第32話
「はい、あーん」
『いや、もういいから…自分で食べるから』
「駄目だよ?言ったでしょ。お仕置きは必要だよねって」
あの後、私は烏丸の屋敷に連れ戻されてずっと兄ちゃんの腕の中に居た。
よく考えてみれば自分はとても恥ずかしいことを受け入れていたことに気づいて、別の意味で顔を合わせられなかった。
そんな婚約者に兄ちゃんは言ったのである。
「雫。悪いことをしたんだからお仕置きは必要だよね?」
『はい…』
どんな怖いお仕置きが待っているんだろうか、と怯えていると急に横抱きに抱き抱えられたのだ。
急なことだったので思わず兄ちゃんの首元を抱き締めて落ちないようにした。
そんな私にクスっと笑う兄ちゃん。
何がおかしいのだろうか、と私は思ったがお仕置きが怖すぎでそれどころではない。
連れてこられた場所はいつも夕食をとっている部屋。
あれ?と思わず声が出たのなら出していただろう。
いつもよりも豪華な夕食が並べられていた。
「これ、僕が雫が帰ってくるまでに作っておいたものなんだ。雫は自分で食べられないよね?」
『いや、食べれ』
「食べられないよね?」
圧が、これでもかというほどが凄かった。
兄ちゃんがここまで言うことはほとんどない。
言うということはよっぽどのことである。
今回は明らかに私の行動が悪かったので『はい…』と弱々しく答えた。
「僕がぜーんぶ食べさせてあげる。あ、飲み物は口移しで飲ませてあげる」
恋愛行動初心者の私にとんでもない爆弾発言をしたのである。
さっきの深すぎるキスのことも相まって無理無理と首を振る。
そんな私に兄ちゃんは容赦しない。
「そんなに可愛い顔して嫌がってもダメ。知ってる?男ってね」
耳元に唇を寄せられて私はこう言われた。
「好きな子ほど、嫌がれると燃えちゃうもんなんだよ?」
低く、色っぽい声でそう言ったのだ。
これならホラー向きのお仕置きの方が何倍も良いと私は思ったが時すでに遅し。
畳の上に降ろされると、すぐさま後ろから抱き締められてそのまま料理を口元へ運ばれた。
「はい、あーん。ほら、可愛いお口を開けて?」
『……』
式神には何も喋らせず、恐る恐る口を開ける。
可愛いお口ってどんな口だと言うツッコミを式神にさせなかった。
いつもの私ならしていただろうが、今はそんな余裕がない。
お仕置きと言うには優しすぎる動作で兄ちゃんは私の口の中に料理を放り込んだ。
舌に広がる料理の美味さ。
将来、嫁になるのはどっちだと言いたくなるくらいの美味さだ。
そんな料理を次々と私の口の中に放り込んでいった。
途中、咽せそうになった私に用意していた冷たい麦茶の入ったコップを近くに引き寄せる。
すると私に渡すのではなく、兄ちゃんが口に含んでしまった。
そしてそのまま──私の口をこじ開けて麦茶を口移しで流し込んだ。
(ん…!?)
