第27話
「お帰りなさいませ」
『ただいま帰りました』
兄ちゃんの腕の中から離れると、私は屋敷の前で待っていた久美子さんに挨拶を交わす。
屋敷に入るなり腕をグイっと引っ張られ、正面から兄ちゃんの腕の中にすっぽりと収まった。
私は何事かと驚いたが抱きしめられる力は強い。
何かあったのだろうか。
たくさんの疑問符が頭の中を過ぎるが、やがて顔が合う。
兄ちゃんの顔はそれはもうとても色っぽくて一体この短い時間で何を考えていたのか、私にはさっぱりだ。
「何があろうと僕は君を離すつもりはない」
『いきなりどうしたの』
「だって君の背中を見たら、今にも僕から離れてしまいそうで。…そんなこと、許さない。絶対に、何があろうと許さない。逃がさない。離さない」
熱い視線が、熱が籠った言葉が、私に降り注いでいく。
まるでそれは雨が自分に絶え間なく降り注いでいるようで。
衣類がびしょびしょに濡れた気分だ。
雪と違って溶けることはない。
その証拠に初めて自身を束縛するような言葉に私の鼓動は跳ね上がっていた。
(兄ちゃんの発言もびっくりだけど、私もどうしちゃったの)
自身の突然とも思える身体の変化に気持ちがついていけない。
依然として兄ちゃんは私を離そうとはしていなかった。
それだけ不安に思っていたのか、それとも離したくないのか、或いはその両方か。
それを知るのは兄ちゃん本人のみだ。
やがて私の額に柔らかくて温かいものが触れた。
何だろう──そう考えていると、今度は唇にそれが触れる。
数秒の逡巡のうち、もしかしなくても自分は兄ちゃんにキスをされているのかということに私は気がついた。
だって兄ちゃんの瞳は閉じている。
それが至近距離で見えて今は口を動かす事ができない。
離れようとしてみたが、頭に手を回された。
背中もしっかりと抱きしめられたままだ。
──逃げられない。
再び跳ね上がる鼓動。
自分にとってはただの兄ちゃんに過ぎないのに、どうしてこんな──
こんなまるで男の人を意識してるみたいな感じになっているのだろう──
なんて知らないフリを今日も続ける。
そうでもしないと自分が変わってしまいそうで怖いから。
でも戸惑いはあって、鼓動を隠すために自身も静かに目を閉じて私は兄ちゃんを受け入れた。
『夕飯前にあんな、あんな事しないでよね!』
「ごめんってば。タイミングは反省してます」
『行為は!?』
「全く。僕、婚約者だもん。キスしてもハグしても怒られないよね?」
『怒ります!』
その後、式神を使って私は猛抗議をした。
どう考えてもタイミングも悪いし絶対に久美子さんに見られているし、何よりも。
私はとても恥ずかしかったのだ。
「でも良かった」
『何も良くないよ!?話聞いてる?』
「だって雫、嫌がらなかったから」
『離れようとしたじゃん!』
「だから、それは許さないって言ったじゃん。ね?」
──まただ。
雰囲気でこの男は押し通そうとしている。
熱い視線が、私の全てを捉えて離そうとしていない。
だが、流石の未来の花嫁たる私もそのまま流されるほど簡単な性格ではない。
『夕飯食べさせて!』
グーとお腹が鳴った。
兄ちゃんの私を雰囲気で流そうとする空間はその音で掻き消された。
その音に思わず兄ちゃんは笑って自身が作った夕飯を準備するためにその場を去った。
(やっと落ち着けた…)
長い長いため息をつく。
夕食を取る部屋で1人ポツンと取り残された私。
つい、油断すると先ほどされた行為を思い出してしまいそうになる。
顔が熱くなるのが嫌でも分かってしまった。
兄ちゃんが戻るまでに普通の体温に戻さなくてはならない。
でも。
(なんで拒むことをしなかったんだろう…兄ちゃんが拘束してたからっていうのはある。でも本気になれば私でも逃げれたのに)
あれくらいのことであれば陰陽師の私は逃げることが可能だ。
しかし、私はそれを良しとしなかった。
逃げようとしなかった。
それどころか受け入れてしまっていた。
今までの自分なら絶対に有り得ないことだ。
そのことは私が1番よく分かっていた。
(本当にどうしちゃったの、私)
その気持ちが恋だという気持ちであることを認めるまでまだ時間はかかること私は知っていた。
「雫。ほら、ご飯持ってきたよ」
『毎度確認するけど、兄ちゃん当主だよね』
「うん、僕は当主で君の未来の旦那さん」
当主ってこんな雑用みたいなことってするのだっけ。
首を傾げそうになるのを我慢する私。
先ほどのことも相まってなんだか傾げたら負けたような気がするのだ。
だから、何も反応しないということを選んだ。
兄ちゃんがニヤニヤと笑っている。その表情に私は思わずムッとした。
『ちょっと、その表情はなんなの』
「ごめんごめん。雫があんまりにも可愛いからつい」
『つい、であんなことするの!?』
「するさ。君を愛しているから」
その言葉に私は胸の高鳴りを抑えることができない。
信用してもいいかどうか分からない言葉。
陰陽道を使えても、私には超能力のような人の心を読むようなことは出来ないのだ。
だから、その言葉だけには返す言葉を見つけることが出来なかった。
兄ちゃんもそのことは重々承知だ。
だからこそ、見返りを求めようとはしないのだろう。
一方的に愛情を注いで注いでいつか、その固まり切った心を癒そうとしているのかもしれない。
「いいんだ。この言葉に対する答えを持っていなくてもいい。今は良いんだ」
兄ちゃんはニコニコしながらそんな言葉を私に言った。
私は黙ってご飯を食べることしか出来なかった。
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