第4話 上司を褒めるのは、業務に含まれますよね?

 「上から急かされているので詳しい経緯は異世界向こうへ行ってから」と一方的に告げられ、僕は意識を失った。


 目覚めて初めに感じたのは背中の冷たさと湿気。どうやら地面に横になっていたらしい。

 上体を起こし周囲を確認すると、樹々に囲まれていた。どうやら森のよう。ここが異世界というなら、森林地帯の景色は僕の国とそう変わらないのだろうか。

 やっぱり緑って安心するよね。マイナスイオンとか似非化学はあんまり信用していないけど、気持ち良いのは気持ち良い。ここ数年、自然に触れる事がほとんど無かったから余計にそう感じる。そもそも休みが滅多に無いんだから、自然と戯れる事なんてできっこないよね、あははは。


「ようこそ、異世界へ」


 自虐的に人生を振り返っていると背後から声を掛けられる。

 ただその発言内容に違和感がある。この世界の人間ならここは自分のいる世界だから、異世界なんて言葉は出てこないはず。異世界人には、転生者が分かるのだろうか?

 と、余計な事を考えている所に先ほどの話がフラッシュバックする。自分が無自覚に即死ウィルスを撒き散らしてしまう事実!

 今さら手遅れかもしれないが、立ち上がる反動で、そのまま走り出す。とにかく離れなくては!


「ま、待ってください!何故逃げるんですか?」


 追いかけてきた!なんだ、転生した人は逮捕される法律でもあるのか!?


「お、追いかけないでください。貴方の為に逃げてー」


 叫びながら走るというハードワークに運動不足な僕の体はついて来れなかったらしい。つんのめって派手に転んだ。とても、痛い。


「大丈夫ですか?……私です。ほら、さっきまで話していた神です」


 そう言って追跡者は僕に手を差し伸べた。その手を取り立ち上がると、勢い余って神を押し倒すように再び転んでしまう。

 母性の象徴おっぱいの間に顔を埋める形となり、とても情けない。

 決して、ラッキー!とか超柔らかくて気持ち良いなどとは思っていない。断じて。


「あの、わざとやってます?」


 怪訝な顔をして尋ねてくる神に、即座に否定し気を取り直してゆっくりと立ち上がる。お互い適切な距離で向かい合った所で声をかけた。


「声もお綺麗でしたが、お姿はもっと素敵ですね」


 ビジネススキルの呪いのせいで、目上の方の褒めるべき点を徹底的に探して、自動的に賞賛するようになってはいるけど、たった今、口から出た言葉はほぼ本心だ。

 シンメトリーに整った顔。大きな瞳。透き通る白い肌。輝く金のロングヘア―。出る所は出て、締まる所は締まるプロポーション。服装は平凡な麻の白いワンピースだが、素材の輝きだけで十分だった。

 そんなまさに女神という風貌の女性を褒めずいられようか。


「な、何ですか、藪から棒に。一応、これでも神の端くれですからね。顕現するときは人々の理想をある程度反映しますよ」


 口調は冷静を装っていたが、少しにやけている。

 社畜は褒められる事に慣れていないから戸惑うよね、分かるよ!


「それよりも!何故、逃げたんですか!?私に隠れてこの世界の人類を滅ぼす気でも起きましたか?それでは、私のけ……いえ、何でもありません」


 女神は腰に手をあてて、詰問してきた。叱る姿も神々しい。うちの理不尽上司とは月とスッポンだ。そういえば、あの人の顔ちょっと亀に似ていたなぁ。

 でも、"け"って何だろう?ケバブかな?


「いえ、逆ですよ、逆!神様だとは分からなくて。殺しちゃまずいと思って、全速力で離れたんです。信じたくないですけど自分が近くにいるだけで、人が死ぬんですよね、確か」


 女神は腕を組んで、感心した表情になる。


「意外と状況に適応する能力は高いのですね。見直しました。私は適用外ですよ、神ですからね」


 いえ、理不尽な要求に慣れてしまって指示を疑うことを忘れただけです。と言おうかと思ったけど見直してくれているのだから、わざわざ下方修正することもないよね。


「それより、本当に付いてきてくれたんですね」


「まあ、上からの命令ですからね」


 と言う割に前向きそうな表情だ。嫌々エスコートされるよりは、全然良いけど!


「そういえば、なぜそんな命令が?」


「端的に言うと、間違いを認めたくない上層部が私一人に責任をなすりつけて、事後処理を丸投げしてきたという感じですね。まあ、いつもの事と言えばいつもの事です」


 ブラックリーマンあるある過ぎて泣けてきますね。神の世界も真っ黒なんですか?

