第50話 悪魔のささやき

 聖国の首都、ホワイトベルでは息苦しい雰囲気が漂っていた。


 この都の象徴でもある大鐘楼は無残にも地面に落ちている。

 人的被害は少ないものの、南と東の門は破壊され、異端審問で有罪になった者たちは全員が逃げ出し、教会本部もこれまでの歴史にないほど破壊された。


 本部を襲われ、さらには襲撃者にみすみすと逃げられたことは教皇に責任がある。

 女王コルネリアはそう主張して、教皇派の信者を全員捕らえた。

 そして玉座の間で教皇オリファスを非難した。


 ただ、これはパフォーマンスに過ぎない。

 これを機に大きくなり過ぎた教会という組織を押さえつける。

 そして聖国の方が上だと知らしめるだけの行為だ。


 だが、いつもなら頭を下げる教皇オリファスは反論した。

 やったのは魔族だが、それを手引きしたのは女王だといったのだ。

 お互いのスパイにも言及し、玉座の間はこれまでにないほど混乱している。


 女王と教皇の関係は悪い。

 それは聖国と教会でもごく一部しか知らない。

 教皇は女王の言うことに逆らうことは今までなかった。

 それが周囲に関係が良いように見せていたのだが、今回は事情が異なる。


 教皇は女王に対して真っ向から反論しており、今までのことが嘘のように堂々としている。この場にいる教皇派の人間は、ここでやり合う気か、と覚悟を決めた。


 だが、教皇オリファスが言った言葉で状況が変わる。


「あー、もー、めんどくさ。もう神を見つけたらどうでもいい。責任をとって教皇をやめる。あとは好きにして。はい、かいさーん」


 そう言って教皇の証であるサークレットをコルネリアの足元に放り投げた。


 それに黙っていられないのが女王コルネリアだ。

 常に施政者として威厳を保っていた女王だが、アップにしてまとめられた金髪がほどけるほどの勢いで立ち上がった。


「何を言っておるのじゃ!」

「だーかーらー、教皇なんてもうやめるって言ってるの。次の人形を探したら?」


 傀儡だった皮肉だろうが、半分以上黒髪に隠れた顔は明らかに嘲笑している。


 玉座の間には聖国の兵士が多くいる。

 そんな場所で女王を嘲笑したとなれば、どんなことになるのかは子供でも分かる。

 だが、そんなことはお構いなしのオリファス。


 それは当然だろう。

 今、この場にいる者の中ならオリファスが一番強いのだ。

 女王派の戦力を全部含めても強いだろう。


 オリファスはメタトロンという専用魔法を使えるだけではない。

 教皇になる前は多くの人に恐れられた魔女なのだ。


 神の力に魅了され、女王と取引して教皇という立場に就いた。

 教会の組織力を利用し、ディエスと神を呼び戻そうとした。

 だが、教会は求心力を失い、堕天使はもういない。

 なら、教会という組織にどれほどの価値があるだろうか。


 それに神はもういる。

 多くの力を集め、魔王を封印することはできても、ディエスは負けた。

 ディエスの器だった男は何があったのか覚えていない。

 とぼけた演技をしているわけでもなく、明らかにディエスはどこにもいない。

 ならば聞いた通り、ディエスは食べられた。


 そんなことができる存在にオリファスは体が震える。


「神を呼び戻すために色々してたけど、神はもうこの世界に戻ってた。その神が教会を襲撃したの。教会の在り方を考え直した方がいいんじゃない……?」

「神はもうおらん!」

「どう思おうと自由だけど、私はあの方が神だと確信した。だからもう教会にも教皇にも興味がない。あー、テンション上がってきた……!」


 ふらふらと体を左右にゆすっているのは喜びの表現なのか、少々不気味ではある。

 その動きがピタリと止まる。


「今回は教会本部で済んだけど、次は聖国そのものかもね……?」

「なんじゃと……?」

「神の名のもとに好き勝手にやってたのは教会だけじゃないでしょ? 教会を隠れ蓑に聖国は他国に対しても色々してたし。あの方が何に対して怒ったのかは分からないけど、私と一緒に神を呼ぼうとしていた堕天使ディエスは食べられちゃったみたいよ……?」

