第4話 「魔法なんてない!」


 希望のあらすじ: 俺様は運命の相手と無事に結ばれ、ふたりで幸せなジンセイを送りました。以上。

 実際のあらすじ: 俺様は運命の相手に3.5度振られ、ひとり枕をびちゃびちゃにしました。異常。


  * * *


 物理的にキラキラした告白から一夜明けた。昨夜、ニエと照に猛抗議をしたが、振られ数は3.5から変わらなかった。俺様はニエからレッドカードを出され、退場した。俺様の美しい心は甚大な損傷を受けた。失意のまま陽炎荘に戻り、シュカさんが用意してくれた夕食を冷蔵庫にしまい、風呂にも入らず、布団で眠った。びぇんびぇん泣きながら寝た。気分は最悪だ。加えて、めちゃくちゃな悪夢を見た気がする。


 まさか自分が振られるなんて思ってもみなかった。失恋の可能性なんて微塵も浮かばなかった。ここ数日の出来事は、まるで夢のようで、体がふわふわ浮いている感覚がある。まだ涙が止まらない。

 部屋の外から、階段を上がる音が聞こえた。ほどなくして、扉がノックされる。


「冬斗さーん! おはようございます! 大丈夫ですか!?」


 ああなんて、シュカさんは心優しいんだ。3.5度振られた俺様を気遣って温かいコトバをかけてくれる。目頭が熱くなる。さらに涙が増産される。


「うわあああ! もっと増えた! 冬斗さん、廊下まで美しく光る水が漏れてるんですけど! どうしたんですか!」

「俺様の涙です」

「うわっ、生命が生まれてる! 水の中で生命が生まれてます! 跳ねた!」

「新種の生命です」

「ええええ!? 生命の神秘だ……ううっ、感動です! じゃなくて、とにかく、拭くものを持ってきます!」

 

 布団やマネキン、机、鏡が部屋の中で涙に浮く。あまりの悲しさに、昨夜から涙を流しすぎたみたいだ。俺様は、自分の涙に浮いた。シュカさんが、自慢の筋肉で扉をこじ開ける。わずかな隙間から、タオルやら新聞紙やら、吸水性のあるものが投げ込まれた。シュカさんはまだ扉の向こうだ。パシャパシャと水をかき混ぜる音がする。


「あっ、逃げないで! 水槽に入ってくださいー!」


 ふたりで手分けして涙を片付ける。徐々に水位が下がる。ある程度下がったところで、シュカさんが部屋の扉をゆっくり開けた。水中眼鏡と水着を着用したシュカさんが現れた。彼は片手にトロピカルジュースを、もう片方の手に金魚網を持つ。網の中で、新種の生命がぴちぴち跳ねた。


「冬斗さん、大丈夫ですか?」

「……大丈夫です、と返したいんですが、美しく落ち込んでいます」

「ですよね。いつもより美しさが弱いですし……、いやそれでも十分に宇宙一美しいんですけどね」

「ええ、昨日、告白をした際に美しさを使い切ってしまったんです。満タンになるまでしばらくかかりそうです……」

「そうなんですか。落ち込んだときは休むのもいいですよ。いかがですか。トロピカルジュース」

「ありがとうございます」


 ストローに口をつけ、ジュースを啜る。甘い液体が喉を潤した。さて、残りの涙も拭き取らなければ。まだ乾いている新聞紙に手を伸ばした。念のため、日付を確認する。


「あれ、これ今日の新聞ですよ」

「ありゃりゃ。手当たり次第、水を吸い取れそうなモノを持ってきたので、見落としてみたいです」


 様々な報道が紙面に並ぶ。”氷籠祭に向け準備開始”、”泉美沢冬斗氏、美しさの最高出力を更新”、”高校で爆発騒ぎ”、”公園にウチュウ・ジンさんから銅像寄贈”。そうだ、たしか地元新聞に、いびき占いのページがあったはずだ。


「うう。せめて占いで一番になってないかな……」

「一番だったら良いですね」


 いびき占いのページを探す。目当てのページを見つけ、俺様の誕生月の運勢を見る。


「一番ですよ、シュカさん! それもすごい一番です!」

「おお、良かったですね!」

「大一番って書いてます! 一番が大きいんですよ! 説明は、『困難な課題が起こるが、それを自らで乗り越えられれば、うれしいことが起こります。』だって」

「……ええ、大きい一番でよかったですね」

「ん?」


 占い紙面の下、本や商品の宣伝が連なる。ひとつ、気になるものを見つけた。装飾が豊かな小瓶の写真。小瓶の中に液体が見える。値段は時価。連絡先は住所の記載のみ。小瓶の名前は、

