殺してあげてくれと言われても分かったとは言えませんよ」


 報酬を貰って人を殺すような奴もいるだろう。理由を知らなくてもやれる人はいるだろうし、殺す相手に感情移入したくないという理由で聞かないという人もいると思う。でも、俺はそうじゃない。


 これがパトリシアの策略ということもあるだろうが、トレーディにメイドとして仕えている女王がそんな真似をするとは思えない。ならきちんと事情を知っておく必要があると思う。


 パトリシアは楽し気にワインを飲み干す。その後、自分で注いだ。


「トレーディが死にたい理由ですが、同じ吸血鬼でも、本物の吸血鬼と眷属は違うということです。それに気づいたときはもう遅かったと言えばいいでしょうか――長い話ですが本当に聞きたいですか?」

「ええ、ぜひ。さすがに一晩中では困りますが」

「そこまで長い話ではありませんよ。そうですね、長く生きることができる吸血鬼が恐れることとは何だと思いますか?」


 長く生きることで恐れること……?

 死ぬこと、じゃないよな。死なないとは言わないが、死ぬ確率はかなり少ない。人間の時の方がむしろ死にやすいわけだし。


「想像力が足りないので分かりませんね」

「答えはそれぞれなので、これというのはありません」

「えぇ? 答えが複数あると?」

「はい。ただ、トレーディにとっての恐怖は記憶です」

「記憶……?」

「吸血鬼として長く生きたことで、生前のこと――古い記憶を忘れ始めています。むしろ全て忘れてしまえばそんな恐怖もないのでしょうが、ところどころ記憶が抜け落ちている。思い出せないということが、彼にとっては死よりも恐ろしいのですよ」


 記憶が抜け落ちるか。たしかパトリシアのこともメイドとしては認識しているが、吸血鬼の女王としての彼女を忘れているとかキャラプロフィールにあった気がする。


「はじめは領民、次は使用人たち、そして家族……今覚えているのは奥様とお嬢様のことだけでしょう。毎日お二人の肖像画を眺めては名前を忘れないように心の中で呟いているはずです」

「そんなことが」

「私のように純粋な吸血鬼なら記憶が抜け落ちるようなことはありません。ですが、眷属である吸血鬼は元は人間。人間をベースに作り変えられた吸血鬼なのです。多くの血を吸えばある程度は回復できますが、トレーディは吸血鬼になってからほとんど血を吸いませんでしたから」

「記憶のために血を吸うのは無粋とでも言いましたか?」

「良くお分かりで。生きるために血を吸うならまだしも、記憶のために血を吸うのは貴族としてあるまじき行為だと言っておりました。何か違うのかと思いましたが、彼の中では線引きがあるのでしょうね」


 トレーディはほとんど血を吸っていないのか。吸血鬼にとって人間の血は嗜好品と聞いたことがある。別に吸わなくても死ぬことはない。ただ、体が劣化するとは聞いたことがある。


 でも、前に会った時は太陽の光に当たっても煙すら出していなかった。吸血鬼としてはヴァーミリオン以上でないと駄目な気がするが。


「記憶のことは分かりました。ほとんど血を吸っていない割にはかなり強そうに見えましたけど?」

「私が祝福を与えておりますので」


 思い出した。パトリシアのスキル「吸血鬼の祝福」だ。吸血鬼属性の味方一人だけに使えるバフスキルで、フランさんのスキル以上の効果を与えるやつだ。


 たぶん、今のトレーディはそれこそヴァーミリオンと同じくらいの強さなのだろう。あくまでもステータス的な意味だけど。俺としてはヴァーミリオンとの模擬戦みたいに扱えるからありがたいか……?


