第69話 因果応報

 光が一切入らない部屋。

 光源は壁に掛けてあるランプが一つのみ。

 鉄格子で半分に区切られているその場所に一人の男が倒れていた。

 その男に液体が浴びせられる。


 くぐもった声と共に覚醒した男はキール。

 両手を背中側で縛られ、両足も縛られているため、芋虫のような動きしかできない。動き回った末に、灯りのある方へ目を向ける。

 その目に映ったのは父親であるベルスキア。

 二人の護衛を連れ、倒れたキールから見て鉄格子の向こう側に立っている。


 キールは声を出そうとするが、さるぐつわをされており、話すことができない。

 なんとか立ち上がろうとしてもまともに動けずに転がった。


「そのまま倒れておれ」


 感情を感じない声。

 優しさはもとより怒りも感じない声にキールは怯えた。


「ベルスキアの名が欲しいがために実の兄を殺すとは堕ちたな。商人としてではない、人としてお前は外道に成り下がった。それは魔物にも劣る」


 なんの感情が含まれていない声。

 商人として笑えなくとも笑い、泣こうと思えばいつでも涙を流せるほどの商人が、その辺の石ころに語るように話す。


「ベルスキアの長い歴史の中、常に清廉潔白であったとは言わん。金を得るために人には言えないことをしてきたのも間違いではない。そういう意味では間違いなくお前もベルスキアの血を引いておる」


 キールが首を激しく動かし、床でこすると、布のさるぐつわが緩くなった。


「父上! 私は――」

「お前にチャンスをやろう」

「チャンス……? なんでも言ってください!」

「お前には二つの道がある。二度と外に出ることなく光のない地下で一生を過ごすか、試練を乗り越えるかだ」

「その試練とは……?」

「どんな試練なのかは言わぬ。受けるか受けないかだ」

「ならば試練を! 商人として返り咲いて見せます!」

「……そうか。なら試練を与えよう」


 護衛の男が牢の鍵を開けて中に入る。

 そしてキールの手や足の縄を解いた。


 そのまま牢の外へ出されるのかと思いきや、キールは突き飛ばされる。


「ち、父上?」

「お前が出るのはそちらの扉だ」


 鉄格子がある方向とは逆、キールの後ろ側の壁が開く。

 光が差し込むとキールは理解した。

 これは移動式の牢屋。囚人輸送用の馬車だ。


 外は荒野が広がっていることから、商業都市の外であることが分かる。


「ち、父上!」

「生きてどこかに辿り着ければお前は試練に打ち勝ったということだ」

「こんな荒野で何も持たずどうやって……!」

「知らぬ。お前がやりたいと言ったことだ。最後に一つだけ教えてやる」

「な、何を……」

「お前に浴びせた水は魔物を呼び寄せる香の原液だ。夜は気を付けるのだな」

「ふ、ふざけるな!」

「ふざけてなどおらぬ。兄と同じ形で死に、あの世で詫びるがいい……突き落せ」


 男たちがキールを両脇から支え、そして外へ突き落した。

 キールは大声で叫んでいるが、無慈悲にも扉は閉まる。

 そして馬車が動き出した。




 馬車は商業都市に向かって移動する。

 多くの護衛が馬に乗って同行しており、周囲を警戒していた。


 座席にはベルスキアとジオが乗っている。

 途中まで馬車を追っていたキールが見えなくなったと護衛が報告すると、ベルスキアは「そうか」と答えた。


 ジオとしてはなんと言っていいのか分からない。

 なぜ自分がここに座っているのかも理解していないのだ。

 ただ、ベルスキアについてきて欲しいと頼まれてここにいる。


 話しかけるべきか、それとも黙っているのが正解なのか、答えが出ない。


「怖い思いをさせてしまったな」

「あ、いえ……」


 商人であればこういったこともあるだろうが、少々刺激が過ぎるのは確かだ。

 だが、それを正直に言えるほどの胆力はまだない。


「この場に呼んだのは儂があこがれるような商人ではないと教えたかったからじゃ」

「あこがれるような商人ではない、ですか」

「儂の手も商人としては汚れておる。これもベルスキアの血じゃろう。若い頃は金のためならなんでもするくらいの気持ちがあった。儂もキールと何も変わらん」

「そんなことは――」

「そうなのじゃよ。儂は二人の息子を失った。それは儂がこれまでしてきたことの因果じゃろう。手に入れた物と釣り合うかどうかと言われれば、間違いなく失ったものの方が多い。その因果の一つを見せておきたいと思っておる」

