第17話 軍師の憂鬱と決意

「あ、いけね」

「どうしました?」

「ゴブリン達へのボーナスを忘れてました。ちょっと酒を取りに戻ります。アウロラさんとアルファは先にダンジョンへ戻っててください」


 ダンジョン「ゴブリンのねぐら」に戻る途中、クロスはそう言って冒険者ギルドへ引き返した。先ほどまで冒険者ギルドでフランが部下になるならないの議論を交わしていたのだが、結局はクロスが降参した。

 そもそも魔王にはならない、どうでもいいと諦めた結果だと本人は言っている。


 本人が望んでいないことは分かっている。

 だが、アウロラはそれでもクロスに魔王になってもらいたい。


 魔王とは魔国の絶対的な力。ただ、その国の在り方は魔王の気分次第。ここ数年、軍師としてある程度は戦闘をコントロールできたと自負しているが、それでもある程度でしかない。


 魔族はつまらない戦いで命を落とす。

 しかも戦いで死ぬことを誉れだと思っている。


 魔王には聖剣という絶対的な弱点がある。

 聖剣で魔王が倒されたとき、魔国と魔族はどうなるのか。

 アウロラの予測でしかないが、数十年で滅ぶ。


 存在は知っていたが、それがどこにあるのかは分かっていなかった。

 それがクロスが管理するダンジョンにある。

 それは僥倖とも言える状況だった。


 だが、それは後になって判明したこと。

 魔王が封印されたことで疑似的ではあるが、危惧していた状況になった。

 そしてアウロラの予想通り、魔王に次ぐ力を持った者たちの争いが勃発した。


 アウロラは最初、自分が魔王の代わりになろうと考えた。

 だが、諦めた。


 自分に味方する魔族が少ないためだ。

 一対一なら負けることはないが、そんな戦いをする理由は四天王側にはない。

 量で攻められれば多くを巻き添えにはできるが確実に負ける。


 なのでアウロラは自分が魔王代理にならないことを条件に不戦条約の提案をした。

 そして戦い以外で魔王代理を決めろとも。ただ、提案を受ける代わりに魔王代理の嫁になり、魔王城で大人しくしていろと言われた。


 事情は分かっている。

 魔王代理にはならないとは言ってもことあるごとに意見されては邪魔でしかない。

 嫁とはただの方便で、景品は口を出すなと言っているに過ぎない。


 それが分かったので、自分がいるダンジョンを攻略しろという条件に変えた。

 この提案は四天王たちが喜んだはず。邪魔をしなければなんでもいいのだ。

 四天王側にメリットが多いが、大規模な争いを止めるにはこれしかなかった。


 だが、それも一時的でしかない。


 四天王は不戦条約が結ばれている今のうちに力を蓄える。

 アウロラがどこかのダンジョンにいるというなら好都合。

 どのダンジョンにいるのか調査はするだろうが、攻め込む必要はない。

 そこへ閉じ込めようとするだろう。


 その間、四天王たちは魔国で好きに戦力を増強することができる。

 中立を保つ勢力や魔国にいる強力な魔物たち、それらを味方に引き込むだろう。

 そして戦力が整ったとき、改めて戦いが始まる。


 アウロラは思う。


 自分に他人を引き付ける魅力やカリスマはない。

 その見た目から慕ってくれる魔族はいるが、命を懸けて戦ってくれる人はいない。


 だが、クロスなら。

 何事にもほどほどで、何事にもこだわらず、飄飄とした人物。

 死すら回避する得体のしれないスキルを持ち、関わった人はなぜか命を懸けるほどの感謝をする。クロスが四天王候補だったころの部下なら、本人が呼びかければ必ず味方になるだろう。


 そんなクロスが魔王となり、魔国を治める。

 完璧な魔王を期待しているわけではない。

 国の運営、実務などはできる人がやればいい。


 ただ、クロスが魔王となれば、戦いと死しかない魔国を自由で平和な国へ変えてくれるような期待感がある。それには魔族を従えるだけの力も必要だが、アウロラはクロスにはそれができるだけの何かがあると確信している。


