第41話 

照れ臭そうに現在の妖の主となった兄ちゃんが、私に一目惚れした時の話をした後に言う。

 私は彼の腕の中に包まれたまま2人でよく過ごす部屋で話していた。どうにもこの状況に納得できずにいた。

 攫われるようにして帰ってきたこの屋敷。

 他の婚約者を探して欲しいと頼もうと考えていたというのに、それを言わせないかのような話をしてくる。

もしかすると、自分の魂胆など気づかれているのかもしれない。

言葉通り、自分を離そうとしてくれない兄ちゃん。逃げることはあの日に不可能だと分かっている。

 だが、このままで良いのだろうかという思いが私の中によぎった。

どう考えても、自分と結婚するべきではないのだと考えてしまう。

 大切にしてくれて、大切に思ってくれるのは嬉しい。

でもずっと守ってくれて支えてくれた人として私にとっても兄ちゃんは大切な人であった。

 だからこそ、自分以外の人間か妖かどちらでも構わない。

幸せになって欲しいのだ。

 人間社会とは基本的に違うルールで出来ているが、結婚については人間と同じ。

一夫多妻は認められていない。

 だから、側室を持つことも許されないのだ。

つまり、私と結婚してしまえば私だけしか妻として認められない。

 愛人を持つなど恥の恥だ。

そのことを兄ちゃんの両親もよく分かっていたが、息子を永遠の命の呪いにかけたくなくて側室を持つことを提案していた。

 全ては息子を案じてのことだった。


私は意を決して告げる。


『兄ちゃん。今からでも遅くはない。別の人と婚約しなよ。私とは婚約破棄してさ、そして幸せになってよ』


なるべく笑顔で言うように私は努力してみる。

何も思わない訳ではなかった。

 

ここまでして自分のことを取り戻そうとしてくれたこと。

大切に思ってくれていること。

大好きだと、愛していると毎日囁いてくれていること。

当たり前の日常を当たり前のように与えてくれていること。


その全てに感謝をしている。それがなくなることが残念に思わない訳ではなかった。

 私は何も返してあげることができないが、それでも感謝だけはしていたのだ。

両者すれ違う思い。

 どちらかが合わせなくてはすれ違ったままの思い。

互いに大切に思うからこそのすれ違いだった。


「嫌だ」


低い声が部屋を支配した。

 いきなりの兄ちゃんの声色の変化に私は驚く。

抱き抱えられていた腕はいつの間にか、自分の両肩にあった。

 畳の上に押し倒されたのである。

正面には美しい顔をした妖が瞳に写っている。

 今の彼の瞳は真紅の色をしていた。

そして鬼天狗特有の鬼の角が2つ、額から生えていた。

 よく聞けば翼の音も聞こえる。

まさしく『鬼天狗』となって私のことを押し倒していた。

 その姿すら美しいと思った。


「この姿の僕が怖い?」

『怖くないよ。…今の話題と関係ないと思うんだけど』

「関係あるよ。この姿を見れば、皆恐怖で僕に服従するんだ。でも君は違う。ありのままの僕を見てくれる。受けれてくれる。鬼天狗にとってそれはどれ程嬉しいことなのか、君には分からないよね」

『その通り。分からないよ。だから』

「これから先、分かる人なんて現れないよ。僕は記憶を受け継いでいるから分かっているんだ。そして、それは妖の本能にも刻まれている。だから、分かることは決してない。皆僕を怖がる」


それはなんて孤独なことなんだろうかと感じた。

 確かに内包している力はとんでもないものだ。

世界を滅ぼそうと思えば出来るであろうほどの暴力的な力。

 だが、基本は温厚な性格の兄ちゃんがそのようなことをすることはないだろう。



きっと私のこと以外に関して言うならば、の話であるが。



話している間の兄ちゃんの瞳は私から見ればとても辛そうに見えた。

 どこかで孤独を感じているということは聞くまでもなく分かることだった。

圧倒的な力というものは妖は欲しがるものだ。

 だけど同時にその力と同等な者がいなければ独りと同じ。

兄ちゃんがそう感じてしまうのも無理もない話だった。


「君ぐらいだった。僕を怖がらないのは。だから好きになった訳ではないけれど、でも僕は君に救われていたんだ。それは今でも同じだよ」


辛そうな瞳から愛しい者を見る瞳へ。

 愛が何たるか分からないフリを続けている私でもその変化に気がつくことができた。

孤独が辛い気持ちは私には嫌でも分かった。

 百済の屋敷でずっと感じていた気持ち。誰もそばにいてくれる人はいなかった。

 ずっとあの屋敷の中では孤独だった。

それが私にとって当たり前のことで、それを受け入れ諦めていた。

 諦めれば人間という生き物は大抵のことは平気になってしまうもの。

それでも孤独を感じないという訳ではなかった。

 家族であるはずの人物たちが楽しそうに笑う姿を見ては感じてしまっていた。

当たり前を享受してきた兄ちゃんでさえその孤独を味わっていたとは。

 私はその事実に少しばかり驚いた。


『兄ちゃんは私に孤独を癒して欲しいの?』

「違う。欲を言えば、僕を愛して欲しい。僕だけを見て欲しい。」


とてつもなく難しいことを兄ちゃんは私にはっきりと言った。

 愛情をもらうことなく育った私。

親から当たり前のように貰えるものを私は貰っていない。

 だから、未だに遼の気持ちに応えることが出来ずにいるというのに。

それを兄ちゃん自身が分かっていないはずがない。

 それなのに彼ははっきりと私に言った。



愛して欲しい、と。



なんて傲慢なんだろう。

 私はそう思わざるを得なかった。

百済の屋敷にいたままではその願いが叶うことはなかったかもしれない。

 けれど今は違う。

烏丸の屋敷に半ば強引に連れ戻されたが、当たり前の日常をくれる環境にいる。

 当たり前のように大切にしてくれる人が沢山いる。

私を愛してくれている人が目の前にいる。

 愛を知るという環境は整っていた。

だから、不可能という訳ではない。

 ただし、時間のかかることだろう。受け入れるということはそういうことだ。 

それか何かしらの大きなきっかけがなければ私にその愛が届くことはない。

受け入れられることはない。

 それを全て承知の上で兄ちゃんはそう願っているのだ。


あぁ。もう、この男から自分は離れることは出来ないんだ。


私は、婚約者を薦めるという考えを諦めることにした。

 何をしようと兄ちゃんは自分との結婚を諦めるということをしないということがよく分かってしまったから。

 伝わってしまったから。

だから。自分も腹を括ろうと決めた。


『分かったよ。私は兄ちゃんの婚約者のままでいるよ』


そう先ほどとは真逆のことを言い放った。

 その言葉がどれ程嬉しかったのだろうか。

兄ちゃんは涙目になりながら笑い、私の額にキスを落とした。

 その行為を黙って受け入れた。

参りましたというように黙って受け入れていた。

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