第182話 鉄の掟

 昨日の夜は楽しい酒が飲めたフランは自然と笑顔になる。結構飲んだのだが二日酔いにはならず、今日は朝から調子がいい。不満があるとすれば、ヴォルトやクロスたちが朝早くから聖国へ向かったことだ。


 ここよりも聖国の方が大変な状況になっている。それを考えればヴォルトたちを引き留めておくこともできず、笑顔で送り出した。もう一日くらいいればいいのにというのが本音だが、我儘を言うつもりはない。


 酒を飲むのもそうだが、夜に良く寝られるようになったのはパンドラたちのおかげだ。メイド服を着ているのはどうかと思うが、戦力としては申し分なく、夜でも普通に動ける。魔力の供給は必要だが、それくらいなら何の問題もない。


 テントの中で夜間の報告を受けた後、隊長格のルビィ、サフィア、シトリー、アドニアに今日の状況を伝えておく。そして今日からはミリアムも隊長として扱うことも報告した。


 クロスが言うには、自分を含めたこの六人が騎士団にいる限り、女騎士は絶対に負けないとのことだ。なんでそんなことが言い切れるのかと尋ねると、「スキルで分かるから」と返された。


 お金さえあればどんな望みでも叶える意味の分からないスキル。それをクロスが持っていることにも驚いたが、そんなスキルを使っていなかった頃を知っているフランは他の人よりも衝撃が大きい。


 欲を制御するのは難しい。上手く使えば無限にお金を生むことができるほどのスキル。使い方を考え付かないとも思えない。それを使わずに冒険者ギルドでちまちまとお金を稼ぐクロスと、そのスキル所持者のイメージが全く合わないのだ。


 そしてお金を使ってでも叶えたい望みの中に、自分やヴォルトを助けるということが含まれていた。ヴォルトを想う時のような高揚感はないが、家族のような温かさが心に溢れる。


 兄のようにも、父のようにも、そして弟のようにも思えるクロス。そんなクロスがアウロラのために強くなり、お金を稼ごうとしているのを助けるのは当然のこと。それは友人としてだけでなく、恋愛小説好きとしても応援したい。


 そんなことを考えていると、ミリアムがキョロキョロと周囲を見渡していた。


「フラン様、クロス殿はもう聖国へ向かわれてしまったのですか?」

「私のことはフランで。私もミリアムと呼び捨てるから」

「しかし、ルビィ殿達が――」

「私らは元々部下だったので様付が定着してるんですよ」

「私はフランと呼んでるぞ。スカウトされたからな!」


 ルビィとアドニアの言葉にミリアムは少しだけ苦笑いをすると、「ならフランと」と言い、続けて「皆さんも私のことはミリアムと呼び捨てで」と言った。


「話しを戻すが、クロス達は朝早く聖国の方へ向かったからもういないぞ」

「お忙しい方ですね。もう一度お礼を言っておきたかったのですが」

「クロスはそういうのが苦手だから心の中で思うだけで十分だよ」

「もしくはビールを奢った方がいいよね」

「カラアゲを出すのもいいですわ」

「両方だとより効果的」

「あ! 私と戦いたくないから逃げたんだな!? 戦うって言ったのに!」


 先ほどまで真面目な報告をしていたのだが、いきなり場が和む。不思議とクロスの話題を出すと柔らかな雰囲気になる。


「クロス殿はどんな方なのか教えてもらっても?」

「クロスのこと?」

「ええ、クロス殿のことは逃げていた魔国の森でも亜人の皆さんに聞いてはいたのですが、その、昨日の戦いを目撃して――」

「もしかして大したことがないと思ってかい?」


 ミリアムは眉間にしわを寄せ、ばつが悪そうな表情で頷く。


 ミリアムは魔国にいた亜人たちにクロスのことは聞いた。ただ、ほとんどの亜人が会ったことがなく、亜人をまとめているゴブリンのバウルやゴブリン達、そしてアラクネくらいしか直接会ったことがないとのことだった。


 亜人の中には会ったことがないクロスよりもバウルやアラクネを支持する者も多く、実際に亜人国として独立するような提案をしたことがあるらしい。その際にはバウルとアラクネが烈火のごとく怒り、不死者たちよりも怖かったと言っていた。


 どちらかといえば強さを第一に考える亜人たち。その場で最強とも言えるバウルとアラクネが、クロスに対して絶対的な服従を示していることに驚いていたのだが、それは昨日の夜までだ。


 ミリアムは昨日、初めてクロスの戦闘を見た。魔国からエルセンに向かうまでは何体もいるパンドラが護衛をしており、エルセンからここに来るまでは空飛ぶ乗り物だったので、クロスの実力を知ったのは昨日の夜が初めてだった。


 人間でも強い方であるミリアムはいまだに信じられない。目で追いつくのもやっとの高速移動、夜の吸血鬼を地面に叩きつけた上に木刀で押さえつけ、さらには片手で吸血鬼一人を投げ飛ばすほどの筋力。クロスが魔族だとしてもあり得ない。


 最終的にとどめを刺したのはアドニアのホーリースラッシュ。だが、アドニアが一対一で吸血鬼と戦ったところで、あの攻撃が当たるとは思えない。あれはクロスが確実にやれる状況を作りだしたからできたことだ。


