第5話 「高くて高い壁でも乗り越えてやるぜ!」
泉美沢冬斗物語 原案:泉美沢冬斗 漫画:ニエ 協力:池園照
最近最近、すごく最近、泉美沢冬斗という宇宙で一番美しい青年がいました。老若男女、犬から猫、ミジンコ、宇宙生命体までさまざまな種が彼に求愛をしました。しかし、彼はうんと言いませんでした。どんなに美しくても、お金を持っていても、宝石を持ってきても、油田を持ってきても、新星を持ってきても、決して、うんと言いませんでした。彼はずっと、運命の相手を探していたのです。そして、やっと出会いました。
彼はとても美しかったのですが、とても奥手でした。勇気を出すパワーを得るために、魔法のくすりを求めました。イジワルな魔女は魔法のくすりをなかなか渡しません。冬斗は、自ら生み出したシンシュの水生生物とともに、魔女を説得するための冒険に出ました。
輝くガラスの檻からの脱出、魔女の実家付近での聞き込み、シンシュの子の誕生、シンシュの結婚式、バージンロードを歩く冬斗、結婚式の手紙で泣く冬斗、魔法学校で魔女の卒業アルバムを閲覧、魔女の一番好きな食べ物を取り寄せ、ドラゴンに芸をしこむ――。魔法を得るために冬斗は頑張りました。
冬斗はイジワルな魔女をとうとう説得し、魔法を手に入れました。魔法の力で、勇気を出す力のパワーを得た冬斗は、一世一代、唯一無二、完全無欠、円満具足の美しい告白を行い、運命の相手と結婚して、温かい家庭を作り、とっても幸せに美しく暮らしました。ああ、めでたしめでたし。
「……ていう漫画を描いてくれ」
「やだヨ」
原稿用紙の束をニエに突き付けた。首を振りながら、ニエは紙を手で押し返す。
「えー! この間、『お祝いに、ニエが冬斗たちの物語を全百巻セットで書き上げてやるからな!』って言ってただろ!」
「言ってネーヨ! それに、この薄い内容で百巻は無理ダロ。どれだけ引き延ばせば良いんダヨ。幸せに暮らした辺りを八十巻分ぐらい描けばイイノカ?」
「安心しろ。これは第五巻から七巻の内容だ」
「”幸せに暮らしました”、で完結してるダロ! 第八巻からどうするんダ!」
「生まれ変わり編が始まる。百巻まで十回ぐらい生まれ変わって、そのたびになんやかんやで結ばれるってことで」
「付き合いきれネー。ニエちゃん、今やってる原稿で手一杯だから。しばらくは、いや一生無理ダ」
大学内の第一食堂。学生がひっきりなしにやってくる。席はほとんど埋まり、満席に近い。よく晴れ、丁度良い気温のお昼時。俺様たちはウッドデッキの席に座った。ニエはラーメン超大盛りを、俺様と照はカツカレーを頼んだ。ニエと俺様が楽しく話し合いをしている中、照は俺様の顔をじっと見る。眼鏡のレンズの向こう、まぶたがヤツの瞳を半分覆う。唇を一文字に結び、納得のいかない表情で俺様を凝視する。
「僕、心配だよ。冬斗」
「なんだ、照。照の出番もたっぷりあるから心配するな」
「描かねーからナ」
「そうじゃなくて。目の下のクマがすごいよ。山と仕事の往復で全然眠れてないんだろう?」
「大丈夫! 大丈夫! 俺様、美しいから!」
「返しになってネーヨ」
照の言う通りだ。俺様はここ一週間、ほとんど寝ていない。コイガミノール代を稼ぐために、ジョージさんに頼んで仕事を増やした。普段から当然仕事の依頼は多い。どこもかしこも、俺様の美しさの力を貸してほしいと熱望している。しかし、学業と運命の相手捜索のため、これまで仕事量は抑えていた。今回、コイガミノールの代金のため、来た仕事を全部受けてみた。
はて、いざ蓋を開けてみると、想像以上に仕事が大量に入った。なんでも、大人気のアイドルが長期出張中で、撮影が長引いているらしい。よって、そのアイドルがするハズたった仕事が、俺様に回り、思ってたよりも多く仕事が舞い込んだのだ。