 理想を押し付けるのはただのわがままだ。

 それでもそうなって欲しいとアウロラは思っている。


「アウロラお姉ちゃんはクロスお兄ちゃんに魔王になってもらいたいの?」


 冒険者ギルドでの話を聞いていたからだろう。

 アルファは歩きながらアウロラのシャツの裾を少しひっぱり見上げている。

 その無垢な白い眼に見つめられると、アウロラは罪悪感が増す。


「気になりますか?」

「うん。お兄ちゃんはやる気がないみたいだし、しつこいと逃げ出すかも。私はそれについていくけど、ここは楽しいからずっといて欲しい」


 するどい指摘だと思った。

 アウロラとしてもそれを一番危惧している。


 クロスには何かに対する執着がなさそうに見える。

 金、物、立場、そして人。捨てようと思えばいつでも捨てられるだろう。

 情がないというわけではない。何が最善なのかを決めるのが早いのだ。

 そしてその最善にはクロス自身の希望が含まれていない。


 今回はフランとヴォルトのために動いたが、結果的に二人は戻ってきたものの、帰ってこない可能性もあった。むしろ帰ってこない可能性の方が高かったにもかかわらず、クロスは実行した。


 二人と別れることになったとしても、ためらいなく行動したのだ。

 これは二人の幸せのため、もしくは不幸を回避するために動いたということ。

 そんな行動を、自分のためにもしてくれるかどうか。


 正直、アウロラには自信がない。というよりも、しないと思っている。

 クロスにとって自分は面倒な人でしかない。

 なりたくもない魔王になって欲しいと言われ、四天王に狙われる元凶でもある。


 面倒なことをする厄介な上司――これは甘い評価で、人生で最も関わりたくない人物であってもおかしくない。今の自分はクロスの「元上司だから」という微かな義理によってここにいられるだけだ。


 その関係をなんとかしたいとも思っているが、人づきあいが下手なアウロラはどうすればいいのかよく分からない。冗談を言って壁を取り除こうとしても、センスがないと言われて仲良くなった気配もない。


 いまだに上司と部下の関係――ならまだマシで、知り合い以下のような気もする。


 女子会で事情を伏せて相談したとき、フランたちは「惚れさせればいいんじゃないか?」と言ってたが、彼氏いない歴が年齢と同じ女性陣からの意見は微妙におもえたし、必殺技も効果がなかった。


