第7話 「夏は優しい!」


 黒い宇宙空間がテレビの画面を埋める。幾億の星が浮かぶ中、画面はひとつの星に寄る。星は真っ白のまばゆい光を発し、宇宙で一等輝く。光は、たったひとりの青年から生み出されたものだ。宇宙一美しい美青年、泉美沢冬斗。我々取材班は、その美しい生態に迫る――。


(爆発したかのような大きな音に続き、巨大なテロップが現れた)


 完全密着! 8時間(休憩1時間)! 美しき泉美沢冬斗のすべて ~視聴者プレゼントもあるよ!~


「あー、マイクテステス」

 

 スーツを着た男性がマイクに向かって話しかける。彼の瞳は濃い色のサングラスに覆われ、両方のこめかみには白いテープが見える。テープがまぶたを上に引っ張る。マイクテス、オッケーデース。との声が画面外から聞こえた。レポーターの男性は姿勢を正し、カメラを先導する。

 レポーターは早朝の住宅街を歩く。鳥がさえずる。画面が時折揺れる。


「目的地に到着しました。早速お邪魔したいと思います」


 灰色のブロック塀に囲まれた、三階建ての木造家屋が映る。塀に取り付けられた門扉を開き、レポーターは家屋に近づく。門扉からまっすぐ歩き、玄関に向かう。レポーターは顔を上げる。視線の先に木製の看板があった。”陽炎荘”と太く黒い文字が躍る。看板は、玄関前の屋根の上に設置されていた。レポーターは数段の階段を上り、引き違いの玄関戸の前に立つ。呼び鈴を押した。


 戸のガラス部分の向こうにひと影が見えた。ガラリと扉が横に開く。開いた隙間から光が漏れる。光はいきなり大きくなり、画面を埋め尽くした。


「おはようございます、今日はよろしくお願いします!」


(画面下部に、宇宙一美しい青年 泉美沢冬斗 氏 と表示された)


 画面は数秒静止した後、ボカンと爆発音が聞こえ、真っ黒に変わった。画面が切り替わり、畳の部屋が映る。番組冒頭と同じく、スーツを着たレポーターがマイクを持ち、カメラを見つめる。

 カメラがレポーターのサングラスを拡大する。画面がサングラスのみになる。サングラスの向こうにうっすらと白目が見えた。まぶたからこめかみに伸びるテープに引っ張られ、瞳はかろうじて開いた状態を保つ。


「あー、新しいカメラテステス」


 カメラテス、オッケーデースとスタッフの気の抜けた声がスピーカーから響く。カメラが部屋を見渡すように動く。ちゃぶ台、座布団、テレビ、タンス、が次々に映った。冬斗氏とレポーターは座布団に座り、向かい合わせになる。三つの湯呑から、湯気が立ち昇る。

 画面全体にキラキラとした粒が、浮かんでは消える。


(画面下部に注意書きが流れる。 ※光る粒は冬斗氏が放出しています。美しさが凝縮された粒子です。有害な物質ではございません。ご安心ください。)


 冬斗氏が生み出す粒は徐々に増え、部屋は花吹雪が舞ったようになった。レポーターは折りたたみ傘を差した。


「ははっ。俺様としたことが、気合が入りすぎましたね。髪とか服も、いつも以上にビシっと美しくキメてきました」


 白い歯を見せ、冬斗氏はさわやかに笑った。笑みに合わせ、柔らかい髪の毛が揺れる。灰がかった薄い茶の髪がツヤツヤと輝く。氷のように澄んだ水色の瞳がカメラを射抜く。


(画面下部に注意書きが流れる。 ※冬斗氏の美しさによって、気絶しないようご注意ください)


 レポーターは厚紙の束をちゃぶ台に乗せた。ざっと、数十枚の厚紙だ。


「では、密着取材を始めます。音楽開始。三、二、一、えい!」


 画面外でカチと小さい音が鳴り、カメラが少し揺れた。


(生まれ変わってもAI SHI TE RU ZE ~第七二六章~ が背景に流れる。 冬斗氏の最新シングル。運命の相手に出会えた喜び、うれしさ、周りへの感謝、これからの夢、美しき未来への志望動機がテーマ) 


 厚紙を一枚取り出し、レポーターがちゃぶ台に立てた。レポーターは厚紙に書かれた質問を読んだ。

 

 ”今日は一日よろしくお願いいたします。では、さっそく。毎朝絶対にやることはありますか?”