仕事の合間に、山に足を運ぶ。ハシゴを持ち込み、壁に設置する。登れる高さは徐々に増すが、まだまだ頂上にたどり着かない。
山と仕事の往復で、疲れはたまるし、思うように睡眠がとれない。よって、俺様は目の下に特大の美しいクマを作ってしまった。
重労働で、美しい腹がぺったんこになりそうだ。食事でエネルギーを補給しよう。俺様は美しい手つきで、カレーを掬った。ふいに、誰かが俺様の肩を叩いた。
「こんにちは、冬斗さん。お食事中すみません」
マネージャーのジョージさんだった。黒く透き通ったサングラスをかけ、テープを両方の眉間に張り付ける。本日も黒髪をきっちりと七三に分ける。俺様たちが座ったのは四人掛けのテーブルだったから、ジョージさんにも席を勧めた。
「急なんですが、今日の夜、モデルの仕事が入りまして。お受けして問題ないでしょうか?」
「はい。大丈夫です。よろしくお願いします」
「わかりました。先方に連絡しておきますね。冬斗さん、えーと、それでお給料は」
「寄付の割合はいつも通りでお願いします」
手帳を開き、予定を確認していたジョージさんの表情が曇る。
「でも、それだとほとんど寄付になりますよ。何か目的があって、急激に仕事を増やしたんでしょう?」
「いいんです。俺様の美しさは平和と運命の相手に使うって決めてるんで」
「冬斗は一度こうと決めたら頑固だからなあ」
「ニエちゃん、ちょっとカンドーしタゾ」
「感動したなら全百巻の漫画描いて」
「イヤ」
「ちぇっ」
皿に残ったカレーとカツをかきこむ。最後に水を飲み込んだ。補給は完了だ。夜になるまで、山に向かってハシゴをかけてこよう。ジョージさんは仕事の場所と時間を告げ、席を立つ。彼の背中に、照とニエが声をかけた。
「ジョージさん。待ってください、僕にもお手伝いできる仕事ありませんか?」
「ポンコツフユトひとりだけでやってたラ、そのうち倒れるヨ。ニエちゃんも、オベントついてくるならシゴトやルゾ」
「あるにはありますけど……」
ジョージさんは俺様をちらりと見る。照とニエの気持ちは嬉しい。俺様は感謝の意をこめて、ふたりに告げた。
「ありがとう。友たちよ。しかし、俺様なるべく自分でやりたいんだ。占いだってそう言ってたし。じゃ、山に行ってくるぜ!」
食器を返却口へ返す。食堂の職員さんに礼を言う。入学当時、よく美しさで職員さんを病院送りにさせてしまっていたが、最近は職員さんも抗体が作られたようで、普通に挨拶を返してくれるようになった。良いことだ。建物を出て、俺様は山へ急いだ。現地に着いた。歌を口ずさみ、気分を上げる。
「ガンバレ、俺様~。やるぜ、俺様~。美しいぜ、俺様~。流石だぜ、俺様~」
「FUYUTO! FUYUTO!」
「応援ARIGATO!」
森のみなさん――猿、うさぎ、熊や鹿に見守られながら、どんどんハシゴをつける。一週間前、俺様が美しさを放出したため、辺りの木が大きく育った。なので、木を利用しながら、壁にハシゴをつける。太い枝でときどき一休みするものの、ハシゴを壁のてっぺん目掛けかけていくのは大変だ。
作業に没頭し、気が付けば日が傾く。山の中にオレンジ色の光が射す。今日の作業はここまでだ。俺様はすぅと深呼吸をする。空気が肺を満たす。
「こういう自然がいっぱいのところでピクニックデートとかしてみたいよなあ……」
美しい脳内に、美しい妄想が展開される。ふたりで前の週から、天気予報を気にして、予報が雨でも、俺様の美しさでどうにか晴れにする。当日は、ふたりで早起きして一緒に弁当を作って、水筒を用意して、電車に乗る。自然の豊かな場所でレジャーシートを広げて、むふふ、お互いが作ったおかずを食べさせあって、むふふ。なんて素敵なDEETOなんだ。