「因果の一つ……?」


 ベルスキアは鏡を取り出すとそこに魔力を通した。

 ジオにも分かる。これは遠隔での会話が可能な魔道具。

 アーティファクトとは違い、金は掛かるが製造が可能なものだ。


 どこへ連絡をするのかと思ったが、その鏡に映った相手を見て、ジオは驚く。

 そこに映ったのは銀色の髪を持つ褐色肌のエルフ。

 魔王に忠誠を誓い、闇の力を手に入れたエルフ、ダークエルフだ。


「誰かと思ったらベルスキアじゃない。久しぶりね」

「相変わらず軽いな。五十年ぶりじゃがお主は変わらぬな」

「たった五十年でしょ……貴方はずいぶんと老けたわね?」

「人間とはそういうものじゃ。儂もそろそろお迎えが来る歳になった」

「へぇ、短命の種族は大変ね。で、今日は何か用? また何か買うの?」

「シェラ、貴様、儂の息子に魔物寄せの香を売ったな?」

「ああ、貴方の息子かどうかは知らないけど、数年前に売った記憶はあるわね」

「そうか。そのせいで儂は息子を二人も失った」

「あらそう。それはご愁傷様。それで私に文句があるって?」

「いや、そんなものはない。怒ってもおらんよ」


 シェラは眉をひそめる。

 ベルスキアは表情を変えておらず、見た目は言葉通り怒ってはいない。


「それじゃ、なんのために? お迎えが来るから最後の挨拶?」

「怒ってはおらんが恨んではおる。なので嫌がらせをすることにした」

「嫌がらせ? どうやって?」

「今後、ベルスキア商会はクロス魔王軍を支援する」


 いままで余裕そうな顔だったシェラの目つきが変わる。

 右手の親指の爪をかじり、ベルスキアを睨んでいた。

 それとは反対にベルスキアは余裕そうな顔になる。


「どうやら思ったよりも効果があるようじゃな?」

「その名前をどこで聞いたわけ?」

「どこでもよいじゃろう。最近魔族が大人しいと思ったらずいぶんと派手な内戦が起きたようじゃな?」

「内戦なんて話じゃないけど、大変なことは間違いないわね。でもクロスを支援するとは恐れ入ったわ」

「何か問題でも?」

「問題しかないわ。はぁ、百年くらい大人しくしていられないのかしら?」

「百年じゃと?」

「私もヴァーミリオンもクロスには関わりたくないのよ。アイツが寿命で死ぬまで放って置こうって取り決めだったのに、アウロラがクロスを言いくるめて色々やってるからこっちは困ってたの。何がアウロラもクロスも田舎でのんびり暮らすはずよ。ヴァーミリオンの予測も当てにならないわね」


 事情は分からないが、クロスが四天王に恐れられているという情報を得られたのは僥倖。ベルスキアとしては単なる宣戦布告だったのだが、情報を得られるならとさらに話を促す。


「そんなにクロス殿が怖いのか?」

「そうね、得体が知れないってことではヴァーミリオンよりも怖いわ。せっかく魔国から追いやったのにまたこっちに影響を及ぼすなんて本当に面倒」


 思いのほか評価が高い。

 人間の世界でも吸血鬼であるヴァーミリオンの名前は有名だ。

 シェラはそれよりもクロスの方が怖いと言っている。


 これはクロスの評価を改めないといけない。

 ベルスキアはそう考えた。


「お前に対する嫌がらせとしては最高の結果じゃな。支援の甲斐がある」

「好きにしなさいな。忠告しておくけど、クロスに関わると色々変わるわよ。良い方に変わるか、悪い方に変わるかは知らないけど」

「……そうじゃな。確かに変わった。だが、少なくとも儂が生きているうちに新たな希望を見ることができた。クロス殿に感謝しかない」

「歳をとると詩人になる人が多いわね。まあいいわ、私とやり合うと言うならこっちもそれなりの準備をしておく。それじゃもう会わないと思うけど、貴方の老後が穏やかであることを祈っててあげるわ」

「それだけは感謝しよう」


 そこまで言うと、特に未練もなく鏡の映像が消える。

 直後にひびが入り、鏡が割れた。


 このやり取りを見ていたジオは大きく息を吐いた。


 相手は魔王軍の四天王シェラ。

 三百年は生きているダークエルフという話をクロスから聞いている。


 状況から考えて、ベルスキアもシェラと取引をしていた。

 これを因果と言った理由は何となくジオにも分かる。

 魔物寄せの香を使ってベルスキアもはるか昔に何かをしたのだ。


 その因果が二人の息子をベルスキアから奪った。

 ベルスキアはそう思っているのだ。


「これで分かったじゃろう。人を呪わば穴二つ。因果は巡るものじゃ」

「……はい、会長の教えとして胸に刻んでおきます」

「そうしてくれ。商才なき者は力に頼る。そして力を頼れば、力におぼれ、すぐに一線を越える。儂もキールも踏みとどまることができんかった。後悔したところで何の意味もないがな」

「そんなことは……」

「あるのじゃよ。儂はもう長くはない。いつか行く場所もキールと同じ場所だろう。じゃが、少しでも清算しなくてはな……そこで頼みがある」

「私にですか?」

「うむ。お主はいつか独立して自分の店を持つことが夢じゃったな」

「はい、そのつもりですが」

「ベルスキアの右腕とならんか」


 その言葉にジオは息を飲む。

 ベルスキアの右腕といえば、言葉の意味以上に役職的な権限が与えられる。

 ただ、それは独立するという夢を諦めるという意味でもある。


「しばらく儂の元で働き、いつかベルスキアとなるメリルを支えてやって欲しい」

「メリルお嬢様を?」

「うむ。あの子はお金の稼ぎ方を知っておるが、まだまだ危うい。それにあの子もベルスキアの血を引いておる。いつか一線を越えようとしたとき、お主に止めてもらいたいのじゃ」