 

「コイガミノール」

「へえ、市販薬みたいな名前ですね」

「効能は、『どんな難しい恋でも成就させる力を持てる勇気を出せるパワーをアナタに授けます』」

「ええ?……なんだか、説明がとても怪しいですね。力とパワーって一緒ですよね。ねえ、冬斗さん。……冬斗さん?」


 コイガミノール。これだ。涙にくれた俺様に、ひとすじの光が差し込んだ。


「俺様、コイガミノールを買ってきます!」

「ええっ、やめましょうよ!」

「待ってろ! コイガミノール!」

「冬斗さん! あっ、ちょっと!」


 ジュースと新聞紙を頭上に乗せ、目にもとまらぬ速さで手を動かした。一階まで下り、陽炎荘内の涙をキレイに掃除した。自室に戻り押入れを開ける。服を取り出した。ノースリーブの白いニット、薄手のカーディガン、細身の濃い灰色のパンツ。着替えを済ませ、一階に降りる。靴を履き、玄関の扉を勢いよく開けた。


「魔法を買ってきます!」


  * * *  


「で、これを買おうと思うんだ」


 大学近くの喫茶店に、照とニエを呼び出した。喫茶店は茶色いレンガ造りの外装で、店内は窓が少ない。窓の代わりに、夕日を薄めたような色の電球が店内を照らす。重厚な木製のテーブルに、座面が深紅のベルベッド張りの椅子が並ぶ。レンガの壁が店内を区切る。半個室の雰囲気だ。異国情緒漂う置物たちが内装を飾る。この喫茶店はモーニング定食が好評だ。ニエと俺はモーニングを頼んだ。照はすでに朝食を食べたらしく、ホットコーヒーを注文した。

 店員が去った後、俺様は新聞を取り出す。周りに気づかれないよう、そっと机の上に置いた。コイガミノールの広告を指差す。


「てか、今日フユトちょっと暗くナイ?」

「ニエ、そりゃ3.5回も振られたら、いくら冬斗でも落ち込むよ」

「そうじゃなくて、なんか明るさが低くナイ?」

「ああ。告白で美しさを放出したからな。元の量まで溜まるまでちょっと時間がかかるんだ」

「へえー。タイヘンだナ」


 広告を眺め、一通り文章に目を通した後、ふたりは首を傾げた。


「で、冬斗。こんな怪しい商品を買うのかい? 説明がくどくて、効能がよくわからないんだけど」

「ああ。買おうと思う。今の俺様にピッタリの商品だ」


 ダレカに代わりに告白してもらうとか、手紙を代筆してもらうとか。俺様としては美しくないと感じる。だから、ええと、とにかく力とパワーと勇気をもらって、改めて、ちゃんと告白したいんだ。


「”大人気商品のため、売り切れ御免。ご希望の方は、現地まで”……通販は無くて、直接購入するしかないみたいだね」

「住所が書いてあるヨ」


 小さな文字で、住所の記載があった。照が顔をしかめる。


「この住所……、すごく山奥じゃない? 電車もバスも通ってないし、行くのは難しいと思うな」

「……むむ。魔法を使うのも一苦労だな。はっ!」


 美しい脳内でひとつの説がビシっとつながった。俺様は勢いよく立ち上がる。びっくりした照が新聞を強く握り、紙にしわが入った。


「わっ、どうしたんだい冬斗!」

「これだ! これが困難な課題だ!」


 同じページのいびき占いの欄に視線を移す。”運勢:大一番。困難な課題が起こるが、それを自らで乗り越えられれば、うれしいことが起こります。 ※過去のいびきの再利用のため、普段よりも的中率は低下する可能性があります。”


「課題は、コイガミノールの購入を暗示してるんだ! 俺様が無事にコイガミノールを購入して、飲んで、パワーを得て、告白が成功する! こういう意味だ!」

「山奥に向かうのはたしかに大変だろうけど……、本当にそれが困難な課題なのかなあ」

 

 店員が料理を持ってきた。モーニング定食ふたつと、ホットコーヒーがテーブルに置かれた。ごゆっくりどうぞ、と言い残し店員は去る。うまそうな食事を前に、ニエは目を輝かせた。こいつは大食いなのだ。