たまには、遊園地、時には水族館。ホンモノのイルミネーションを見に行って、俺様と電球で、照度・輝度・光度を競って。冬斗さんの方が、光ってるわ。えへへ、なんて言いあって。ゆくゆくは、お義父さんを討伐するための修行に出て、――、ハッ。
「や、やばい。仕事に遅れる!」
妄想を強制終了させ、俺様は山を下りた。仕事にはなんとか間に合った。撮影をそつなくこなし、帰路につく。長時間の活動で、腹が減った。昼間のカツカレーはとっくに消化され、体が新たなエネルギーを求める。美しさだって、疲れのせいでカラカラだ。暮井さんの笑顔があれば、一瞬で美しさが満タンになりそうな気がする。彼女の笑顔を見るためにも、コイガミノールを手に入れなければ。勇気が出せる力のパワーを得るのだ。
陽炎荘に着いた。玄関の扉、ガラス部分から光が漏れる。光にひと影が見えた。シュカさんが玄関にいる。そうだ、恋バナだ。シュカさんと恋バナをして気力を回復しよう。
「恋バナするのも、俺様の美しい夢のひとつだったんだよな。今までは、想像の運命の相手との架空の恋バナを、照相手に垂れ流すだけだったから」
思い返せば、シュカさんとは全然、運命の相手について話せていなかった。ああ、夢が叶うって美しい気分だ。玄関の呼び鈴を押す。が、影に動きが無い。俺様は鍵を取り出し、扉を開けた。ただいまと陽炎荘に入る。シュカさんは電話中だった。玄関近くに設置された電話台の前に立ち、せわしなくノートをとる。シュカさんは俺様に気づくと、手を小さく振った。
靴を脱いで、廊下に上がった。シュカさんはしきりに相槌を打ち、ペンを動かす。ちょうど、山と仕事の往復で忙しくなった頃から、シュカさんの電話の頻度が増えた気がする。
電話台の隣に、棚が新設されていた。棚の上の水槽で、シンシュが泳ぐ。俺様を見て、シンシュは一層元気に泳ぐ。まるで、お帰りと言ってるみたいだ。
「しんしゅ! しゅー! しんー!」
「ははは。おーい、君たち。俺様が帰ってきだぞ~」
「しゅー! しん!」
よく考えればこの子たちは、将来、お兄さんお姉さんになる……のだろうか。妄想が開始される。大兄弟。一家の父として、みんなにいっぱい愛情をあげよう、と美しく決意した。
「俺様頑張るよ。楽しみにしててな」
「しゅーしん! しゅーしん! はよねろ!」
「うわっ、水がっ。わかったよ、また今度遊ぼうな。水族館に連れて行くよ。あ、そうだ、みんなでピクニックに……」
「いいからねろ!」
「はい、はい、ありがとうございました。では、また後日に。失礼します」
カチャンと受話器が置かれた。シュカさんの通話が終わったようだ。シュカさんはノートを閉じると、俺様に振り返る。シュカさんの顔にもわずかに疲れが見える。電話の用件で、シュカさんも疲れているのかもしれない。それでも、シュカさんは笑顔を作り、
「冬斗さん。お帰りなさい」
と言った。
「ただいまです」
「おなかすいていますよね。お夕飯がありますので、温めてきます」
「ありがとうございます。自分で温めますよ。さっきの電話、お姉さんですか?」
「いえ、違います。まだ詳しくは言えないのですが……これからちょっと忙しくなりそうです」
「そうなんですか」
「ごはんとかお洗濯とか、なるべく今までと変わらないようにしますが、もしかすると、ご迷惑をおかけするかもしれません」
申し訳なさそうな顔で、シュカさんは謝った。ここは、シュカさんひとりで運営している下宿だ。現在、下宿生は俺様のみだが、なかなか大変だと思う。ここで俺様がなにも協力しないのは美しくない!