 どんなに弱い吸血鬼だったとしても、一対一で戦ったりはしない。複数人で吸血鬼を囲み、倒すというよりも撤退させる。勝つなどは考えず、いかに被害を減らすか、それが吸血鬼との戦い方だ。


 あまりにも普段緊張感がない感じなので、皆から慕われているだけなのかと思ったが、戦闘力で言ってもクロスに勝てる相手が想像できない。


 なので、ミリアムはもう一度会って話をしたかったのだが、その機会を逃してしまったことを残念に思っている。


 そのことをミリアムが説明すると、フランが笑う。


「クロスは不思議な奴だけどね、悪い奴じゃないとだけ思ってればいいと思うよ。むしろいい奴だと思った方がいいかもしれないけど」


 フランが笑顔でそう言うと、ルヴィ達やアドニアもうんうんと頷く。


「はい、それは私も分かっているつもりです。ほんの数日だけですが、色々と気を使ってもらっていましたので。それに前の仲間と再会できたのもクロス殿のおかげですから」


 ミリアムはそう言うと少しだけ頬を赤らめる。この場にいる人でその状況に気づかないのはアドニアだけだ。


「言っておくけど、クロスにアプローチするのはなしだよ?」

「え? いや、そんな……」

「アイツにはアウロラという友人以上恋人未満がいるんだ。だからクロスには手を出してはいけない。それはウチの騎士団では徹底させていることだから」

「騎士団で徹底!?」


 闇百合と黒百合、ほぼ合同の騎士団となっているが、その騎士団の中で一つだけ鉄の掟がある。それはクロスに対してアプローチしてはいけないということ。


 この三年、一度もクロスは来ていなかったので、そんな掟があったことすら忘れ去られていたが、昨日、すべての騎士が思い出したという。昨日初めてクロスを見たという女騎士は多かったが、見た目の理由から「なんで団長はあんなことを掟に?」と不思議に思うほど普通の男だった。


 だが、昨日の夜、ミリアムと同じようにクロスの実力を知ってからは、ちょっと人気が上がった。魔族とはいえ、吸血鬼をものともしない強さに憧れる者は多かったのだ。だが、朝から鉄の掟を忘れないようにと連絡が回ったほどだ。


「アウロラは私の友人でね、そのアウロラが眠っている間にクロスにアプローチするのはフェアじゃない。だからそうしているんだよ」

「分かりました。騎士団の一員として掟を破るわけにはいきませんよね――」


 ミリアムがそう言い終わった直後、テントの外が騒がしくなると、入り口から身軽な恰好をした女性が入ってきた。


「フラン! クロス様が来たって本当ですか!? 紹介してください!」

「メリッサお嬢様……」

「もう! メリッサと呼び捨て構いませんと何度も言っているでしょう?」

「いえ、そういうわけには。クロスならもういませんよ。聖国の方へ向かいました」


 メリッサは膝から崩れ落ちるが、一緒に来たメイド達が素早く支える。


「噂のクロス様にお目に掛かれると思ったのですが、遅かったようですね……」

「お嬢様が会うような人ではありませんよ」

「そうはいっても、あのクロス様でしょう? 眠ったままの恋人を目覚めさせるために信じられないほどのお金を集めようとしている魔族の王子……!」

「尾ひれがつきすぎです。魔族ですが王子ではないですから」

「これくらい妄想は許容範囲です。あら、貴方がエンデロアの騎士様でしょうか?」


 ミリアムはすぐさま敬礼をする。


「お初にお目にかかります。ミリアムと申します……お話は伺っておりました。エンデロアの貴族が大変無礼なことを――」

「それはもう過去の話ですし、今はともに不死者たちと戦う仲間です。それでも気が済まないというなら、私達を同じ仲間と思って戦ってくだされば助かります」

「……ありがとうございます。必ずやお役に立ってみせます」

「期待しています。ところで、ミリアム様はクロス様にお会いになりましたか?」

「はい、この戦場に連れてきてくれたのがクロス殿でしたので」

「それは羨ましい……なにか面白いお話を聞いておりませんか?」

「え? あ、いえ、そういえば、亜人の皆さんがクロス殿は魔王代理であり、アウロラ殿が復活したら魔王になるから崇めるようにと言われたとか」


 その真意はどうあれ、その言葉にメリッサが目を輝かせ、フランは自身の眉間を指で押さえた。


「なんと、クロス様とアウロラ様はそういう関係……! 魔族の王子ではなく、魔王代理……! つまり眠っている魔王のために命懸けで戦いを……!」

「皆、メリッサ様から支援物資をもらって診療所へ置いてきて。こっちもそろそろ出撃だからすぐに準備をするように」


 もっとクロス様のお話を、と言っているメリッサをルビィたちとメイドたちがテントの外へと連れて行く。


 以前はおしとやかなご令嬢という感じだったのだが、あの件があってから行動がアクティブになっている。フランとしては頭が痛いことだが、クロスがエンデロアの貴族にやったことや、現在の事情を話したことがきっかけでもあり、あまり強くは言えなくなっている。


 フランは大きく息を吐くと、真面目な顔になる。


「さて、ミリアム。昨日の今日で悪いけど、すぐに不死者と戦ってもらうよ」

「そのために来ました。どうか遠慮なく使ってください」

「いいね、それじゃ行こうか」


 フランは剣を携えるとミリアムと共にテントを出るのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る