「た、食べられたじゃと……!」


 コルネリアの顔がゆがむ。

 堕天使ディエスのことは知っている。その力も見たことがある。

 最終的にはアマリリスに封印されている悪魔を食べるという約束があったので自由にさせていたのだが、その天使を食べる存在がいるということになる。


 オリファスが言っていることを鵜呑みにするわけにはいかないが、少なくともディエスよりも上が存在する可能性が高い。


「私はこれからあの方を探しだして謝罪するつもりだけど、邪魔をするなら戦ってもいいよ……?」


 オリファスの魔力が膨れ上がる。

 バチバチと電気が体をめぐっているようで、手入れがされていない髪が重力に逆らい大きく広がっていく。

 初めてまともに顔を見せたオリファス。その造形は良いが、目は黒い渦巻のように回っており、おおよそ人ではない。


 だが、それにひるむコルネリアではなかった。


「面白い。貴様とは一度やり合うべきだと思っておったところじゃ」


 コルネリアは玉座から立ち上がる。

 すると何もない空間に四本の剣が現れ、コルネリアの前の床へ突き刺さった。


「トールハンマー」

「エリゴス!」


 オリファスから極大の電撃が放たれる。

 それが向かったのはコルネリアの方だが、周囲にいた者達にはその余波だけで感電し、倒れる。


 だが、コルネリアの前にある剣の一本が輝くと、その魔法を打ち消した。

 コルネリアに全くダメージがないとは言わないが、致命的なダメージはない。


「あー、めんど……死にたい……まだ死ねないけど」

「これで分かったじゃろう! お主の最強魔法でも我を倒すことはできぬ!」

「あれが最強なんて一言も言ってないけど? ……うける」

「次の魔法を撃たせてもらえると思うな! マルコシアス!」


 またも剣の一本が輝くと、青い炎の狼が出現しオリファスに襲い掛かる。


「メタトロン」


 玉座の間に白く光る模様が現れる。それがさらに光ると、狼が減速し、さらには床に倒れた。ダメージを受けたわけではなさそうだが、力が入らないのか、立ち上がるどころか、全く動かない。


「なんじゃと……?」

「ディエスから聞いたけど、その剣に封印されているのは悪魔なんだってね……だから私のメタトロンも通じるの……そういえば、あの方は魔族なのに全く効いてなかった……やっぱりそうだ……ウフ、ウフフフ……!」


 恍惚な表情で笑うオリファス。

 だが、すぐに真顔になった。


「で、どうする? まだやる? 残りの剣を出してもいいよ……?」


 コルネリアはオリファスを睨んでいたが、大きく息を吐くと玉座に座りなおす。


「分かった。見逃してやる。どこへでも行くが良い」

「見逃されたのはどっちなのか分かってないようだけど、それでいいよ……それじゃ、私の支持者も連れて行くね。もう、いないかもしれないけど……う、自分で言ってて吐きそう……」

「とっとと出ていけ!」


 オリファスの髪が元に戻り、いつもの姿になると、背中を向けて玉座の間を出て行った。そしてこの場にいた何人かはオリファスの後についていく。

 それを止めようとした人が何人かいたが、コルネリアは「放っておけ!」と一度だけ言い、自らも玉座の間を退出するのだった。




 それから二週間後。

 町はずれの教会にアマリリスとグレッグがいた。

 アマリリスは礼拝堂で膝をつき、神の像に祈りを捧げている。


 グレッグは女王派、アマリリスは派閥とは無縁であったため、捕まることはなかった。だが、女王から教会関係者は連絡があるまで本部か教会で待機せよ、という命令が下ったので、二人はここにいることにしたのだ。

 大半の信者は事情が分かっておらず、教会本部で待機しており、ここには二人以外はいない。


「アマリリス君、何に祈っているのかね?」

「何に祈っていると思いますか?」


 アマリリスはいたずらをした子供のような笑みを浮かべてそう言った。

 今までそのような返しをしたことがないアマリリスに驚くが、そういうこともあるだろうとグレッグは笑う。


「ふむ……私の予想ではとある魔族の男性に祈っているのかと思ったが」

「正解です。あの方はサンディアちゃんに譲渡されたスキルを全て消してくださいました。病気の方は分かりませんが、おそらくあの方はそれも治せるでしょう。なので今だけは何もしてくれない神よりも人を救ってくれたあの人へ祈りを捧げています」


 神への背信行為ともいえる言葉を神の像の前で言う。

 少し前のアマリリスなら絶対にありえないことが目の前で起きている。

 グレッグはこれがヴァーミリオンが言っていたことかと複雑な思いになった。


 神がいるように振る舞っていた教会なぞ潰れてしまえ、そう思ってクロス達に協力したが予想以上の形になった。

 教会という組織が潰れることはなかったが、その上層部は刷新され、新たな教会が発足しようとしている。神に祈り、弱い者のために尽くす組織。そんな教会に生まれ変わろうとしているのだ。


 女王の息がかかった者たちが教会を牛耳るのは仕方ないことだが、今回の件で逃げ出した人達から教会の悪行がばれてしまい、聖国はそのイメージを払しょくするためにもクリーンな対応をしなくてはならない。


 聖国は信者の寄付金も重要な資金源となっている。そして神を信仰しているということから教会という組織を潰すことはできず、上層部を全員変えるという苦肉の策しかなかった。