「気にしないでください。俺様も手伝えることがあれば手伝います。洗濯物の乾燥とか」
「あ、乾燥のボタンを押してくれるとかそういう」
「いえ、俺様が乾燥機です。美しさでカラッと乾かします。まるで、天日干しの仕上がりです」
「なるほど。それは素晴らしい。でも、冬斗さん、美しさがまだ十分に溜まってないじゃないですか」
「むむ」
「気持ちだけ受け取っておきますよ。じゃ、夕飯にしましょうか」
夜ご飯を食べ、風呂に入り、布団に飛び込んだ。睡魔に襲われ、数秒で眠りについた。
* * *
数日経った。とうとう、壁の頂上までハシゴがつながった。壁の根元から上まで続くハシゴに、俺様の心が満たされる。森のみなさんの歓声が聞こえる。ジョージさんの助けもあって、仕事をさらに増やし、お金も貯まった。たくさんのお札を用意した。背中のリュックに詰め込んである。
疲労は極限だ。クマだって二、三センチ増えた。しかし、もう少しだ。あとちょっとで、俺様は”どんな難しい恋でも成就させる力を持てる勇気を出せるパワー”を得られるのだ。フハハハハ! 待ってろピクニック! 水族館! 遊園地! 結婚式場! 宇宙旅行!
ハシゴを握り、頂上まで駆け登った。
「やったああああ! よし、てっぺんだ! おお、店がある!」
壁の頂上に平べったい板が一枚、床の代わりとして乗る。見た目とは裏腹に、安定性抜群の板だ。歩いても少しも傾かない。
板もとい床の上に、丸太を積み上げて造った建物があった。正面に扉がひとつ。扉の脇に、呼び鈴がある。扉の上部にカメラが数台とスピーカーが一台。床の端にもカメラが数十台。防犯かつ泥棒対策だろうか。床の端に設置されたカメラは、方々を向く。店の周囲や、地面まで、広範囲を録画できそうだ。
呼び鈴を押すため、扉の前に立った。扉上部のカメラが俺様をとらえる。カメラに向け、記念として美しい満面の笑みを作った。フッ。サービスだ。気分が良いので、もうひとつオマケにポーズを決めた。
あっ、しまった。カメラのレンズにハートの印が浮かび上がる。美しさでカメラを虜にしてしまった。俺様の美しさによって、カメラは自我を持った。勝手にカメラは首を振り、レンズは俺様を正確に狙う。足場で反復横跳びをしてみた。レンズはきっちり俺様を捉えた。扉の向こうから、盛大な舌打ちが聞こえた。店主は建物内にいるらしい。呼び鈴に手を置いた瞬間――、
「フユトー! テッペン着いたカアー!」
「おおーい! 冬斗! 上にいる? 大丈夫かいー!?」
照とニエの声が聞こえた。壁の下から、叫んでいる。
「お前ら! どうして山に? 俺様ひとりで頑張れるってば!」
「ニエと話し合ってさ、せめて近くで応援だけでもしようって!」
目頭が熱くなり、美しい涙で視界が滲む。カメラも泣く。また舌打ちが聞こえる。俺たちの友情はなんて美しいんだ! 感動だ。
「照! ニエ! 熱意に完敗! 友情に乾杯!」
「ベントー持参だゾー! レジャーシートと高性能双眼鏡も持ってきタゾー!」
「人気のデザートも買ってきたよ!」
「お前ら! それもうただの観光だろうが! もういい。さっさとコイガミノールを買って下に降りる!」
呼び鈴を押した。ビーッと音が鳴る。扉は開かない。店主は中にいるはずなのに。俺様は扉を叩いた。
「ごめんくださーい! コイガミノール売ってくださーい! ん?」
扉をよく観察すると、呼び鈴の隣に小さく細長い穴があった。穴の近くに、文字が彫ってある。
”代金 投入口 ※投入後、扉が開きます ※硬貨のみ”
「くそおぉぉぉぉぉぉ!!」
「うわっ、大変ダヨ!!」
俺様の叫びにニエが反応した。ああ、なんて大ピンチだ。用意したお金はほとんど札である。だが、扉に硬貨の投入口しか見当たらない。高笑いが扉の向こうから届く。あの店主、俺様の様子を見て笑っている。
「デザートが、デザートが、箱の端に寄ってるヨ!」
「わあ大変だ! 山道の衝撃でちょっと形が崩れてる!」
ふたりが狼狽えていたのは、俺様と全く関係がなかった。デザートの悲劇を見ての叫びだった。さっきの感動を返せ、と主張したい。リュックを開け、財布を取り出す。とりあえず、俺様は持ってるだけの硬貨を穴に詰め込んだ。目にもとまらぬ速さで美しく投入した。だが、代金には全然届かない。当然、扉は開かない。
「くそっ。どこかに開閉用ボタンとか無いのか!?」
一歩下がり、扉全体を見渡す。俺様は、ひとつ気が付いた。扉の下部になにか文章が書いてある。はっ。きっと、店主が用意した救済策に違いない!