 逆にフランとヴォルトはちょっといい感じになっており、その技術を盗めるかと凝視したが、なぜそうなるのだろう、と疑問しか浮かばない。


 何かをしてほしいなら、まずは何かをするべき。だが、魔王になって魔国を治めて欲しいという行為に見合うだけの何かは、いくら考えても思いつかない。


 そんなことを考えていたら、いつの間にかダンジョンへ到着していた。

 アルファは「聖剣ちゃんのところへ行く」と言ってダンジョンの奥へと向かった。


 アウロラも部屋へ行こうと思ったところで、ゴブリンたちがやってきた。

 ゴブリンたちはアウロラの周囲を見渡すようにしてから通路を塞ぐ。


「ボスはいないんですかい?」

「クロスさんは皆さんへのボーナスを用意するために冒険者ギルドに戻りました。しばらくすれば来ると思いますよ」

「そうですか……なら、ちょっと話せますかね?」

「構いませんが、その殺気に関係がある話ですか?」


 ゴブリンが数体、アウロラに向けて殺気を放っている。

 これまでにも何度かあったが、今はクロスがいないためか、隠そうともしない。


 クロスは慕われて自分は嫌われる。

 アウロラはため息をつきたくなるがぐっとこらえた。


「回答によっては殺気をひっこめますよ」

「なにか私に言いたいことがあるのですね?」

「ええ、ボスをくだらないことに巻き込まないでもらえませんかね?」

「くだらないことですか」

「魔王代理を決める戦いなんてくだらないでしょう? 戦いと死にしか興味がない魔族がいまさら何をしようとしてるんです? とっとと共倒れになればいいんですよ」

「……そうかもしれませんね」


 魔王がいない。それだけの理由で魔国は分裂した。

 そして誰も魔王の復活を望んでいない。

 魔国とは、そして魔族とはなんなのかと言いたくもなる。


 個人の思想が違うのは当然だ。

 だが、仲間という考えがなさすぎる。

 それは人間も同じだが、魔族は人間よりも極端だ。

 そして強い魔族ほどその傾向にある。

 これでは魔王の封印が解かれる前に魔族が全滅する。


 それを魔族の誰もが問題視していない。疑問にも思っていない。

 大半の魔族にとって、そんなことは知ったことではないのだ。

 魔王という絶対的な支配者がいなければ滅ぶしかない国、それが魔国。


 だれが魔王代理になろうと魔王の代わりは務まらない。

 一時的な勝ちはあるだろうが、それは続かない。

 誰かが魔王代理になってもすぐに成り代わろうと考える魔族が現れるだけ。

 それは魔族が最後の一人になるまで続く。


 そして滅ぶ。


「ボスはね、自由と平和を愛する方なんですよ。アンタらとは違うんです」

「そうですね、クロスさんは争いごとが嫌いでしょうね」

「それが分かっていながら巻き込もうと?」

「……ええ。すべての魔族を知っているわけではありませんが、魔王にふさわしいのはクロスさんだけだと確信しています」


 ゴブリン達の殺気が膨れ上がる。

 だが、アウロラはまったく気にしていない。


「私を倒せそうですか? ゴブリンキングさん」


 その言葉にゴブリンは目を細めた。


「知ってたんですかい?」

「当然です。知らないのはクロスさんくらいでしょう。ゴブリンたちの部族のなかで最強を誇った貴方たちがここにいたのは驚きました。滅んだと聞きましたが、クロスさんに命を救われたのですか?」

「ええ、アンタのところの四天王に負けたあと、この辺りまで敗走しましてね。最初は追手かと思ったんですが、ここへ匿っていただけまして」

「なるほど。クロスさんらしいですね」

「ええ、感謝してもしきれませんね。なので、ボスがくだらないことに巻き込まれないようにさせていただきますよ」

「さっきも聞きましたが、私を倒せそうですか?」


 ゴブリンは鼻で笑う。


「無理に決まっているでしょう? でも、俺たちを殺したとなればボスはアンタに手を貸さない。ここからも追い出すでしょうね。それくらいの関係は築けていると思ってますよ」

「見事な作戦です。おそらくその認識で間違いないでしょう」

「このまま黙って倒されるか、それとも俺たちを倒すか。俺たちとしてはどっちでも構いませんよ。ボスが巻き込まれない状況になれば俺たちの勝ちなので」


 魔族も魔物も義理人情はほとんどない。にもかかわらず、王と呼ばれる最強のゴブリンとその家臣たちはクロスのために命を懸ける。


 血筋を重視する人間とは違い、魔物の王はなろうとしてなれるものではない。

 皆から支持されて王となる。

 その王がクロスをボスだと認めて行動している。

 それだけでもクロスには魔王の資格があると確信できる。


 何かをしてほしいと願うよりも、何かをしてあげたいと思える王。

 損得ではなく、義理人情でそう思えることはなんと素晴らしいことか。

 それこそがアウロラの理想とする魔王だ。


「一つ言ってもいいでしょうか?」

「遺言なら聞きますぜ」

「クロスさんが魔王となって自由と平和な国を作る。そんな想像をしてもらいたいのですが」


 この場にいるゴブリン達から殺気が消える。

 だが、それは一瞬。すぐに殺気が戻った。

 ただ、先ほどまでの殺気はない。


「貴方がボスと崇める方が魔王になった想像はどうでしたか? 魔族も魔物も平和で自由に暮らせる国。素晴らしいと思いませんか?」

「どんなに素晴らしいことでも夢は夢、現実とは違います。それに俺たちはボスが嫌がることをしない。そしてさせない。それが俺たちに自由と平和を教えてくれたボスへの恩返しなんでね」

「残念です。貴方とはいい酒が飲めると思ったのですが」

「俺からも一ついいですかね?」

「遺言でなくとも聞きましょう」

「アンタが魔国を捨て、ここでボスと幸せに暮らす想像をしたらどうですかい?」


 なんと魅力的なことをいうのだろうとアウロラは思う。


 魔国も魔族のことも忘れ、ここで幸せに過ごす。

 日々働き、気の置けない友人たちと食事と酒を楽しむだけの毎日。

 魔国は大変なことになるだろうが、魔国や魔族を切り捨てればそんな幸せがある。

 それは想像しただけで胸が温かくなる未来だ。


 だが、それはない。

 魔王軍の軍師としてではなく、魔王の娘としてそれはできない。

 魔族と魔国の未来を捨てることはアウロラにはできないのだ。


「貴方の言葉通りですね。どんなに素晴らしいことでも夢は夢で現実ではありません。私には魔国も魔族も切り捨てることはできません。そしてクロスさんを魔王にすることも諦めません」