 ヴァーミリオンの言う通り、自分の思い通りにはならなかったが、それ以上の結果になった。それをしてくれたクロスには、アマリリスと同じように祈りを捧げたいところだ。


「もう二週間になりますが、グレッグ様はこれからどうされるのですか?」

「私かね? この待機が終わったら教会を辞めてどこか田舎で暮らすつもりだよ」


 クロスが言っていた通り、神がいようがいまいが関係ない。

 そして教会に所属していてもいなくても関係ないとも思えるようになった。

 治癒魔法は得意な方ではないが、それでも田舎の方なら重宝されるはず。

 そこでのんびりと誰かを助けながら生きようと考えている。


「アマリリス君はどう……いや、愚問だったな。体の中に悪魔がいる限り、君は教会という呪縛からは逃れられんか。女王が教会最大の汚点を自由にさせるわけがない」

「その通りではありますけど、グレッグ様が悲しそうにする必要はありません。私のために色々と調べてくれていたのは知っていますから」

「結局はなにもできなかったがね」

「その気持ちが嬉しいのです。それに今は私にも希望がありますから大丈夫ですよ」

「……祈っていた男性のことかね?」

「……はい」


 少しだけ頬を赤らめてそう言ったアマリリスをグレッグは美しいと思った。

 孫くらいの年齢の女性に対してそんな風に思うとは自分も若いなと思いつつ、笑ってしまう。つられてアマリリスも上品に笑った。


 だが、そんな和やかな雰囲気をぶち壊す声が聞こえた。


「こーんーにーちーはー」


 女性の声が聞こえ、勢いよく扉が開く。

 グレッグがアマリリスをかばう様にして前に出ると、その人物を見て驚いた。


「オリファス様!?」

「グレッグ……だよね? こんにちはー……うっぷ、無理矢理明るい声をだしたら気持ち悪くなってきた……」

「な、なぜここに? 聖国を追放されたはずでは?」

「あー、うん、そういう気が滅入ること言わないで。ちょっと用があって戻ってきただけだから」


 そう言ったオリファスはアマリリスを見て精一杯の笑顔を作る。


「アマリリス……だよね?」

「は、はい、そうです。オリファス様、この教会に御用ですか?」

「うおぅ、いい子のオーラで浄化されそう……この教会じゃなくて貴方達に用があって来たんだよね……」

「私達にですか?」

「うん、そう。貴方達、あの襲撃に関わっていたでしょ……?」


 クロスやアウロラが色々と配慮してくれたおかげで、グレッグとアマリリスはあの襲撃とは関係ないとされている。それでも孤児院の人などは気付いていたが、これまでの恩からアマリリスをかばう形で何も言わないようにしていた。

 むしろ教会の不正を暴くために行動した結果だと隠れて絶賛中だ。


「あー、下手な言い訳はしないで。聖都を出る前に多くの『目』を残してるから分かってる。バラすつもりはないし、そんなことよりも教えて欲しいことがあるの……」

「な、なんでしょうか……?」

「教会を襲撃したあの方――魔族がどこにいるのか教えて。あの場にいた勇者やその妹もいなくなっちゃって、さらには追跡用のスキルもなくなったからどこにいるのか分からないのよね……そういうのはディエスがやってたし……」

「知りません」


 アマリリスは毅然とした態度でそう言った。

 たとえ、自分が知っていることをオリファスが確信していても、自分からクロスを売るような真似はしない。アマリリスは髪で半分は隠れたオリファスの目を見つめてそう言った。


 目を逸らしたのはオリファスの方だ。


「あ、あまり見つめないで……そういう意思のある目は胸が苦しくなるから。うっ、鼓動が……」


 オリファスは深呼吸してから、ちらちらとアマリリスの方を見る。


「言っておくけど襲撃した人に報復するつもりじゃないの……むしろ会ってお話したいというか……そばにいたいっていうか……ファンですって言いたい……」


 両手の人差し指をちょんちょんと当てているオリファス。


 驚いたのはグレッグだ。

 教皇はいつも面倒くさそうにしている印象しかない。

 そんな人物がここまでの反応を見せるのは初めてだからだ。


 だが、今の言葉を聞いて、ヴァーミリオンの言葉を改めて思い出す。

 ならば、とグレッグは賭けに出た。


「オリファス様、ちゃんと事情を説明してくださいますか。その事情が納得できるものなら教えましょう」

「グレッグ様!」

「待ちたまえ、アマリリス君、これはチャンスかもしれないぞ」

「チャンス……?」


 グレッグはアマリリスだけに聞こえるように小さな声で囁いた。


「教会を辞めて私とあの村で診療所を開かないかね?」


 何がどうなればそうなるのか分からないアマリリスだったが、その提案はかなり魅力的な悪魔のささやきのように聞こえた。

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