「やったア! ニエちゃんモーニングね! ふたつ!」

「こら! ひとつは俺様だ!」

「ははは」

 

 モーニングをバクバク食べるニエ。その横で、照はホットコーヒーをゆっくりとした動作で飲む。俺様も食事を口へ運びながら、話を続ける。


「俺様は、コイガミノールを買うつもりだ」

「まあ。冬斗がどうしてもっていうなら”好き”にしたらいいと思うけど」

「ぐあっ」


 心が痛む。胸を両手で抑え、俺様は必死にさすった。照が狼狽える。


「ど、どうしたの」

「今、俺様に”好き”というコトバを浴びせないでくれ。ショックがよみがえる。せっかく充電中の美しさが好き一回につき3%も放出されてしまう」


 皿を綺麗に片づけたニエが、目を細めニヤリと笑う。


「へー。そうなんダ。ニエちゃん、ここのモーニング大好き好きー! 好き好き好きー! すっきー!」

「ぐわあああ! ニエ、お前覚えとけよ! ああ、美しさがー!」


 喫茶店に美しさが飛び散り、きらきら光る。店内の美し度があがり、お客たちは心が穏やかになった。星の平和指数がまた上がった。俺様は机に突っ伏した。


「美しさの残量がまたほとんどゼロに……」

「ごちそうさまでしター!」

「僕もごちそうさま」

「うう……」


 注文した品を平らげ、喫茶店を後にした。新聞の広告を頼りに、コイガミノール販売店へ向かう。まず、最寄りの駅から電車で登山口の駅まで移動する。その駅から、自分たちで山に登る算段だ。


「売り切れてたらどうしよう……」

「いや怪しいニオイがぷんぷんするし、多分売り切れてないと思うけど」

「電話番号書いてナイ。住所ハ山奥。値段ハ時価。手に入れるまで、壁が高いシロモノだナ」


 いびき占いの文章を思い出す。”困難な課題が起こるが、それを自らで乗り越えられれば、うれしいことが起こります。” 俺様が困難を乗り越え、コイガミノールを手に入れたあかつきには、とてもうれしいナニカが起こるに違いない!と自らを鼓舞する。


「いざ、魔法が潜む山へ! どんな高い高い壁でも乗り越えてみせるぜ! ワハハハハ!」



  * * *


「高えよ!」

「高いねえ……」

「ウン。高イ」


 駅を降り、山道を歩き、広告にあった住所へ到着した。疲れた。かろうじて地面に立つものの、両手を膝に押し付け、上体を倒した姿勢だ。短い息を繰り返す。汗が土に落ち、シミが広がる。

 現地で俺様たちを待ち構えていたのは、高い壁だった。山頂近く、深い木々に囲まれた広場に突如登場した灰色の壁。壁の根本に一枚の看板が。”コイガミノール 直営店 ご用の方は頂上の呼び鈴をどうぞ”。


 顔を上げ、頂点を探る。壁の上の方は、木々に囲まれ地面からはよく見えない。呼び鈴どころか、壁の上端が目視できない。看板の文言から察するに、壁の頂上に店があるのだろう。俺様は壁を登るための手段を探した。残念ながら無かった。階段やハシゴの類は周囲に存在しなかった。試しに、壁に両手をかけたが、表面がツルツルだし、凹凸もほぼ無いし、とても登れそうになかった。


「カベと木以外、特に何もナイなア」

「くそ……こんなの……、ひどいぜ……」


 ガックリと地面に跪く。まさかこんな物理的に高い壁があるなんて想像していなかった。


「元気を出して、冬斗。多分、広告は嘘だったんだよ。陽炎荘に帰って、ほかの案を探ろう」


 照とニエは来た道を引き返す。俺様はその場に立ち、叫んだ。


「すみませーん! どなたかいませんかー! おーい! コイガミノールおいくらですかあー! あるだけくださーい!」


 壁の上方に向かって大声を出した。俺様の呼びかけにびっくりして、ふたりが駆け寄ってきた。


「冬斗! まだ買う気があるのかい!?」

「ああ! 満々だ!」


 胸を張って答える。照は唖然とし、ニエは頭を抱えた。


「つけるクスリがねえナ……」


 店が壁の上にあるのなら、壁を叩けば振動で気づいてくれるかもしれない。俺様は壁の根本に張り付き、両手で叩いた。それから、上を向いて大声で再度呼びかけた。


「もしもーし! どなたかいらっしゃいませんかー!」

「はあ……」

「どうスル?」

「しょうがないなあ。ここまでくればもう一心同体だ」


 両隣に、照とニエが張り付いた。俺様に続き、ふたりも壁を手で叩きはじめた。静かな山の中、ドンドンと低い音が絶え間なく響く。しかし、なんの返答もない。ここに来るまでの疲労もあって、体力の消耗が激しい。三人は壁を背にして座り込んだ。


