第37話
遼は急いで大広間まで向かった。
事態は混乱状態に陥っている。
両親が陰陽寮に抗議をしていたが、やがて捕縛された。
それを見て目の前が真っ赤になりそうになったが、遼はなんとか理性を保った。
雫が待っているのだ。
この事態をどうにかして収めなくてはならない。
鬼天狗である自分が。
「陰陽寮寮長、これは一体どういう魂胆だ。ここがどういう領域か知らぬわけでもあるまい」
「おや、鬼天狗殿。数ヶ月ぶりでしたかな?我が娘を誘拐してから」
「あれを誘拐と申すか。貴殿の頭の中はどうなっている」
あくまでも冷静に雫の父親に向かって言う。
一方、何故か余裕たっぷりな雰囲気を纏う雫の父親。
両者の言い分は嚙み合っていない。
まるで断崖絶壁の壁で話をしているようだ。
「捕縛した者達を離してもらおう。傷つけるのなら、陰陽法に則ってそちらを訴える」
「出来るものなら」
そう言って雫の父親が振り返ると、そこには部屋に居たはずの雫が立っていた。
いつも彼女の代わりに話させている式神は肩の上で色を変えて変形していた。
何かしらの強力な術を遠隔で掛けられたのだ。その証拠に雫の瞳は虚ろだ。
何処を見ているのかも分からない。
「雫!」
『……どちら様ですか?』
頭を誰かに殴られたような衝撃だった。
今、雫は自分になんと言った?
聞き間違いであることを願い、もう一度名を呼ぶ。
『申し訳ございません。貴方のことを私は知りません』
残念なことに聞き間違いではなかった。
愛する人からのあまりに残酷なセリフ。
遼はショックを受けながらもなんとか落ち着いた態度を取り続けた。
『何故私はここに居るのでしょうか。百済の屋敷に帰らなくては』
それだけは阻止しなくてはならないことだった。
もう一度あの屋敷に戻れば雫が戻れる確率などないに等しい。
遼は初めて会った日のように言葉を選んで話した。
「雫ちゃん、ごめんね。それは出来ない。君は今、記憶を奪われているんだ。何か違和感がないかい?」
そう怯えさせないようになるべく優しくそう言った。
雫はそう言われても首を横に振るだけ。
随分とまぁ強力な術をかけられたようだ。
遼は思考するが、これ以上の案が浮かばない。
『もう良いでしょうか。妖の茶番にこれ以上付き合う気はありません』
冷たい視線を遼に向ける婚約者のはずの彼女。
まるでゴミでも見ているかのような表情だった。
そのような表情を向けられた事のない遼は少し戸惑うが、そこは雫の婚約者。
彼女が離れて行こうとするのを許さなかった。
「また離れるの?逃げるの?雫。」
『離してください。貴方のことなんて私は知らない』
乱暴に離される遼の手。
さっきまで包まれていたはずの手が離れていく。
その光景をさぞ面白おかしそうに雫の父親は見ていた。
「雫を大人しく返すのならば、この場は引いて差し上げましょう。貴方様には私の長女を献上致します」
長女とはすなわち雫の姉の舞のことである。
挨拶に日に断ったというのに執念深い話だ。
鬼天狗が陰陽師の家と夫婦関係になった場合、強力な妖と人間とのパイプを作ることができる。
父親はそれが目的で舞を嫁がせようと必死なのだろう。
そのことは遼もよく理解していた。
雫の今の状態と捕縛されていく妖たち。
遼は選択を迫られていた。
しばし考え込んだのち、こう告げた。
「必ず雫のことは迎えに行く。しばらく、そちらの屋敷に預けることにしよう」
「その必要はございませんよ。舞を迎えにさえ来てくだされば結構です」
遼は、鬼天狗としての立場を優先させることを選んだ。
苦渋の決断だった。
本当はどんな手を使ってでも雫を渡したくなどなかった。
でもそれは今の状況ではとても難しいことだった。
鬼天狗である遼は妖たちを守る義務もある。
本当に、苦しい決断だった。胸が張り裂けそうな想いだった。
「雫。必ず迎えに行くから」
『結構です。私を助けてくれる人などいません』
雫からの拒絶の言葉を言われながらも諦めようとしなかった。
否、諦めるという選択肢が遼にはない。
「僕は諦めないから」
雫はその言葉を背にして屋敷から去っていった。
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