「彼は死にたがっていますが、私の祝福がそれを許さない――いえ、私が祝福を解除したくないのです。ですが、彼の望みも叶えてあげたい。矛盾した気持ちをもう何百年も抱えながらお仕えしています」

「……大変ですね」

「ええ、大変です。そんな中、希望はヴァーミリオンでした」

「アイツが?」

「ええ、私の祝福を持つ者だろうと殺せる可能性がある。そんな話をしてしまったのが間違いでした。トレーディは私が知らない間にアレと約束をしたようです。いつか殺してもらう代わりに、それまでは配下として働くという内容だったようですが」

「無駄な約束をしましたね。たぶん、アイツはトレーディを殺さずにずっと使い続けますよ」

「全くその通りですが、約束は約束だと律儀に守っているようです。ですが、貴方に会って事情が変わりました。彼は久々に楽しかったようです。口にはしていませんが、自分を殺せる相手が現れたと期待しているのでしょう」


 勝手に期待されるのは困るけど、そういう事情があったのか。


 パトリシアは月を見上げた。


「時間を掛ければ、いつか振り向いてくれると思ったのですけどね」

「……振り向いたら興味がなるなるのでは?」


 パトリシアが驚きの顔で俺を見る。そして頷いた。


「そうかもしれません。私は家族を想うトレーディが好きなのであって、私を想うトレーディを愛せるかどうかわかりません。そして私のそんな曖昧な想いが、彼を苦しめている」


 手に入ると興味をなくすのは良くある話。手に入っても、予想と違っていたら失望するというのもあるだろう。


 アウロラさんはどうだろうか。俺が魔王になると言ったら喜んでくれるだろう。でも、その後は? 俺に何かを期待しているだろうけど、期待に応えられなかったときが怖い。勝手に期待した方が悪いと言えばその通りだろうが、失望されたくない。すべては俺の自信のなさが原因だな。


 おっと、今はそんなことどうでもいい。それに重要な話を聞けた。これを利用しない手はない。


「パトリシアさん、トレーディの願いは叶えます。代わりに私と敵対しないと誓ってくれませんか?」

「もとよりそのつもりはありません。愛する人の願いを叶えた人を害するわけにはいきませんので」

「助かります。それだけがずっと気がかりでしたが、それならトレーディとの戦いで全力を出せます」

「それは良かった。ですが、全力を出せば勝てると思っているのですか?」

「そこまで傲慢じゃありませんよ。ですが、トレーディを必ず殺すと約束します」

「これまでの人生で最高に素敵な約束です。ありがとうございます、クロス様」


 簡単に勝てないのは分かっているが、余力を残す必要がないことだけは分かった。それだけでも俺にはかなりの収穫だ。


「では、そろそろお暇いたします。ワインをありがとうございました」

「いえ、トレーディによろしくお伝えください。明日の夜、待っていると」

「承知しました。おそらく私も立会人としてこの場に来ると思いますが、トレーディ様共々よろしくお願いいたします」


 パトリシアは立ち上がると笑顔を見せて、カーテシーのポーズをとる。その後、体が紫の粒子になって大量の蝶々に変化した。そして月の方へ向かって飛び立つ。


 普通ならコウモリなのだろうが生まれたときから吸血鬼のパトリシアとすれば、どちらでも同じようなものなのだろう。月へ向かう紫色の蝶々の群れとはなかなか幻想的だ。


 それにしてもトレーディにそんな事情があったとは。俺は吸血鬼じゃないからその行動は分からないけど、記憶を失うのはつらいのだろう。もしかしたら、奥さんや娘さんを覚えている内に死にたいとかそういうことなのかも。


 そしてそれを知って葛藤する吸血鬼の女王か。悔恨のパトリシアという二つ名があるけど何を後悔しているのだろう。詳しくは覚えていないが、トレーディは奥さんと娘さんを殺されて復讐のために吸血鬼になったはず。その時に手を貸したのがパトリシアだ。どの部分が後悔なんだろうな……。


 なんだか俺とアウロラさんの行く末を見せられたような気がする。立場や状況は全く違うから全然当てはまらないような気もするけど。


 ……何も起きてない未来のことを悩んでも仕方ないか。なるようになれだ。そんな先の心配よりも明日の心配をしないと。今日、明日の昼はゆっくり休んで、戦いに備えよう。

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