私が声が出る人間ならばきっと同じ声が出ていただろう。
突然の行動に驚いた。
だけど、恥ずかしさよりも口の中に含んだものを零さないように飲み込むほうに集中していた。
どうにか零さずに飲み込む。
それを唇から離れると、満足気に兄ちゃんは見ていた。
『ちょっと兄ちゃん!』
「ちゃんと飲み込めたね。偉いね」
『そうじゃなくて!』
「おいしい?」
『おいしいよってそうじゃない!』
「この態勢に文句があるのなら駄目だよ?お仕置きしてるんだから。」
『お仕置きって…』
羞恥心と闘わなくてはならないので私にとってはある意味お仕置きではある。
でも本当の意味でのお仕置きなのだろうか。
たくさんの疑問が浮かんでは消えた。
考えても仕方のないことだと思い始めてきたのである。
今、自分はお仕置きを受けている途中なのだから。
全て終わってから文句は言えばいい。黙ってお仕置きを受けることにした。
だが、この考えは甘かった。
この程度で兄ちゃんのお仕置きが終わるわけがなかったのである。
お仕置きは夕食だけで終わらなかった。
夕食後も続いたのである。
明日の学校の課題をやりたいというのに居間でやればいいと言う。
しかも兄ちゃんの膝の上で。
集中したくても集中できないじゃないか、と反論したが。
「お仕置きがあれだけだっていつ言った?」
恐ろしい一言を放ってきたのである。
それを言われてしまっては反論の余地など残されていない。
なんとか姿勢を保ちながら課題をこなした。
その間、兄ちゃんは邪魔にならない程度に後ろから抱き締めていた。
はっきり言って私からしてみれば邪魔でしかなかったのだが、時折囁かれる愛の言葉に身体がゾクリと震えて何も言うことができなかった。
「可愛い」
「頑張ってるね。偉いね」
「愛しているよ」
以上のような言葉を耳元で囁かれながら私はなんとか耐え切って課題を終わらせた。
これなら陰陽寮で報告書を100枚くらい作成した方がマシだと思った。
風呂上がり、長い髪をドライヤーで乾かすのも面倒だと思い術を使おうとすると兄ちゃんにその手を取られる。
満面の笑みで「乾かしてあげる」とそう言われた。
いつもならそんなことは言わない。
これもお仕置き…?と思いながらもいや、もう違うだろうと私は丁重に断ろうとすると、
「お仕置きだから拒否権はないよ」
表情がそのままで答えられた。
ちょっとその表情が怖いと思ったのは私だけの秘密である。
いつまでお仕置きが続くんだ…と項垂れてしまいそうになるのをどうにか私は堪えた。
ドライヤーを使うとなかなか時間がかかる。
何せ腰まで髪の長さがあるのだ。
儀式の時などに結ぶ必要があるためにそうしているのだが、私にとっては邪魔でしかない。
だが陰陽師である以上、髪の長さを変えるわけにはいかない。
機械独特の風の音が洗面所に鳴り響く。
私はドライヤーを持っていて疲れないのかな、と思うがそんな様子は兄ちゃんにはない。
むしろとても楽しそうに乾かしていた。
丁寧に乾かされているのが後ろを向かなくとも分かった。
お仕置きと言いながら大切にしてくれているのが分かり、嬉しかった。
「はい、終わったよ。綺麗な髪だねぇ。他の男に触らせたらダメだよ?」
『触る変な奴は居ないと思うけど…』
「男は変態なの。油断しちゃダメだよ。」
『いや、それは偏見だと思う』
世の男性に怒られるような発言はやめて欲しいと思う私。
一方、兄ちゃんは普段通りだ。怖いくらいに。
とても婚約者にお仕置きをしているような男には見えない。
「結婚式には十二単とかも着せてみたいなぁ。」
『気が早すぎる』
「そうでもないよ?成人までなんてあっという間さ。」
私は大学に進学しようと考えている。
20歳になれば陰陽寮をやめようと考えているし、将来のことをそれなりに考えている。
結婚も、順調に人生を歩むならばこの男とするのだろう。
でも順調にはいかせない一族を私は知っている。
それは生家である百済の一族だ。
思い通りにいかなかった為、きっと簡単にはさせないことだろう。
私はそのことをよく理解していた。
「問題は百済の人間か」
『ごめんね。うちの人間が…』
「雫が謝ることじゃないよ。君はむしろ被害者なんだから。」
『うん…』
兄ちゃんは縁側で私が冷えることのないように上着を着せて、膝の上に座らせていた。
今日は月がよく見える夜だ。
満月に近い月で、星々はその煌めきを控えている。
「月が綺麗だね」
『そうだね』
「夏目漱石の言葉を引用したんだけどなぁ」
『…!』
「もう、顔を赤くしちゃって可愛いなぁ」
私の中ではお腹いっぱいだった。
今日でそのような言葉をたくさん聞いた気がする。
もう分かったから、と言う言葉を伝えたくなるがどうにもそれができずにいた。
それだけは言ってはいけないような気がしたのだ。
それが私の変化のような気がして。言いたくなかった。
でも兄ちゃんは私のほんの少しの変化に気が付いていたらしかった。
だってずっと満足そうな笑顔を見せている。何かに気がついて嬉しそうな表情をしていたから。
ずっと隠してきたのに隠しきれず、溢れ出してしまったその変化に気づいたのだろう。
いつまで自分と兄ちゃん相手に知らないフリを続けられるか、自分でも分からなかった。
「さぁ、一緒に寝ようか!」
『勘弁してください!』
今の私には、もう限界だった。
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