第34話 

そして翌日。


黒く長い髪は三つ編みにされず下ろされている。

 横髪だけ後ろで纏められてハーフアップにしていた。

纏めている髪の所には校則違反にならない程度の大きさのバレッタが留められている。

 これで袴姿であったなら女子学生に間違えられただろう。

いつもの地味な雰囲気とはおさらば。ちょっとだけ垢抜けたかもしれない私がそこには立っていた。


「うわぁ!可愛い!!」

『朝からちょっとやめてよ!』


朝食を摂りに向かった部屋でいきなり兄ちゃんに抱きしめられる。

 何故か兄ちゃんはバレッタを撫でていた。

バレッタに何か埃でも付いているのかと思ったが、彼の表情を見る限り違うようだ。

 うっとりとした表情で見ているからだ。

じっとした目で未来の夫になるはずの男を見る。


「バレッタ見た?僕の翼の羽を埋め込んで作ったんだよ。」

『兄ちゃんの手作り!?』

「よく似合っているよ。」


あまり意識せずにお手伝いである久美子さんに髪型をセットしてもらったので、私は見てなかった。

 そんな器用なことが出来る妖だっけ…と少し考え込んでしまいそうになるが、そんな時間はない。


『兄ちゃん、離して。ご飯食べて学校行かなきゃ』

「え~。こんな可愛い子を離したくない」

『兄ちゃん』

「遼」

『へ?』

「遼って僕のことを呼ばせたら離してあげる」


悪戯っ子のような表情で言う兄ちゃん。

 まるで言わせることはできないだろうとでも言ってるかのようだ。

対抗心を燃やす私。

 兄ちゃんはこの私のことを少し甘く見ていた。


『遼。良い子だから離して』


やる時はやる女なのである。

 初めて名で呼ばれて、しかも満面の笑みで呼ばれて固まる兄ちゃん。

あんまりにも動かないから軽く目の前で手を振ってみせる。

 ほんの少し目が動いたので安心した。


『はい、言ったよ兄ちゃん。ご飯、いただきます』


兄ちゃんが固まっていた為に力が弱まっていた。

 その隙を狙って私は並べられていた料理の元へ向かい座る。

手を合わせてもう一度『いただきます』と言うが、まだ兄ちゃんは向かいに座ろうとしない。

 まだ固まっているのか、と先程まで居た方向を私は見てみるとまだ固まっていた。


(ちょっとやりすぎたかもししれない…)


そう思ったが、時間がないので先にご飯を頂くことにした。





「いってらっしゃーい」


しばらく固まっていたが、兄ちゃんはいつものように私を送りだした。

 監視用の式神をつけて。

私は大層不満だったが、長い髪を靡かせて玄関を後にした。

 いつもの道を登校しているといつもより男子たちからの目線が得にするような気がした。

 自意識過剰だと思い込みつつもなんだか嫌な予感がするな、と思いながら志穂と合流する地点に向かう。


「おはよー!雫…?雫、だよね」

『おはよう。雫です。ごきげんよう』


いつもの地味な雰囲気を纏ってはいなかったのに驚いたのだろう。

 いつも結ばれている髪は下ろされ、長い髪が風で舞っていた。

ハーフアップに髪型を変えただけだというのに、西洋に出てくるお姫様のようだと兄ちゃんはそんなこともブツブツと言っていたっけ。

 志穂が私の変化に息を呑んでいるのが不思議と分かった。


「どうしたの?イメチェン?」

『無理やり』

「烏丸さんが?」

『その通り』


不満そうに短く返す。

 その後、しばらくの間。志穂から羨望の眼差しで見られていた。

地味な雰囲気とはおさらばしたと思うけど、そこまでの変化か?と考えた。

それから学校に到着し、教室に入るや否や私は明らかに注目の的となった。

 友人達からは可愛いともてはやされ、男子たちからは好奇の視線。

兄ちゃんが言っていたことが当たるような気がして、私は帰宅するのが嫌になった。


「百済、放課後に職員室に来なさい」


男性である担任は何故かそんなことを口にしていた。

 何の用だろうかと思いながら一応、真面目なつもりの生徒である私は式神に礼儀正しく返事をさせた。

 監視用の式神の目が少し痛いような気がした。


昼休み。


「担任、何の用だろうね」

『わかんない。私、何の委員会にも部活にも入ってないんだけど』

「んーなんだろう」


校則違反もしていないし。とその言葉までは面倒なので言わせなかった。

用は何だろうかと思案し、あの担任の目を思い出してみると私はゾクリと震えた。

 