「はあはあ……」

「本当に高い壁だったね……」

「こんなコトならハンマーを持ってくるんダッタ……」


 脳裏に、ハンマーを楽しそうに振り回し壁を破壊するニエの映像が浮かんだ。壁と店は崩壊し、コイガミノールの容器が割れ、地面に全部こぼれる。おお、恐ろしい。


「ニエ。お前、壁を壊しちゃダメだろ」

「ム。そんな野蛮なコトしナイぞ」

「じゃあ何に使うんだい?」

「店主にハンマーで突っ込みをイレル。こんなイジワルな構造にしやがッテって」

「その方がよっほど野蛮だろ。平和で美しい解決策を思いつかないと……、むむむ、頑張れ……俺様の美しい脳細胞たちよ……あっ、ひらめいた!」

「本当カ?」


 この作戦が上手くいくかはわからない。しかし、やるしかない。俺様は体内のわずかな美しさを結集させ、光線に変換した。口から排出して、上を向く。壁のてっぺんの店に届くように。伝えたいことを心に浮かべ、光を点滅させる。どうか伝わってくれ、俺様の思い!

 ちらちらする美しい光に、ニエと照が目を細める。照は俺様の意図に気づき、はっと目を見開いた。


「こ、これは!」

「テル、説明してヨ!」

「おそらくモールス信号。冬斗は残り少ない美しさで、店主に伝えてるんだ。”コイガミノールを売ってください”って」

「エー、フユトにそんなことできるかなア」


 半信半疑のニエは放っておいて、俺様は光を点滅させることに集中する。


「うおおおおお。残り少ない、少ないけど、俺様は全力を出す! 出し惜しみなんかしない! 届け思い。実れ初恋。君だけ本命。飛ばすぜ号外。愛の照明。手は抜かない一切。イエア!」

「イエア! イエア! フゥー!」

「だからすぐにラップにしないの! ニエも乗らないの!」


 木々が揺れる。大小さまざまな足音が聞こえる。草木の間から彼らは現れた。俺様を応援するために、彼らが吠える。


「FUYUTO! FUYUTO! FUYUTO! UTSUKUSHI! FUYUTO!」

「この歓声は……、も、森のみなさん!」

「FUYUTO! FUYUTO! SUTEKINA IBENTO! MEZASE MEOTO! KOREDE RASUTO!」

「森のみなさんまで、ラップを! 俺様URESHI!」

「なんでだヨ」

「まあ、冬斗の美しさが起こしたKISEKIってことで」

「テルが引きずられたらダレが収拾つけるんだヨ」


 気が付くと巻き起こるFUYUTOコール。かつて美しさで救った猿や熊、ほかの森の仲間が応援に集まる。手作りのハッピや鉢巻を着けて……、うれしい。涙が出てくる。みんなの優しい心で、美しさが少し回復した。


「いっけえええ!!!」


 思いが最大限伝わるように、最高速度で点滅させた。観客の興奮は最高潮。会場は熱気に包まれ、木々までが俺様の美しさを受け、ぐんぐん育つ。木が壁を瞬く間に囲む。山と友が一体になって、俺様を応援する。種族を超え、同じ目標に向かって、心をひとつにする。極めて美しい平和がそこにはあった――。

 気が付けば、煙が会場を包む。壁や木々を覆い隠す。みなに動揺が走る。ゆらりと、煙の向こうに人影が見えた。俺様は発光を止め、森のみなさんも静かになる。


「アナタ! いい加減にしなさい! 売ってあげないわよ!」


 煙の中から、店主が現れた。艶艶と光る黒髪がくるぶしあたりまで波打ちながら伸びる。濃い紫色の布を体に巻き付け、片手にフラスコを持つ。内部の液体は、深い緑色でどろどろの様子だ。フラスコから黒い煙が上がる。みるからに失敗作だ。液体がいくらか飛び散り地面に落ちた。焦げたにおいがする。