「まずは、カーテンを開けて、朝日を浴びます。そして、朝一に練習をします」


 ”なんの練習ですか?” 

「美しいプロポーズの練習です。毎日欠かさず行い、本番に備えています。花束を持って、マネキンに向かって、最高に美しいコトバを繰り返しています。今度こそばっちり決めてみせます」


 ”毎日ですか”

「ええ。地味で十分な練習があってこそ、本番で納得のいくプロポーズができるんです。秘伝のコトバをつぎ足しして、創業当時から変わらない美しさです。昔、俺様がお世話になった監督と一緒に練習しました。朝から走り込みを行う日もあります」


 ”熱心ですね。ええと、次の質問です。あ、そろそろ大学の講義のお時間ですね。移動しながら、取材を続けましょう”

「わかりました」


 レポーターと冬斗氏は立ち上がる。冬斗氏は湯呑を台所の流しに運び、居間のふすまを開けた。ふすまを開けた先は、玄関入ってすぐの廊下だ。居間を出て右に玄関、左に階段が見える。大柄で筋肉質の男性が廊下に立つ。男性は冬斗氏に気づき、振り返る。


「あら、冬斗さん。大学に行くんですか?」


 冬斗氏は一度、外に出てすぐ戻って来た。土間できょろきょろと辺りを見渡す。その様子に、男性が声をかけた。


「ハルさんなら、今日も朝すっごく早く起きて、バイトに出かけましたよ」

「そうですか……またおはようが言えませんでした……せっかくなので今言います。ハル、おはよう!」


 カメラに近づき、冬斗氏は宇宙一美しいおはようを告げた。


「はい。おはようございます」

(画面下に、”下宿・陽炎荘 管理人 シュカ氏:とても優しく、ごはんの腕がすごい。筋肉がついた腕もすごい。仲人候補のひとり” とテロップが流れた)


 シュカ氏は、廊下にある水槽を観察中だ。水槽の中で、魚に似た生物が何匹か泳ぐ。シュカ氏は、一匹一匹を指差し、冬斗氏に言った。


「冬斗さん、みんな今日も元気ですよ。ね? みぞれ、いちご、みるく、あずき」


 生物の名前を聞いた途端、冬斗氏の表情が強張る。体を小刻みに揺らし、シュカ氏に尋ねた。


「シュカさん。どうして、そういう名づけにしたんですか。体が震えます……うう……」

「え? えーと、なんか名前が降りてきました。そうそう、冬斗さん、この子たち、お腹がすいてるみたいです」

「わかりました。えいっ」


 美しさの粒子が、冬斗氏の手のひらから水槽に降り注ぐ。冬斗氏は、シュカ氏とみぞれたちに挨拶をし、陽炎荘を後にした。

 

 画面が切り替わる。レポーターの男性は、大学の正門付近に立つ。カメラは大学名を示したプレートを映した。氷籠<<ひょうろう>>総合芸術大学。冬斗氏が通う芸術大学だ。


 冬斗氏は教室で午前中の講義を受け、昼食をとる。一般科目棟を出て、第一食堂へ向かった。レポーター、カメラ担当、冬斗氏はウッドデッキの席に座った。晴れているときは、友とこの席でよく食事をとるのだ、と冬斗氏は言った。テーブルにラーメンが三つ並ぶ。


