第五幕 ボーイ・ミーツ・ガール⑤

 時間は過ぎて次の日。体調が快方に向かい、何とか登校できた健生。まだ本調子ではないが、学校を休むほどのことではないだろう。この日の通学路は珍しく何事も起こらず、隊員たちと仲良くドライブを楽しむ時間となった。午前中の授業も平和に過ぎていき(勉強が遅れた分決して平和ではないが)、久しぶりに日常へと戻ってきた。

 そう実感した矢先の出来事だった。全ては昼休みに起きた。

 

「冨楽健生先輩! 見つけましたわよ!」

 

 今日も元気な後輩女子の声がこだまする。転法輪恋羽だ。

 

「あ、転法輪さん」

「そうですわ! 転法輪恋羽! 名前を覚えていただけましたわね! これも大きな一歩ですわ!」

「ややっ! こちらは先日の後輩女子! 健生殿、ラノベの主人公化が止まりませんな」

「また来たよ……」

「…………」

 

 護や一、柳はこのような反応を転法輪に見せるが、健生は彼女を邪険にする気などとうに失せていた。

 

「昨日はお見舞いありがとう。母さんがまた遊びに来てほしいって言ってたよ」

「まあ、嬉しいですわ! 外堀も順調に埋まっていますわね……!」

 

 何やらぶつぶつと言っているが、それは気にしないでおこう。なんだかんだ正攻法しか使えない性根のようだ。これなら周囲にも害があることはないだろう。

 

「それで、今日はどうしたの?」

 

 健生に聞かれ、転法輪ははっと思い出したようにこちらを向き直る。

 

「そ、そうでしたわ! 今日は先輩から良いお返事をいただくとっておきの作戦がありますのよ!」

「まったくめげないんだね……」

 

 そもそも健生は柳に惚れているので、彼女の努力は徒労に過ぎないのだが。

 

「もちろんですわ! 刮目してくださいませ! 三、二、……」

 

 ドォン‼

 

 パリィン‼


 教室に、クラスメイトの悲鳴が響き渡る。慌てて音のした方向を見ると、爆発で窓ガラスが軒並み割れている。

 

「……は?」

 

 怪我をした生徒もいるらしい。教室の中には、頭を押さえる少年、腕に切り傷ができた少女の姿があった。学校中がパニックになるのは、その場の生徒たちが現実を理解した数秒後だった。

 

 きゃああああ‼

 何でこうなってんだ!

 逃げろ‼

 

 パニック状態になった生徒たちが階段を下りていく。教師がなんとか生徒たちを落ち着かせようとするが、まったく意味を成していない。その間にも、『バァン‼』『ドゴン‼』という不穏な爆発音は続く。

 

「転法輪さん……これが君の言ってた作戦なの?」

「わ、わたくし……」

「健生殿、避難いたしますぞ!」

「僕ら、先に行くからね!」

 

 転法輪の声は、護と一にかき消される。その一瞬の間に、とっさに手をつないでいた健生と柳以外は分断されてしまった。

 

「健生様は私が誘導いたします。このまま透明化して、隊員と合流を」

「分かった……」

 

 柳に手を引かれ、健生も走り出す。最後に後ろを振り返ると、人波にもみくちゃにされながら、転んでしまう転法輪の姿が見えた。転法輪の顔は、抑えきれなかった困惑と、涙でぼろぼろになっている。その表情を見たとき、健生は確信する。

 

「ダメだ」

「健生様?」

「戻らなきゃ」

 

 柳の手を振りほどき、人波をかきわけていく。

 

「健生様‼」

 

 柳の声が聞こえたが、今は後ろを振り返っている余裕はない。彼女も人波に流されてしまったのか、しばらくして声が聞こえなくなった。

 健生が転法輪の元に到着する頃には、避難のために移動していた生徒も教師もいなくなっていた。みんな、学校の外に避難したのだろう。

 転法輪はあちこちを避難する生徒たちに踏まれたのか、全身がアザまみれになってしまっていた。むしろ、この程度で済んだのは奇跡かもしれない。圧死してもおかしくなかった。それぐらいの混乱だった。

 

「はあっ……はあっ……て、転法輪さん……」

「冨楽健生先輩っ……! わたくし、わたくし、こんなこと……!」

「うん、分かってる。君じゃないんでしょ?」

 

 そう言うと、彼女は安堵したような、母親を見つけた迷子のような顔になる。そして、「はい」と答えようと口を動かしたのだろう、そのときだった。

 

 プルルルル

 

『⁉』

 

 スマホの着信音が鳴る。音は、転法輪の制服のポケットから聞こえていた。着信の相手を確認すると、彼女は顔を青ざめさせる。

 

「お、お兄様……龍飛(りゅうひ)お兄様ですわ……!」

 

 彼女はかたかたと震えながらも、着信に出た。慌てて着信に出たせいか、スピーカーがオンになってしまっている。

 

「はい、恋羽ですわ……」

『遅い。そして。これはどういうことだ、恋羽?』

「わ、わたくしには何のことだか……」

『とぼけるな。転法輪の部隊を動かし、お前が先日転校していった学校を襲撃させたな?』

「そ、そんな! わたくしではありません!」

『だが、転法輪の家でこんな馬鹿をやらかす人間がどこにいる? 冨楽健生とも接触したらしいが、まさかここまで愚かだったとは』

「お、お兄様……!」

『所詮妾の子、無能力者というわけだ。お父様からの伝言だ。妾の遺言で面倒を見てやったが、それもこれっきりだそうだ。二度と帰ってくるな。恥さらしが』

 

 ぷつっ    

 つー、つー、つー

 

 着信が切れる。転法輪の名前を失った恋羽も、糸が切れたように両手をつく。そして、拳を握りしめる。この娘はたった今、信用と、帰る家を同時に失ったのだ。

 肩を震わせる恋羽を見て、健生は先日の昼食を思い出す。あの場にいる全員が家族ではなかったが、それでも、家族団らんのようなひと時だった。この娘であれば、自分の家族もきっと。

 

「てん……恋羽ちゃん……」

 

 これから言う言葉は、軽々しく言っていいものではない。それでも、今ここで自分が言わなければ、この少女はひとりぼっちになってしまう。そんなこと、あっていいわけがない。


「冨楽……健生先輩……?」

 

 彼女の目は光を失い、どこか遠くを見つめている。彼女の光を戻すには、今、この言葉を言うしかない。

 

「君さえよかったら、うちにおいでよ。母さんも、きっと喜ぶ」


 その言葉を聞き、恋羽の目が見開かれた。信じられない、という表情になった後、健生に言われた言葉を飲み込んだのか、両目に大粒の涙が浮かぶ。目に光が戻る。表情に笑顔が戻る。そして、健生の申し出を受けようとしたのだろう。口元が少し動いた、そのときだ。

 

 パァン!

 

 憎らしいほど軽快な銃声が響く。血しぶきが舞い、健生の服が真っ赤に染まる。


 恋羽が、健生の胸に倒れ込んできた。

 

 恋羽の背中、廊下の後ろ側に、拳銃を持った少年が立っている。

 

「え? あ、あれ? なんで?」

 

「ははっ。ここまで綺麗に決まるともはや滑稽だね」

 

 少年は性根の悪い笑みを浮かべながら、にやにやと健生と恋羽を見下す。

 何年も隣で聞いてきた、馴染みのある少年の声。


 犬塚一。

 

 健生の親友が、拳銃を持って、そこに立っていた。

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