「おーい! 冬斗! そっちはどんな感じだいー?」
「扉に文字がある!」
「下からじゃ見えないかラ、読んでヨ!」
「えーと、”コイガミノールを服用する際の注意事項”……。なんだよ! 扉を開けるヒントじゃないのか!」
がっかりだ。俺様の美しい心に悲しみが浮かび上がる。カメラさんも悲しくなったようで、ぱちぱちとショートする音を立てながら、水を流した。
「ちょっとアナタ! カメラを壊さないでよ! アナタみたいな客ははじめてよ!」
スピーカーから店主の怒鳴り声が響く。ついさっきまで、扉の向こうで高笑いしていたというのに。お忙しい店主だ。
「壊してないぞ。恋に落ちただけだ」
「よくわからないことを言わないでちょうだい! 画面にアナタのドアップしか映らなくなったわよ! あんまり面白くないじゃない」
「でも、美しいだろ」
一台調子が悪くなったところで、まだまだカメラはあるんだから!と店主が宣言する。地上から、照が俺様に語り掛ける。
「冬斗ー! 薬を飲むときの注意って、虫の血で薄めて飲むとか、満月の夜に月明かりを浴びながら飲むとか、好きな相手の一部と共に飲むとか。そういう感じかーい?」
「いや、”毎食後 一日三回服用してください。連続使用はお控えください。” だってー!」
「意外とそれらしいマトモな注意書きだっタナ」
「なんか僕、恥ずかしい……」
ふふふふ。スピーカーから笑いを耐える店主の様子が伝わる。
「アナタのお友達、想像力豊かね。ちょっと面白いじゃない」
「店主に褒められたぞ。良かったな照」
「あんまり嬉しくないよー!」
財布を開く。中身は大量の札だけだ。札の投入口は無い。札を硬貨に変えて、また登るしかない。俺様は財布をリュックにしまう。
「店主さん。お金は用意しましたので。お札を硬貨に変えて、また来ます」
「ピンポンパーン。お知らせがありまーす。アナタが登ってくる間に、価値が上がって、値段が変わりましたのよー!」
「なにっ!? で、今はおいくらなんですか!」
店主は新しい値段を告げた。俺様の引きつった声、照の驚いた声、ニエの腹の虫の声が木々の間に響く。値段が著しく吊り上がった。用意したお金では到底足りない。
「な、なななななな! なんだその値上げ幅は!」
「あーら。気に入らないなら諦めてくださっていいのよ」
「ぐむむむむ!」
瞼を閉じる。美しい脳内で、あとどれだけの仕事をすればいいか計算した。……。疲労のせいで、頭が働かないが、多分、いっぱい仕事をすれば問題ないだろう。
店主は未だ建物の中だ。スピーカーを通し声は聞こえるが姿が見えない。くそ。さっさと山を下りよう。俺様の次のやるべきことは、ジョージさんへの相談だ。ハシゴまで移動し、足をかけた。慎重に一段一段降りる。目線が床と同じぐらいになった頃、店主の高笑いが耳に届く。
「オーホッホッホッ! 失意に塗れて、諦めて、すごすご帰るヒトを見るのは気持ちがいいわ! 最高よ!」
「はあー!? 俺様、諦めないもんね! また来るから待ってろ店主!」
「……アナタこれでも諦めないなんて。心が強靭だわね。気に入ったわ。もともとの値段で売ってもいいわよ」
「本当ですか!」
降りかけたハシゴを登り、再度店の前へ移動した。
「ええ、ただし条件があるわ」
「条件ですか。教えてください!」
耳をスピーカーに近づける。
「ワタクシとデートしましょ」
「無理です。俺様、運命の相手一筋なので」