 店主は眉間にシワを寄せ、俺様を睨む。赤紫に塗られた唇が震える。怒りを前面に押し出した表情で、俺様に詰め寄る。鬼気迫る顔に、森のみなさんは一目散に逃げだした。今まで協力してくれてありがとう。俺様は感謝の思いをこめ、ラストの発光をした。店主は叫ぶ。俺様の目の前にフラスコが突き付けられた。


「だからそのチカチカ光るのを止めなさい! 気が散って失敗したじゃないの!」

「え、じゃあそれがコイガミノールですか」

「そうよ! 失敗作だけどね!」


 鼻息が荒く、店主は興奮した様子だ。布からわずかに見える足で、地団駄を踏む。失敗作のフラスコを見て、照とニエが呟いた。


「嘘だと思ってたケド、本当にあったのカ。コイガミノール」

「店主さんが出てきてくれたなんて、冬斗のモールス信号が伝わったみたいだね。やったじゃん」

「俺様、モールス信号なんか出してないぞ」

「えっ。じゃああの点滅は?」

「気持ちを込めて、激しく点滅してただけだ」


 はぁ、とため息を吐き、照は肩を落とした。目を瞑り、片手で額を抑える。さっきまで、感心した様子で俺様に親指を立てていたのに、とんだ様変わりだ。

 

「だから言ったダロ」

「僕としたことが。冬斗が美しさ以外宇宙一ポンコツだったのを失念してたよ」

「わははははは。こいつぅ。親友のくせにひどいぞ」

「……アナタたち、なかなかいい根性してるわね」


 店主の地を這うような声で、俺様は目的を思い出した。恋の成就のため、コイガミノールを買いに来たのだ。店主に向かい、頭を下げた。


「店主さん! コイガミノールを売ってください!」


 どうか、”はい”と答えてくれと心の中で願う。俺様の美しい光のせいで、かなり気が立っているようだから、もう売ってくれないかもしれない。


「いいわよ」


 意外にも、店主はすんなりと許可をくれた。


「えっ、いいんですか」

「もちろんよ。お客様になら喜んでお売りします」

「へえー、おいくらですか」

「フフフフフ。アナタはまだお客様ではないわ」

「えっ!?」


 気が付けば、辺りを覆っていた白い煙は消えた。再度、高い壁が現れる。店主は壁を指差した。


「アナタはまだ高くて高い壁を乗り越えていないもの!」


 赤紫の唇を吊り上げ、店主は高笑いした。


「高くて高い……? イエア! 見せてやる決意! 響かす美声! 信じる占い!」

「どうしていきなりラップなんてするのよ。売らないわよ」

「すみません」


 素直に謝った。


「いい? 買いたいなら高い壁を乗り越えてみなさい。ワタシがなんのためにワザワザ高いところに店を構えたと思ってるのよ」

「わかりません。だから、精神的に乗り越えるんじゃダメですか?」

「ダメよ。物理的じゃないと絶対に売りませんから」


 あくまで、店主が地上に降り立ったのは注意のため。高い壁を登りきらないと、購入資格は得られないらしい。


「頑張りなさいな。じゃあね」 

「待ってください! お値段だけでも教えてください!」

「そうねえ。今のレートなら……」


 店主は値段を告げた。続いて、布の下から球体を出し、地面にぶつける。白い煙が上がる。すぐに鼻と口を覆ったが、俺様たちは煙を吸い込んでしまった。思わずせき込む。煙が消えた後、店主の姿は無かった。すでに店に戻ったようだ。


「冬斗、どうするの。本当に買うのかい?」

「すっごい金額だったヨ」


 提示された額は、とんでもない金額だった。俺様の貯金では到底足りない。どうやってお金を用意すれば。目の前は高い壁がそびえたつ。脳内では高い値段がぐるぐる回る。二重に高い壁だ。頭上から声が届く。


「アナタの覚悟が生む、とっておきの劇を見せてみなさい! ウフフフフ!」


 店主の笑いが山の木々に反響した。新聞の占い欄を思い出す。『困難な課題が起こるが、それを自らで乗り越えられれば、うれしいことが起こります。』

 困難な課題--。俺様は高くて高い壁を乗り越えられるのだろうか。


「いや! 乗り越えて見せる! 待ってろ、コイガミノール!」


 美しい叫びが、山の中ににこだました。






私と君と陽炎荘 第4話 「魔法なんてない!」 【 第5話へ続く 】

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