「うちの大学でしか食べられないラーメンです。俺様の友達も大好きで……すごく美味しいので、一緒に食べましょう。もちろん、俺様のおごりです。ね! いくらでもおごります!」


 冬斗氏は箸で麺を持ち上げると、カメラに向かって一層美しい笑顔を作った。一瞬で、画面が白い光に包まれる。キャーキャーと、高い声から野太い声までが画面外から聞こえる。食堂や、ウッドデッキ近くのヒトたちがうっとりと冬斗氏を見つめる。


「しまった。出力をあげすぎちゃった。俺様、美しいだけじゃなくて、お茶目なところもあるんですよ。えへへ」


 ”お友達と一緒に食堂を利用しているとのことですが、お友達はどんな方ですか?”

「ご存じでしょうが、まずは一番の親友……」


(番組の途中だが、広告が流れる。今まで、冬斗氏が出演した映画、ドラマ、雑誌。それから、冬斗氏が作詞作曲した歌の数々)

(”ご希望があればお仕事の調整可能です。何なりとお申し付けください。 by マネージャー・ジョージ氏” の文章が表示された)


 どこかのテレビスタジオへ切り替わった。冬斗氏とひとりの女性が画面に向かって、お辞儀をし、顔を上げた。女性の近くに、”冬斗氏の変友 ニエ氏 (仲人候補N)”と示される。ふたりはエプロンをつけ、白くキレイなテーブルの前に立つ。流し台、コンロ、レンジなど料理に必要な機能が揃ったテーブルだ。


「ビューティークッキングの時間だヨ! フユトセンセイ! 今日は何を作りますカ。ラーメンですネ!」

「違います。俺様がマシに作れる……、いえ宇宙で一番美しい料理、厚焼き玉子です。バイトに持参するお弁当にもぴったりです」

「わかりましタ! ラーメンの厚焼き玉子トッピングですネ。ラーメンは懐が深いのデス。万物を受け入れマス」


 にやけた笑いを浮かべ、ニエ氏はよだれを垂らす。冬斗氏はニエ氏を放置し、テーブルに向かう。テーブルの上には、卵などの材料や、フライパンといった器具が並ぶ。


「では、厚焼き玉子を作ります。ひと手間加えることで、食べさせた相手の心を掴むことができます」

「心って心臓ですカ? 心臓を掴んで相手の生殺与奪権を握るとイウ感じですカ」

「ははは。この野郎。あっ、違う。もう面白いアシスタントですね」

「センセイ、もっと独創性と意外性が無いと、相手の心臓に残りませんヨ。だからラーメンにしまショ」

「たしかに、一理ありますね。ではメニューを変更して、厚焼き玉子のラーメン添えにしましょう。まず、厚焼き玉子を作ります。次回、ラーメンを作りましょうね」

「やっタ!」


 卵と透明なボウルを、冬斗氏がテーブルの中央に置いた。彼は卵を手に取り、そっと両手で掴む。ニエ氏は菜ばしを持ち、冬斗氏の隣に立つ。冬斗氏は卵を掴んだまま停止する。


「センセイ、相手の心を掴む前に卵を掴んでますよ。さっさと割ってくだサイ」

「手順1、まず祈ります」

「なるほど。ここで好感度が上がりますようにって祈るんでスネ。で、いつまで祈るんですカ?」

「割れるまでです」

「ハ?」

「俺様、何度やってもカラが入ったり、黄身が破れたり、何故かひよこが生まれたり、卵がうまく割れません」

「センセイやめろヨ」

「なので、卵に誠心、美しい精神、俺様は初心、って感じで話しかけます。割れろ~割れてください~、俺様の美しさに免じて割れてください~」

「通じるわけガ……」


 その時、冬斗氏の美しい手が包む卵にヒビが入り――パッカーン! われたよー! われたよー! パッカーン! おいしくたべてねー! ねー! ついでにレシピに必要な量の仲間も割っておくね! ――。卵がひとりでに割れ、勝手にボウルに入った。