「……私がお嬢様と一緒に一線を踏み越えるとは考えないのですか?」

「お主にそれはできぬ。故郷に待たせている女性がおるのじゃろう?」


 その言葉にジオは恐怖を感じた。

 恋人を人質に取られたようなものだからだ。


「怯えなくてよい。儂はこれ以上罪を重ねるわけにはいかぬ。それはメリルを危険にする因果を増やすことになる。キールにしたことが儂の人生で最後の罪じゃ」

「……わかりました。私もお嬢様がどこまでできるのか見てみたいと思っていましたので。ですが、いつかは自分だけの店を持つつもりです」

「老い先短い老人の願いを叶えてくれて感謝しかない。そしてすまぬ。儂にできることならなんでもするので、何かあれば言ってくれ」

「なら結婚式の資金を頼んでも? 彼女や両親をこちらに呼んで派手にやれば怒られないと思いますので」

「いつかメリルにしてやる結婚式ほどではないが、派手にやると約束しよう」


 二人はようやく笑う。


 悪人ではないが善人とも言えないベルスキア。

 二人の息子を失ってもこれまでの罪が赦されたとはいえないが、その罪が孫に及ばないようにしようとしている。

 そんな人から頼まれてしまっては拒否することもできない。


 もちろん、メリルにどこまでの商才があるのかというのはジオも気になっていた。

 田舎で一緒に店をやろうと約束した彼女には怒られるかもしれないが、派手な結婚式で許してもらおうとジオは今後の計画を練ることにした。


 一通り笑い終わると、ベルスキアは思い出したようにジオに尋ねた。


「ところで、クロス殿が一目置かれておる理由を知っておるか? シェラのあの顔は演技ではないと思えたのだが……」

「いえ、全く知りません。そもそもクロスさんは強いのですかね?」


 クロスはそこまで強そうに見えないし、頭が切れるようにも思えない。

 戦闘力で言えば、メイガスやアラン、それにカガミの方が上だ。アウロラとパンドラに関しては戦闘に関する情報がなかったので評価できないが、少なくともクロスより上に思える。

 戦闘力が低いのに全員が慕っているというところから、血筋がよい魔族なものかと思っていたが、話を聞く限りそうでもない。


「暗殺者を倒したのはクロス殿らしいが人間と魔族じゃ。身体能力が違うからな」

「そういえば、あの暗殺者はどうなりました?」

「……所属している組織に手紙と金を添えて送り返した。もう会うことはないじゃろう。任務に失敗した者を許すほど甘い組織ではないじゃろうからな」

「あ、はい」

「お話し中すみません、少々よろしいですか?」


 馬車の外から護衛が話しかけてきた。


「問題か?」

「あ、いえ、問題はありません。周囲には何もいないのを確認しております」

「そうか。で、どうした?」

「お話が聞こえたので、お伝えしておきます。あの暗殺者のことですが――」


 護衛の話によると、暗殺者が目を覚ました時に暴れたらしい。

 そして負傷者を出しながらも五人がかりで抑え込んだとのことだった。


「暴れたとは聞いておったが、お主たちのような戦士が五人がかりじゃと?」

「はい、相当な手練れでした」

「そうか……ちなみに魔族と戦ったことはあるか?」

「いえ、ありませんが、身体能力に差があっても五人がかりほどではないかと。それなら過去の戦いで魔族に勝つことはありえません」

「それは……そうじゃな。つまりクロス殿は手練れの戦士五人よりも強いと?」

「状況が分かりませんのでなんとも。ただ、襲ってきた傭兵団の何人かを尋問したのですが、クロスさんという方にはクロスボウの矢が一本も刺さらなかったとか」

「クロス殿にか? 魔族とはそこまで……?」

「先ほどもいいましたが、そんなわけありません。そんな状況なら我々人間は魔族との戦争で勝てません」

「そ、そうじゃな……」

「それにミスリルで出来た檻を木刀で破壊したとも言っていました」


 ベルスキアとジオは絶句する。

 会議室へキールと暗殺者を連れてきたときは「捕まえてきた」と軽く言っていたので、簡単だったのだろうと思っていたのだ。


 そこでジオは思い出す。


「そ、そういえば……」

「ジオ? 何かあるのか?」

「クロスさんが初めて店に来たとき、安売りのアーティファクトを買ったんです」

「ああ、古代迷宮の中層へ行くための指輪じゃな」

「は、はい。ただ、その時の選び方……」

「選び方?」

「なんの迷いもなくあの指輪を手に取ったと記憶しています」

「……クロス殿は最初から知っていて指輪を手に取ったと?」

「わ、分かりません。ただ、あの指輪だけを買ってすぐに店を出ました」


 五人がかりで抑えなくてはいけない暗殺者を倒し、誰も知らないアーティファクトを知っていて、魔国で一番有名な組織のボス。そして四天王のシェラが言っていたクロスに対する評価は「得体が知れないから怖い」。


 ベルスキアとジオの二人は今になってその評価が正しいと思い始めたのだった。

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