第四幕 アイショウ③

 視点は変わって健生。

 健生と玄はアイの手に触れないよう距離を取りながら、彼との戦闘に臨んでいた。


「あはは……! 逃げてばかりじゃボクには勝てないよ……」


 アイは間合いを取る健生と玄を見て笑う。その手に触れてしまったらどうなるか。水分を奪われてしまったらどうなるか。想像もしたくない。


「逃げるだけの転法輪ではありませんよ……!」


 玄は路地裏にあるごみ箱に向かって水の刃を飛ばす。ゴミ箱の中が勢いよく散乱し、アイの動きが若干鈍った。


(今だ……!)


 健生はその隙に背中から腕を出し、アイの手首を掴んで手の平を上に上げさせる。

 玄も健生が作ったチャンスを逃さず、アイの顔を水の玉で包み込み窒息させようとした。

 アイの頭が水の膜で包み込まれる。アイは一瞬苦しそうな顔を見せるが、それも本当に一瞬のこと。その顔はすぐに凶悪な笑みへと変貌する。彼の頭を包み込んでいた水の膜はアイの顔に吸収されるようにすぅ……と消えた。そして、彼の手首を掴んでいた健生の腕も水分を奪われ、枯れ木のように茶色に変色していく。


(この人、全身で水分を奪えるのか……!)


 健生は慌てて背中から出ている腕を切り離す。切り離された腕はミイラになり、最終的には砂の城のようにバラバラと崩れ去る。

 アイは健生の能力に余裕の表情で感心した様子を見せた。


「へえ……こんなこともできるんだ……。まるでトカゲの尻尾きりだね……」


 玄の『水』の超能力は効かない。健生の『細胞操作』で触れればミイラにされる。相手が悪すぎる。相性があまりにも悪すぎる。どうすればこの窮地を乗り越えられるのか。もはや健生の頭の中にはアイの確保ではなく、いかにしてこの場を切り抜けるかの思考しか巡っていなかった。

 頭を悩ませる健生の隣で、玄も顔に冷や汗を浮かべている。言葉には出さないが、彼も内心では相当焦っていることだろう。

 そんな彼らを見て、アイは面白そうに微笑みながら二人にさらなる試練を下す。


「頑張って考えてるね……それじゃあ、こういうのはどうかな?」


 アイはそう言うと、健生に向かってぎゅん!と駆けだした。


(近づかれると不味い……!)


  健生の脳裏に、ミイラのようになった自分の腕が蘇る。本体だけは彼に触れられるわけにはいかない。

 健生はもう一度背中から腕を大量に生やし、アイを捉えて本体との距離を保とうとした。健生のその判断に、玄の珍しく焦った声が響く。


「いけません、健生君! 罠です!」

 

 え?


 玄の声につられ、健生の瞳がアイの手元に鈍く輝く黒色の塊……拳銃を捉えた。アイの手中で輝くそれは、狙いを外しようもない健生の腕を狙っている。


(これは……無効化の銃弾! こいつも持ってたのか!)


 自分がこれを食らったら、敵と相性最悪の超能力者と、ただの男子高校生しか味方陣営には残らなくなる。現状考えうる、最低最悪の状況だ。ひゅっと血の気が失せる。だが、気づいたところでもう遅い。健生とアイの距離は、銃弾を躱すことができないところまで縮まっていた。


 カチャ


 アイが拳銃の引き金を引く。


(終わった……!)


 健生はぎゅっと目を瞑る。


 バン!


 狭い路地裏に銃声が鳴り響いた。だが、いつまで経っても来るはずの痛みが来ない。健生が恐る恐る目を開けると、アイと自分の間に壁を作るように、地面に膝をつく玄の姿が視界に入った。その黒い袖には血が滲んでいる。


 まさか……この人、自分を庇ったのか⁉


 健生があっけにとられていると、アイは驚いた様子で玄に声をかけた。


「へえ……転法輪もこんなことするんだ……。面白いね……!」


 アイはそう言って、今度は玄に向かってその手を振り下ろす。

 傷を負っている玄はアイを睨みつけるが、すぐに退避することができない。

 健生は慌てて彼をつかみ、ぎゅおっと自分の後ろまで下げた。


「玄さんすいません……! 俺を庇って……」

「勘違いしないでくださいよ」


 玄は健生に釘を刺す。


「この状況で君が能力を無効化されることだけは避けなくてはいけませんからね。それに、アイ相手に僕の能力が使えないことはそこまで痛手ではありません」


 玄は歯ぎしりする。超能力者として、転法輪の人間として、これほど悔しいことはないだろう。

 しかし、これでまともに能力を使えるのは健生だけになってしまった。はっきり言って状況は悪い。

 転法輪の人間に無効化の銃弾を当てることができたアイは、満足そうな笑みをたたえて二人を見やる。


「さて……これで一番面倒な転法輪はただの一般人と化したわけだ……。ツギハギ君はまだ能力を使えるけど、そこまで経験値があるわけじゃないだろう……?」


 そう言って彼は指をパチン、と鳴らす。だが、何も現れない。

 否。目に見えないだけだ。目に見えない何かが健生と玄のいる、狭い路地裏に充満していく。この異臭。この劇物のような異臭。健生には覚えがあった。


 先日一とともに食らった、あの毒の匂いだ!


「玄さん、鼻押さえてください!」


 健生が叫んだがもう遅い。その毒は少しでも吸い込んだら呼吸困難を起こすらしく、健生の隣で玄がはあ、はあ、と肩で激しく息をしているのが見えた。そして、叫んでしまった健生も同じこと。覚えのある手足の痺れと、呼吸の苦しさが健生を襲った。


「ごっ……がはっ……!」


 健生は玄とともにその場で片膝をついた。そんな二人の元へ、口元をハンカチで塞いだアイがじわりじわりと近づいてくる。


「さて……これで、チェックメイト……かな?」


 凶悪な笑みを浮かべるアイを、健生と玄は持てる精神力のすべてで睨みつけるのだった。

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