「はい。無事に割れましたね。このように、美しい心で語り掛ければ、卵にも通じるのです」

「この料理番組、誰の参考になるんダヨ」


 菜ばしを使い、冬斗氏が卵を混ぜる。白身と黄身が混じり、黄色い卵液が完成した。


「センセイ、なにか味付けはするんですカ?」

「はい。ここでひと手間加えまして、相手の心をがっちり掴みます」

「砂糖とかお醤油ですカ?」

「いえいえ、加えるのはこれです。じゃあああん」

「……なんですかこれハ」


 テーブルの上に、計量カップが所狭しと並ぶ。どのカップもまばゆい光を放ち、画面が白くなる。ハレーションを起こす一歩手前の状態だ。


「ここでひと手間! 美しさをカップ十杯分加えます」

「いや加えます、とか言われても、センセイにしかできないと思いますケド。というか、そんなにいっぱい加えてモンダイはないんですカ」

「ええ。中毒にして骨抜……、じゃなかった。美しさはどれだけあっても困りませんから」

「センセイ、ちょっとホンネが出ましたヨ」

「じゃあカップ十杯分の美しさを投入しまーす」


 冬斗氏は楽しそうに、計量カップの中身をボウルへどんどん振りかける。ボウルが美しさで光る。卵が喜ぶ。――、わー! 美しいよー! ありがとー! ありがとー! あとは砂糖とか醤油もいれてね! ――。卵液が恐ろしいほどの美しさを放つ。ニエ氏と冬斗氏は、溶接用の手持ちシールドを片手に料理を続ける。冬斗氏は、厚焼き玉子用の四角いフライパンをコンロにかけ、美しさ塗れの油を引いた。卵液の一部がフライパンに注がれた。美しさが熱され、画面のハレーションが強くなる。カメラが爆発した。映像が乱れ、音声のみとなった。


「うおおおお! 次は! 卵を美しい形に整えます! 届け! 俺様の美しい意志!」

「ギャアアア! 厚焼き玉子が! 意志を持っテ! 勝手にフユトそっくりの形ニ……」


 プツリと音声が途切れ、代わりに心が安らぐような音楽が流れた。画面に宇宙を描いたっぽい絵が映る。絵を背景に、次のメッセージが表示された。


 視聴者プレゼント!

 冬斗氏の美しさ 一生分 プレゼント! 今から表示される住所に、直接お越しください。先着一名様に必ずプレゼントいたします! 絶対にお越しください!


  * * *

 

 密着取材は続く。再び、大学食堂のウッドデッキが画面に映る。

 

 ”お友達と一緒に食堂を利用しているとのことですが、お友達はどんな方ですか?”


「まずは一番の親友、池園照くんですが。照くんは、小さい頃からの友達です。本音で語り合える大切な親友で、頼りになる仲人候補Tです。ほかには、変友のニエさんですね。彼女とは大学で出会ったのですが、あっ。安心してください、ただの友達でお互い、まったく恋愛感情なんてちょっともありません。ねっ?」


 冬斗氏は必死にカメラに向かって訴える。画面が何度か縦に揺れた。


”お相手の、どういうところに惹かれましたか”

「へへっ。恥ずかしいんですが、えーっと……えへへ。コトバが出ないな。優しいところかな~。きゃっ! いやでも、これは俺様が直接伝えますから! 近いうちに絶対!」

”頑張ってください。それから、冬斗さんは、美しさを生かして幅広い分野でご活躍なさっていますよね”

「ええ。俺様は宇宙一美しく生まれました。俺様の美しさは、精神安定、鎮痛作用、健康増進、高血圧改善、心浄化、商売繁盛、五穀豊穣、無病息災などなど数万もの効果が立証されているんです」


”それはすごいですね。美しさで成し遂げたいことはありますか?”