 事後処理……はっ悪い予感がする!?


「事後処理って、まさか殺処分とかじゃないですよね?」


「ふふふふふ、勘の良い人類は嫌いじゃありませんよ?」


 身も凍る冷たい笑顔で、女神は一歩僕との距離を詰めた。僕は生唾を飲んで硬直するしかなかった。蛇に睨まれた蛙だ。


「冗談です。殺したら間違いを認める事になります。貴方が異世界を十分に満喫できるようにサポートとしつつ、この世界の人類が滅びないように調整せよとのお達しですよ」


「それはまた面倒くさそうな……」


 組織の上層部はいつだって無茶ぶりだ。現場の状況は無視される。


「そう、とても面倒くさいんです。貴方のせいですよ!責任を取ってください」


 こんな女神に責任を取ってくれなんて言われたら、無条件でイエスと言ってしまいそう。神だけに。

 だけど、ここは冷静に対応する。数々の『極めて理不尽なクレーム』を処理してきた経験が活きた。


「責任というのは具体的に何をすれば良いんですかね?私にもできる事とできない事がありますので、誠に恐縮ですが安易に責任を取るとは申し上げ辛いのですが」


 女神はしかめっ面になる。

 何か悪い事を言ってしまっただろうか?


「ひどく事務的ですね。誠意が感じられませんが?」


 まずい、感情を優先するタイプのクレーマーか!?

 なあ『お客様は神様です』と言った奴よ。神様がお客様の場合はどうすればいいんのか、教えてくれ。


「も、申し訳ありません。無論、私のできる範囲で責任を取らせていただきますとも!」


 困った時はとりあえず頭を下げる。これ、リーマンの常識。


「冗談ですよ。神が人間に責任を問うのは世界の終末の時だけです。……ただ、そうですね時が来たら、私の役に立って貰う事があるでしょう。その時はよろしく頼みますよ」


 女神に笑顔が戻る。時というのがいつ来るかは分からないけど、こんな素敵な女神の役に立たないわけにはいかない。

 男が、いや、人間が廃るというものだ。


「はい、もちろんです。やっぱり、女神様には笑顔が似合いますよ。素敵です」


「……貴方は生前もそういうことばかり言っていたんですか?」


 上司を褒めるのは業務の一環だから、それはもうそういうことばかり言っていました。


「何か問題がありますか?」


 僕は素直に聞く。褒める事に問題なんてないはずだ。


「いえ、問題はないですけど……それより、いつまでも”貴方”では困りますね。そういえばお名前は?」


 やっぱり、問題は無いようだ。

 そういえば確かに名乗っていなかった。面接では一番最初に名乗るのが定石だが、もはや名前を聞くのも億劫になっていたんだろうなぁ、女神様。


伊藤素直イトウスナオです」


「なるほど、名は体を表すとはこのことですね」


「よく言われます。ところで、女神様の名前も教えて頂いてよろしいですか?」


 女神は意外そうに目を丸くした。


「神に名を聞くなんて、本当に良い度胸をしていますね」


 いやいや、人間界では名を聞かれたら聞き返すのが普通ですよ、そんな神の常識知りませんよ、という言葉を飲み込む。


「え!?そんな不躾でしたか。申し訳ありません」


 深く頭を下げる。頭を下げるスピードにも自信がある。とりあえず、頭を下げる。自分に否があるかどうかなんてどうでもいいんだ。この安い頭で、上司の怒りが少しでも収まるなら、それが一番。プライド?なにそれ、おいしいの?

 ただ、謝りすぎると逆に怒ったりするから難しい。姿は似ても似つかないけど、上司というのは気難しいお嬢様みたいなものだと思っている。

 今目の前にいるのは、どこのお嬢様よりも美しく気高い女神様だからなおさらだ。


「通常、人間に教えることはないですが……長い付き合いになりそうですからね。特別に教えましょう。私の名はルイーゼです」


「ありがとうございます!ルイーゼ様!良いお名前ですね!」


ドサッ。


 ルイーゼ様の呆れた「どうも」という声は、何かが地面に倒れるような音がして遮られた。彼女は音の元に即座に駆け寄り、その正体を確かめると僕に叫んだ。


「すぐにここから離れて!!」


「分かりました!」


 理由は聞く必要ない。答えはひとつだ。返事と同時に駆け出すが、すぐに静止がかかる。


「そっちは人里!!山の方に向かって!!」


「了解です!」


 最初からそう言ってほしいなんて思わない。朝令暮改は上司達の得意技だったから。

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