即答した。さっさとハシゴに足をかけ、地上まで降りた。レジャーシートに座った照とニエが、俺様を出迎える。三人でお弁当とデザートを完食した。ゴミを片付け、シートを回収し、リュックを背負う。山を下りようと、一歩踏み出した瞬間、
「ちょっと、アナター! カメラは直していきなさいよー! さっきから直そうとしてるけど、直らないのよ!」
地上まで店主の声が届いた。
「仕方ないですね。じゃあ、カメラが元気を出せるように……くらえ! 投げキッス三十連!」
上を向き、カメラがある場所にアタリをつけ、俺様は投げキッスを連射した。これで、カメラさんも、元気が出るはずだ。良いことをした後は、心が美しい気持ちでいっぱいになる。
「あっ、ちょっと直っ……ぎゃああ! カメラが高温になって煙を上げたわよ! 本格的に壊さないでよ!」
「フッ。ヒトもモノも、愛に壊れる瞬間があるものですよ。では」
背中に店主の悲鳴を浴びながら、帰路につく。
「暮井さん以外が相手なら、フツーに対応できるみたいなのに。なんで暮井さんの前でだけあんなポンコツなんだろうね」
「なんでだろナ? フシギだネ~」
* * *
山を後にし、電車に乗り、最寄り駅で降りた。照とニエは、陽炎荘まで送ると申し出た。俺様を心配してのことだ。三人で連れだって、陽炎荘まで歩く。朝早くに下宿を出たのに、もうすっかり夕方だ。小学校も中学校も、高校もすでに放課後の時間。時折、下校する生徒とすれ違う。
「冬斗。僕はもう反対だよ。仕事をこれ以上増やすのも、あの怪しいクスリに入れ込むのも」
「そうダゾ。フユト、体壊しちゃウゾ」
「お前らの心配はありがたいが……いびき占いがそう言ってるし。俺様頑張る。踏むぜアクセル」
「いびき占いが示してるのは、コイガミノールじゃない気がするけどなあ」
道の向こうから、誰かが歩いてくる。夕日の逆光でよく見えないが、毛先が跳ねたポニーテール。複数のピンで左右に分けられた前髪、赤いジャージ、彼女は、
「きゅ、きゅきゅきゅ、くれいしゃん!」
「あぁ……、またポンコツになってるよ」
暮井さんだ。まさか暮井さんと会えるとは。困難な課題をちょびっと乗り越えたから、嬉しいことが起こったのだ。いびき占いバンザイ! いつか、いびき占いの担当者にお礼をしよう。今はこの幸運を無駄にせず、暮井さんに話しかけるのだ。平常心。保て平常心。撮りたい記念写真。達成したい以心伝心。
「くっ、くくくく、きゅれいしゃん! こ、こんにちは。いやこんばんは! 願わくばおはようから、式場まで!」
「振れ幅が大きいんだよ、冬斗!」
「ま、まさか会えると思ってなかった……き、緊張で震える」
「うわっ、道の真ん中で反復横跳びしないでくれよ! その振れ幅じゃないって!」
左右に高速移動する俺様を、照が必死に抑える。ニエは地面にしゃがみこむ。
「110センチ! 新記録ダゾ! フユト!」
「ニエ監督! 感激です!」
「測らないで! というか邪魔だよ!」
「じゃあ上方向にする」
「そうじゃないんだよ! ちょっと、連続で立ち幅跳びしないでよ!」
「フユト、お前の可能性は無限大ダ!」
「あっ、暮井さん待って! 冬斗! ストップ、止まれ!」
「はい。池園監督!」
「僕、監督じゃないよ! 止まってってば!」
照の呼びかけのおかげで、暮井さんは立ち止まった。怪訝な表情を俺様に向ける。恋愛力がポンコツの俺様は、彼女を笑顔にするのはまだまだ難しいようだ。