「あります! 俺様は美しさを生かして、星や宇宙を平和にしたいと思っています。俺様も、運命の相手も、みんなも、平和に暮らせたら幸せじゃないですか。へへへっ。でも一番は、ややややっぱり、運命の相手を俺様がっ、幸せに、しっ、したい。シアワセニスルゴドン! どうですか?」


”はいオーケーです。最後が怪しかったですが、何十回も言い直した甲斐がありましたね。”

「付き合っていただきありがとうございました。あ、あと俺様、恋愛要素のあるおシゴトは全部お断りしているんです。手をつなぐとか、そういうのです。だから安心してください!」


”そうなんですね。最近、一番驚いたことは?”

「話せば長くなるのですが……、運命の相手が俺様と同じ下宿で暮らすようになったのです。そう、あれは、彼女がやって来た日の夜――」



 冬斗氏はゆっくりと目を閉じ、少し上を向いた。冬斗氏の脳内で、回想が始まったようだ。




「……暮井ハルです。これから、よろしくお願いしますね」

「は、はい! 末永くお願いいたしまぴゅ!」


 まさか、暮井さんが陽炎荘の新住人だったなんて。奇跡だ! 俺様は嬉しさをかみしめた。きちんと三十回噛んで、消化した。


「ハルさん。玄関先でご紹介もなんですし、まず荷物をお部屋に持っていきましょうか」


 シュカさんが台車に近づく。照が俺様に、小声で耳打ちする。


「冬斗。シュカさんに暮井さんのこと、まだ話してないよね?」

「してない。夕食が終わったら話すつもりだったんだ。きゃっ。恋バナ! 週二で夢にまで見た恋バナ!」

「まあまあの頻度で夢に見てる……じゃなくて、すぐ話さないと、シュカさんは管理人として知っておかないとまずいと思うよ」

「だナ。よし、ニエちゃんに任せろヨ!」


 相談している間に、シュカさんは段ボールをすべて廊下に運んだ。台車を玄関に運び入れ、扉が閉まる。ニエは段ボールをひとつ持ち上げ、シュカさんに告げた。 


「ニエちゃんと照が持っていくの手伝うヨー! シュカさんは休んでテ!」

「ええ!? ワタシがやりますよ! なんたって管理人ですから」

「いいノいいノ! ご飯をごちそうになってるお礼ダヨ。 シュカさんは居間でフユトと待っててヨ! ネッ! ネッ! ネ゛ッ!!」


 やたら圧の強いネッ!に押され、シュカさんはニエの提案を受け入れた。良い感じだ。あとは、照とニエが暮井さんと荷物を運んでる間に、ぱぱっと説明を済ませるだけだ。

 暮井さんの荷物だが、見える範囲では段ボールが数箱と彼女が背負うリュックのみだ。


「暮井さん。とりあえず必要な荷物だけ持ってきたのかい?」

「いいえ、私のものはこれで全部です」

「エッ! 少ないネ。ニエちゃんなんか部屋が踏み場もナイほどなのヨ。じゃ、テルとニエちゃんが全部運ぶから、暮井サンは応援でもしててヨ」

「そんな、私も運びます」


 俺様はシュカさんと共に居間に戻った。シュカさんは泣いている。