あの目、兄ちゃんが自分を見る目に似ているような──


冷や汗が出た。まさかね、と思う。

弁当が食べる手が止まっていた。


「ちょっと雫大丈夫?」

『うん…なんとか大丈夫』

「放課後、担任の用が終わるまで待ってるから」

『ありがとう』


志穂の気遣いに平常心をなんとか私は保った。

だが、冷や汗は何故か止まらなかった。


問題の放課後。


志穂を待たせている為に、私は急いで職員室に向かった。

 『失礼します』と式神に言わせて担任の元へ向かう。

すると待ちくたびれたという感じで男性担任は待っており、ついてきなさいと言って資料室まで雫を連れて行った。

 何か手伝いでもさせられるのだろうか、とそう思っていると。

鍵を閉められた。


「その容姿で何人の男とヤッたんだ?」

『はい?』


いきなり訳の分からない発言をされて、いきなり手首を掴まれる。

 担任の男の表情は先生の表情ではなかった。

言うなれば飢えた獣。ご馳走を目の前にした獣のようだった。

私は身の危険を察知し、式神に攻撃命令を出そうとする。

 経験的にきっと殴られる。そう思ったのだ。

その時であった。


「担任が生徒に手を出すとか最低だと思うんだけど」


いつの間にか掴まれていた手は離されており、嗅ぎなれた匂いが私の身体を後ろから包み込んだ。兄ちゃんの匂いだった。

 監視用の式神に転移術も仕込んでいたらしい。

朝とは違うカジュアルな服装である。

 つまりは仕事中に私を助けにきたということだ。

突然の展開に頭が追い付けず戸惑うばかりである。


「誰だお前!…ってまさか、モデルの烏丸遼!?」

「そう。そしてこの子の正式な婚約者。僕、人間じゃないから基本的には手を出さないつもりでいるけど、これ以上何かしようとするなら容赦しないよ?」

「関係ないだろう!」

「あるよ。言ったじゃん、婚約者だって」

「妖の婚約者ごときが」

「人間ごときがこの僕に敵うと思うなよ」


兄ちゃんが怒っている──


新たな危険を察知した私は宥めるように式神に言わせた。


『兄ちゃん、落ち着いて。私は大丈夫だから』

「式神で撮った映像を校長先生に向けて送ったから。君、終わりだよ」

『兄ちゃん!』

「雫。こういう奴は絶対許しちゃいけないタイプの人間。よく覚えておいて」


そう言うなり資料室から術を使い、志穂の元へと移動させられた。

 しっかりと監視していたらしい。

昼休みの会話も聞いていたようだ。

 志穂はというといきなり現れた私たち2人に驚いている。


『驚かせてごめん…』

「どうしたの雫。烏丸さん、こんにちは」

『よく、わかんない』

「志穂ちゃんだっけ。こんにちは。君たちの担任、雫を襲おうとしてた」

「え!?大丈夫だった雫!?」

『この通り。…正直、よく分かってない』

「警察には通報した!?」

「校長に向けてこの男が映像を直接送ったから、問題ない」


私よりも志穂の方が事態の把握が早かった。

 事態をしっかり把握している2人とまだ飲み込めていない私。

危機管理能力というものが私に欠けているのが分かる。


『えっと、兄ちゃん。私、何をされそうになったのやらよく分かってないんだけど…。多分、殴られそうになったのは分かるんだけど』

「簡単に言うと、貞操の危機だったの。僕が行かなきゃ危なかったよ」

『え!?私が!?』

「まさか担任の男が生徒に手を出すとはね。最低の極みだよ」


兄ちゃんは軽蔑した目で学校を見ている。

 私は初めての体験で震えそうになるのを必死で止めていた。

実は百済の屋敷ですら貞操の危機はなかった。

 命の危険は沢山あったものの、不気味な娘と誰もが忌避していた為にそういう危機はなかったのだ。


「今日は陰陽寮休みな。僕から連絡しておく」


そう言って志穂の目の前で私を兄ちゃんは抱きかかえた。

思わず口を押える志穂。気分が悪くなっていく中、どうしたのだろうと思った。


「雫、明日学校お休みしなよ。私、これから副担に言ってくるから」

『ありがとう…。面倒かけさせてごめん』

「これくらい気にしないで。また来週ね!しっかり休みなよ」


そう言って志穂は手を振りながら走ってその場を後にした。

まるで自分にはそれしか出来ないみたいな雰囲気が志穂に纏わりついていた。


「誰も居ないよ。もう震えて大丈夫」

『……。震えてなんか、いないよ。平気』

「誰が抱きかかえてると思ってるのかなぁ?」

『……ごめん』

「いいんだよ。僕の前では強がらなくたって。怖かったね。僕の仕事もあの時に丁度済ませちゃったし、もう帰ろう」


兄ちゃんの体型に合わせた漆黒の両翼が背中から生える。

 しっかりと私のことを抱きかかえると、一気に空まで上昇した。

オレンジ色の空が私の目に入る。

 夕日を見てみればやっぱり眩しくて、思わず目を閉じてしまう。

あんなにも震えるのを我慢していたというのに、今はもう震えていなかった。

 きっとこの腕の中に居るおかげだと考える。

まだ私は兄ちゃんの気持ちには応えることは出来ないが、この腕の中の温もりは信用してもいいだろうと身体を預けた。

 そのことに気がついたのか、兄ちゃんは私の額にそっとキスをする。

もちろん、私は怒ったがどこか安心した感情で兄ちゃんに突っかかってた。

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