「ええと、池園さんとニエさんと……変なヒトでしたっけ」
「俺様の名前忘れられてる! あれ、ど、どうしたんですか。その」
一週間とちょっと前、暮井さんはきわめて健康的な様子だった。しかし、今は、暮井さんの体中に絆創膏と包帯が張り付く。大けがをしたようだ。
「きゅ、きゅれいさん、お怪我してますよ! だだだ、大丈夫ですか、俺しゃまの、う、美しさで治療を……」
「冬斗。良いから止まろう。暮井さんが、どのタイミングで返事をすればいいのか戸惑ってるから」
「よく舌を噛まないナ」
連続立幅とびを止め、俺様は地面に降り立った。三人からふぅ、と安堵のため息が漏れる。
「えーっとですね。ちょっとヘマをしまして。自業自得なんですが」
「絆創膏とか包帯オオイネ。痛かったんじゃナイ? 大丈夫カイ?」
「心配には及びません。体が丈夫なのが取り柄なので。もうだいぶ治って来ましたし」
「あんまり無理はしないでね」
「ありがとうございます。本当大丈夫なので」
「冬斗もさ、無理しちゃ駄目だよ」
照のコトバが俺様に飛んできた。暮井さんの瞳が俺を捉える。心臓がどくどくと鼓動を刻む。暮井さんは俺様の顔をじっと覗き込んだ。しばらく視線が合う。彼女の表情が、また訝しげなものに変わる。赤いジャージを腕まくりした手を上げ、ひと差し指でご自身の瞳を指す。か、可愛い。とても素晴らしいポーズだ。店主のカメラをひとつもらってくればよかった。俺様はひどく後悔した。
「変なヒトも目のクマがヒドイですね」
「そうなんだよ。冬斗はさ、怪しくて値段が高いコイガミノールを……」
まずい。照が暮井さんにすべてをバラそうとしている。俺様は両手の指をすべて揃える。照に狙いを定め腕を振った。
「美し光線!」
「ぎゃあっ! 美しさを発射する前に、口で言ってよ!」
か細い光線が照の顎をかすめた。俺様のフルパワーからすれば一万分の一も満たない量だ。
「ちくしょう……、力が足りない……」
両手を胸の前に置きペケ印を作った。照とニエに向かって、ペケを見せ、ついでに首を振る。暮井さんには言うな、と体で示した。照とニエは何度か頷いた。
「コイガミノール、ですか?」
暮井さんが、首をちょっとだけ傾げる。可愛い。花マルの可愛さだ。俺様の両手はひとりでに動き、マル印を作る。これだけじゃ足りない。丸を高く掲げ、体を左右に振る。
「フユト。何やってる。疲労でオカシクなったのカ」
「手はお花、体は茎、足は根だ。つまり、花マル!」
「へ、変なヒト……」
ひどく引いた様子で、暮井さんは顔をしかめた。あぁ、俺様に腕がもっとあれば、二重丸を作れたのに。
「えーっと……えーっと、そう! 恋が実るのは、お金で買えないほど高価な価値があるね、なんて話してたんだよ。ハハハ」
「……そうですね」
「ハハハ、そうだよね。本当」
あきれた表情をして、照が俺様を見る。親友の華麗なフォローに感謝した。暮井さんはハッと目を見開き、時計を確認すると、
「私、バイトの時間なので、失礼します」
とその場を去ろうとする。俺様は、急いでリュックの中身を探り、同時に彼女を引き留めた。
「く、くくくくく暮井さん!」
「はい」
「あの、あの! バイト頑張ってくだしゃい! これどうぞ! 体にお気を付けて!!」
「……どうも」
一礼して、暮井さんは去った。リュックを体の前に抱え、思わず飛び跳ねる。