「ぎゃああああ! シュカさん! 泣かないで! 俺様、変なこととか悪いことは絶対にしませんから!」

「え? いや、照さんとニエさんの心遣いに感動して泣いてただけですよ。ハルさんも馴染めそうでよかったです……。冬斗さんも仲良くしてくださいね」

「えーと、そのことなんですが……」


 ぎえーっ! ぬえーっ! びえーっ! シュカさんの筋肉からの叫びが陽炎荘をこだまする。


「ハルさんが、冬斗さんの運命の相手なんですか!?」

「はい」

「ど、どうしましょう。いや、冬斗さんならおかしなことを起こす心配はないでしょうが……い、一応言っておきますよ! 冬斗さん!」

「はい」

「ハルさんは、陽炎荘でお預かりした大切なお嬢さんです。いわば、ワタシはご両親の代理みたいなものです。もし、万が一があれば、ワタシは冬斗さんを……」

「は、はい」


 シュカさんは筋肉隆々の腕に力を込めた。腕の付け根、三角筋と上腕二頭筋が見事な山を描く。


「シュカさん! 俺様、シュカさんの筋肉があってもなくても、絶対に暮井さんを傷つけるようなことはしません!」

「ええ。冬斗さんなら大丈夫だと、ワタシも信じていますよ」

「シュカさん!」

「冬斗さん!」


 俺様たちにある固い信頼。信頼が感動を呼び、俺様とシュカさんは泣きながら握手を交わした。居間のふすまが開いた。ちょうど、荷物を運び終えたようだ。照とニエ、暮井さんが居間に入ってくる。

 せっかくハルさんがいらしたことですし、なにか甘いものでも用意します、とシュカさんは台所に移動した。

 待つ間、みんなでちゃぶ台を囲む。暮井さんが、俺様を見つめ、もぞもぞと居心地悪そうに体を揺らす。はっ。こ、これは――アレだ。アレしかない。泉美沢冬斗物語、第六巻、告白の巻、これだ。


「泉美さん。言いたいことがあります」


 来た! 暮井さんは、瞳を俺様に合わせ、唇を動かし――うわばあああああああ! はっ。取り乱してしまった。俺様は美しく深呼吸を繰り返す。暮井さんは視線をさ迷わせながら、言いだしにくそうな雰囲気を漂わせた。よくわかります。その気持ち。数週間前、俺様も同じ経験をした。でも、今となっては良い経験だ。暮井さんの思いを正面から受け止めた後、ふたりで笑い話にしようじゃないか。HAHAHAHAHA。イエア。

 話しやすい空気を作ろう。両手を横いっぱいに開き、俺様は胸を張った。天を仰ぐ。


「暮井さん! 遠慮しないで! なんでもなんなりと! どんなことでも受け止めるぜ!」

「じゃあ、”暮井さん”って呼ばないでくれませんか」

「うわばあああああ!! 予想と全然違う! 受け止めたくないです!」


 ビーッと笛が鳴る。試合の中断を知らせる合図だ。放送解説席に照とニエが座る。ふたりは黒いスーツを着て、頭にインカムマイクをつけ、解説を行う。俺様は座布団の上で、体を小さく丸めて、グズグズ泣く。