「残念だ。アンタが魔族にしては悪い奴じゃないことは分かっているが、ボスの生活を守るのが俺たちの役目だ」


 改めてゴブリンたちから殺気があふれる。

 これ以上は引き延ばせない。アウロラが覚悟を決めようと構えた時だった。


「こんなところで何やってんですか?」


 クロスが入り口から入ってきた。

 しかも両手にいっぱいの食料と酒を持って。

 すぐにゴブリンたちから殺気が消える。


 クロスは何も気づいていないようで、不思議そうにアウロラとゴブリンたちを交互に見ている。


 アウロラは安堵した。時間を稼いだ甲斐があったというものだ。

 今後どう転ぶかはまだ分からないが、少なくとも今この場は回避できた。


「ちょっとゴブリンさんたちと話をしてました」

「そうですか。でも、もう遅い時間なんで早く寝たほうがいいですよ。フランさんが帰ってきたので、明日から薬草採取を再開せるんで」

「はい。ところで、その両手にあるものはゴブリンさんたちへのボーナスですか?」


 クロスは笑顔で頷くと、ゴブリンにそれらを渡そうとした。


「襲撃でゴブリンたちも活躍した話をしたら、フランさんがお礼に甘い菓子もくれたよ。人気の菓子らしいから、子供達にも喜んでもらえると思う」

「え、あ、ども。いただきます」

「それにヤギのミルクも貰ってきた。この間、赤ちゃんが生まれたんだよな? まだ普通のミルクは早いかな?」

「おかげさまで元気な男の子が生まれました。ここで生まれた初めての子です。たぶん、ミルクも大丈夫だと思います。ゴブリンは成長が早いんで」

「それならよかったよ。これとは別にあとで出産祝いを持ってくから」

「しゅ、出産祝い?」

「ゴブリンにそういうのない? 生まれた赤ちゃんのためのお祝いなんだけど」

「あー、ないっすね……」

「そっか。でも、あとでなんかお祝いをもってくよ。そうだ、赤ちゃんのことを報告してもらったときに教えてもらったんだけど、若い頃は結構無茶してたんだって? もう父親になったんだからあんまり無茶なことすんなよ」

「あの、そうしたいんすけど、ボスが無茶を言ったんですよね? 町を襲うとか」

「……赤ちゃんが生まれそうなのを知ってたら襲撃メンバーから外してたよ。出産には間に合った?」

「それは大丈夫でした。ちゃんと俺の手で取りあげましたんで」

「はー、よかった。奥さんに恨まれないで済むよ」


 クロスは笑いながらそう言うと、ゴブリンの背中をパシパシと軽く叩く。


 すでに先ほどまでの緊迫した雰囲気はない。

 ゴブリンたちも何もなかったように笑顔でクロスと王のやり取りを見ている。


 辺境の小さなダンジョンでしかないが、ここはクロスが作り上げた王国。

 破壊しかできない自分には決して作れない、胸のあたりがが温かくなる国。


 この雰囲気を魔国で魔族のために作って欲しいとアウロラは思う。

 そして、そのためなら自分はどんなことでもするとも。


 ゴブリンたちとの話が終わると、クロスはあくびをした。


「そんじゃアウロラさん、俺はもう寝ますね。また明日」

「はい、また明日。おやすみなさい」

「おやすみなさい。皆も早く寝ろよ。おやすみー」

「うっす、もう寝ます。おやすみなさい」


 クロスはまたあくびをしながらダンジョンの奥へと向かった。


 残されたのはアウロラとゴブリンたちだ。

 ゴブリンキングがため息をついてから口を開いた。


「ボスには無茶するなと言われたのでもうしませんが、俺たちの気持ちは分かってくれましたかね?」

「痛いほど分かりました。ですが、今の雰囲気を魔国にも作りたいのです。これはクロスさんにしか作れません」


 ゴブリンたちは何も言わない。

 少し頭を下げてからダンジョンの奥へ向かった。

 ただ、ゴブリンキングだけが後ろを振り返る。


「もし……もしもの話ですが、ボスがその気になったなら、その時は俺たちも手伝いますんで」

「いいのですか?」

「夢は夢であり、現実じゃありません。でも、夢を現実にしたいとボスが望むなら俺たちはそれに従うまでです」

「ありがとうございます。いつか一緒にお酒を飲みましょう。奢りますので」

「そんな日が来るといいっすね」


 ゴブリンキングはそう言うと、今度は振り返らずに奥へと向かった。


 そしてアウロラは決意を新たに自分の部屋に向かうのだった。

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