「うっひょおおお! 見た? 見た? 初めて贈り物しちゃった~」
「まーたフユト、幅跳びしてるヨ」
「これは喜びの立ち幅跳びだから良いの! 俺様、勇気出せた! 山で作業するうちに、揮発したコイガミノールを微量に吸引して、効能を発揮したのかもしれない!」
「たまに頭脳のポンコツが直るのはどうしてなんだろうなあ。で、冬斗、暮井さんに何をあげたの?」
「これだ! 記念に照とニエにもあげるぜ!」
手をリュックに突っ込み、俺様は絆創膏の箱を取り出した。照とニエに手渡す。ふたりは、箱を回転させまじまじと見つめる。
「俺様が全面に印刷された絆創膏。大好評グッズだ」
「ヘ、へーエ。すごいナ……。うわ。金ピカの絆創膏にフユトの顔がいっぱい写ってル……夢に出そウ」
「ファン俱楽部隊長の意見で作ったんだ」
ふたりはしぶしぶ、絆創膏をカバンにしまう。はあ、と照はため息をついた。
「冬斗……多分、暮井さんの好感度マイナス100だよ」
「そんな!」
「オマケしてマイナス50ダ。マイナス150ナ」
「マイナスにマイナスで相殺にならない?」
「ならねーヨ」
「俺様の美しさで、なんとか数学の規則を曲げられないかなあ~」
「本当にできそうだからやめてくれよ」
* * *
最近最近、もっと最近、泉美沢冬斗という宇宙で一番美しい青年がいました。彼は、コイガミノールという魔法を手に入れるため、とても働きました。ほとんどのお金を平和のために寄付しつつ、ほとんど寝ずにおしごとをして、一週間で目標のお金を集めることができました。
(泉美沢冬斗~宇宙で一番美しい物語~ 第八巻(予定)より抜粋)
一歩一歩歩く度、背中のリュックがジャラジャラと金属音を立てる。リュックいっぱいに詰めた硬貨のせいである。俺様はひとり、山奥にやってきた。
照とニエの美しい応援はありがたい。しかし、占いに書いていた。自らで困難な課題を解決せよ、と。今頃、照とニエは昼一の授業に出席している、はず。お金が貯まりきったことも告げていない。
目的地に着き、ハシゴを登る。リュックのヒモが時折、みしっと嫌な音を立てる。中身が重すぎてヒモがちぎれそうだ。疲労困憊の中、頂上についた。扉の硬貨投入口へ硬貨を全部入れた。途端、扉が全開になる。
「すいませーん! コイガミノールを買いに……うわっ、なんだこれは!」
建物から白煙が勢いよく飛び出し、辺りを白く染める。店主が、俺様たちの前から消えたときと同じ煙だ。げほげほとせき込んだ。視界が真っ白で、店も、木々も何も見えない。
「店主さーん! げほっ、いますか!」
背後でバサリと音がした。俺様は両腕をその場で動かし、煙を追い払う。
「あっ!?」
登ってきたハシゴが無い! 床の端で這いつくばり下を覗く。切られたハシゴが、無残に地面に転がる。壁はもとのツルツルな表面に戻った。どうやって帰ればいいんだ。
「おーほっほっほ! コイガミノールなんて嘘に決まってるじゃない! おほほぅほ! 最高の喜劇だったわ!」
煙がすべて晴れ、店主が現れた。這う姿勢のまま、俺様は振り返る。彼女は上機嫌に、シャキシャキとハサミを開閉する。
拝啓、新聞のいびき占い係 御中-- 困難な課題って、困難すぎませんか。 冬斗より
私と君と陽炎荘 第5話 「高くて高い壁でも乗り越えてやるぜ!」 【 第6話へ続く 】
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