「おおーっと! これは痛い! 泉美沢冬斗選手、キツイ一撃をくらってしまいました!」

「宇宙一ポンコツの恋愛力ですカラ。試合運びが全体的にヨクナカッタですネ」

「暮井選手から冬斗選手への好感度がすごい数値になってそうですね」

「予想では、300アイぐらいですネ」

「ニエ監督。アイとは、”愛”の単位ですか?」

「いえ、iでス。虚数でス。虚ろでス」

「お前らひどすぎるだろ!」

「おっと、冬斗選手。復活しました。試合を再開しましょう」


 照が笛が吹いた。暮井さんが口を開く。


「暮井さんじゃなくて、ハルって呼んでください」


 予期せぬコトバに、握りこぶしを高く掲げた。俺様は叫ぶ。


「うっひょおおおおおお!! 予想とはちょっと違うけど! いやもう四捨五入して予想と一緒だ! 受け止める!」

「おおーっと! 逆転だー! 一体ドコを四捨五入したのでしょうか! なんにせよ、冬斗選手、無事逆転しました! 暮井選手の発言に、スタジアムも湧いています!」

「驚きですネ。意外と暮井選手の好感度が溜まっていたのでしょうカ」

「見たか! 放送解説席! 俺様たちの結婚会見の準備でもしておくんだな! わーはっはっは!」


 俺様は素早く立ち上がり、両腕を頭上でぐるぐる回し、嬉しさを踊りで表現した。涙を流して喜んだ。


「えっと。ニエさんも照さんも、暮井じゃなくてハルって呼んでもらえたら、ありがたいです」

「うわばあああああ!! ええっ!? 照もニエも!?」


 また座布団の上に戻る。俺様は体を小さく丸め、唇を噛んだ。一転して、悲しみの涙が止まらない。


「試合は二転三転し、進行します! 選手はじめ観客も全く先が読めません!」

「ニエ監督、じゃなかったニエちゃんは別にいいケド、ハルチャン。ナニカ理由があるのカイ?」

「苗字で呼ばれるの、あまり好きじゃないんです」

「おっと、意外なところから理由がやってきましたね、ニエ監督」

「恋愛ポンコツの冬斗氏には予想できるハズがありませんでしたネ」

「お前らも予想できてなかっただろ!」


 こうして、俺様たちは暮井さんを名前で呼ぶことになった。シュカさんが居間にやって来た。お盆にお菓子と紅茶を用意してくれた。机に並べるのを手伝い、みんなで食べる。シュカさんは、もう皆さん仲良くなったんですね。良かったです! とムキムキの腕で瞳を覆い、わんわん泣いた。

 

「それから、私の方が年下ですから、そんな敬語とか使わなくて大丈夫ですよ。気軽に話していただければ」

「じゃっ、じゃじゃじゃ、じゃは、ハリュ……けっ、けけけっこ、ん、いや、しゅ、しゅしゅしゅ」

「冬斗。ハルちゃんが言ってるのは内容じゃなくて、言葉遣いのことだよ」

「というか、名前ぐらいちゃんと呼べヨ」

「がんばれ! がんばって! 冬斗さん!」


 俺様は改めてハルに向き合った。


「……ハル! これからよろしく!」

「こちらこそよろしくお願いします」




 回想が終わったようだ。冬斗氏はさきほどから黙ったままだ。静かに、両目から美しい涙をポロリと落とした。すみません、と冬斗氏は白いハンカチで涙を拭く。


 ”回想の内容は次回お伺いするとして……。運命の相手が、同じ下宿に……。すごい偶然ですね。運命の相手つながりで、恋愛観について教えてください”

「へへへっ。そうですね、とにかくお相手も、俺様も、たくさん幸せを感じられるような恋愛をしたいですね。あと、相手の自由を尊重したいと思います。お互い、我慢するんじゃなくて、好きなことをやりながら、幸せに美しく、年を重ねたいですね。えへへへへ」


”では、最近一番感動したことは?” 冬斗氏は質問を聞くやいなや、うふふと目を細める。


「へへっ。内緒です。いや、言っちゃおうかな~。どうしよっかな~」


 ”そう言わずに教えてくださいよ。ハヤク言えヨ。”

「へへへっ。ヒントだけならいいかなあ? いやわかっちゃうかも。どうしよっかな~。やだもー、恋バナって感じ~! きゃっ。水色の花が一面に咲く中で……、笑顔が、むふふ。やっぱ内緒で、俺様の美しい胸にだけしまっておくぜ……へへへ……えっ。どうしても聞きたい? きゃっ!」


 冬斗氏は指を伸ばした両手を頬に当て、首を振る。その体勢で画面が停止した。冬斗氏が画面中央に映った状態で、下部にテロップが流れる。

 ※泉美沢冬斗氏はずっとこんな調子で、夜になるまで引き伸ばしを行いました。なので、大胆にカットいたします。


 テロップが流れた後、番組名を示す文字が再度現れた。文字は、画面奥から徐々に大きくなり、冬斗氏の前面に被さる形で画面を埋めた。


 完全密着! 8時間(休憩1時間)! 美しき泉美沢冬斗のすべて ~視聴者プレゼントもあるよ!~

 ご覧いただきありがとうございました。 ※次回放送日は未定です。


 テープが切れ、画面が真っ黒になった。





私と君と陽炎荘 第7話 「夏は優しい!」 【 第8話へ続く 】

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