第33話 どういうことなんですか?

「謁見の間で不躾ですよ、セリア」


 気配が無かった。この部屋に入るにはあの大きな扉を開けなければならないはずだけど、まったく気が付かなかった。これも魔法だろうか。サロメの側に控えていた老執事がいつの間にか僕の隣に佇んでいた。


「はっ!申し訳ありません、ギュンター様」


 高飛車なセリアがその姿勢を取っている事が俄かには信じられないけど、片膝をついて謝罪と服従の意を示している。腹の中は分からないが彼女が大人しく従う事とサロメの側近である事から、ギュンターと呼ばれた老紳士は魔族の中でも位の高い人物である事が窺える。

 数秒前まで自分に敵意剥き出しだった人物が急にしおらしくなったので、切先を向ける先を失いアユミはボケっと突っ立っている。


「で、何があったんですか?」


 ギュンターがそう発言した時には、既にセリアの傍らに移動していた。

 一体いつ動いたんだ!?

 驚異的なスピードで動く人間はこの世界に来て何人か見ているけど、彼のは質が違う気がする。他は移動したという事が衝撃波など何かしらの余波で認知できたけど、今の移動は移動したという事さえ認知できなかった。

 最初にこの部屋に現れた時と同じように気づいたらそこに居た。


「捕らえていた人間が脱走したので対応しておりました」


「まさか、それで人間に遅れを取ったと言うのですか?」


 眼鏡の奥のギュンターの瞳が鈍く光る。


「いえ、これは……油断をしたというか」


 セリアは借りてきた猫のようになっている。ギュンターには頭が上がらないみたいだ。


「教育係として恥ずかしいですよ。再教育が必要ですかね」


 再教育という言葉にセリアはビクッと体を震わせる。


「そ、それだけはご容赦ください!」


「念のため、この人間達の技量を確かめてみますか。万が一がありますからね」


 そう言うや否や、気を抜いていたアユミが身構える前にその手から剣を奪う。残像が残るほどの素早く滑らかな動きだった。

 そして躊躇無く彼女の胸へ奪った剣を突き立て、そのまま壁に向かって身体ごと押し付けて剣を支点として磔にしてしまう。あれでは例え蘇生しても動けない。

 激痛でアユミは満足に声も出さない状態だ。僕は思わず目を逸らしてしまう。


「戦場で敵から目を逸らすとは、素人なのですか?」


 僕までの距離を一瞬で詰めたギュンターが僕の顎目掛けて繰り出す拳は弾丸のようなスピードのはずだけど、何故かスローモーションに見えた。

 なるほど、僕の生物としての勘があの拳に死を感じているんだね。死ぬ瞬間って本当にスローモーションなんだぁ。僕はそっと目を閉じた。


 それは永遠にも等しい数瞬間。待てども待てども、死はやってこない。

 恐る恐る目を開けると、ギュンターの拳は寸前で止まってワナワナと震えている。


「また、なんとか間に合いましたね」


 ライラだった。ギュンターの腕を掴んで止めてくれている。ああ、ライラさん。二度も助けられて僕はもう貴方の虜です。


「新手の人間ですか。城の警備体制を見直す必要がありますね」


 ライラの実力を瞬時に理解したのか、ギュンターは彼女の腕を振り払いバックステップで距離を取る。

 僕の病原は今は魔族にターゲットを切り替えているから、ライラも全快で戦える。でも、ギュンターはなんで影響が全く出ないのか不思議だ。そういうスキルを持っているのかもしれない。


「さて、貴方には本気で向かわないと怪我をしそうですね」


 ギュンターがそう言って何もない空間から戦斧を取り出す。サロメやセリアも空間移動の魔法を操っていたけど、魔族は空間を操るのが得意なのかな?


「私も最初から全開でいかせてもらいます」


 ライラの手には彼女の体と同じくらいの大きさの巨大なハンマーが握られている。ギルドの本部で馬車の荷台に載せた荷物はこれだったんだ!

 素手で化け物みたいな攻撃力なのに、そのパワーでこんな馬鹿でかいハンマーを使ったら何もかもペシャンコにしてしまうんじゃないかな。


 戦いは最早、神話に出てくるそれだった。僕みたいな平凡な人間には、とても理解できるモノではない。二人がつけた床の大きな傷からそのうち新しい世界が生まれてくるんじゃないかと思えるほどスケールの大きいものだった。

 アユミとセリアもその戦いに入る隙は無く、ただただ行く末を見守ることしかできないようだった。

 ライラとギュンターの力は拮抗し勝負は永遠に続くかに思われたが、ギュンターが戦意を一旦収め対話の姿勢を示す。


「これほどの力を持ちながら、低俗な人間達の手先に甘んじているのが理解できませんね」


「人間が低俗だとも、自分が手先だとも思った事は無いですよ。魔族とは見えている世界が違うんです」


 ライラは通る声ではっきりと伝えた。


「それは幸せな人生でしたね。今後もそうだといいのですが。ちなみに私は種族で言えば人間ですよ。不本意ですが陛下のご命令で人間のままでいます。ですから、貴方と見えている世界は同じはずですが」


 唐突な告白にライラは少し動揺した表情を見せる。なるほど。だから、ギュンターには病原の影響がないんだなと僕は独り納得する。


「種族の問題ではありません。私達に害なす存在にくみしている事が問題です」


 ライラは自分を納得させるためゆっくりと噛み締めるように言った。


「そうですか。魔族は人間にとって有害ですか?」


 ギュンターは真摯にそう問いかける。そこに含意は無いように僕は感じた。


「当たり前です!過去に私達にした仕打ちはお忘れですか?」


 ライラはひときわ大きな声になる。


「では、今はどうですか?直近で魔族が人間を蹂躙するような事がありましたか?」


「おかしな事を言いますね。私達は何度か魔族に襲われています。それが私達に敵対している証拠でしょう?」


「それは蹂躙でしたか?強き者が弱き者を欲望の赴くままに虐げる行為でしたか?」


「そ、それは……違いますけど」


 確かにそう。蹂躙というよりは闘争だった。


「その他に魔族の侵攻により被害はありますか?」


「いえ……それもないですが」


 ライラの声がだんだん小さくなる。


「それが事実です。我々は人間を滅ぼすつもりはまったくありません。無論、友好関係を結ぼうとも毛ほども考えていませんが。ちなみに、あなた方を襲ったのは試すためです」


「た、試す!?さっきから一体何を言っているんですか?」


 ライラが困惑して叫んだ瞬間に入口の大きな扉が開き、ルイーゼ様が悠然と登場した。


「そこから先は私が説明しましょう」


 ルイーゼ様は何故か全てを知っている口ぶりでそう言った。

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