11

 

 僕はしっかりとコーヒーを蒸らす。

 時計を見るとまだ1分ほどしか経過していない。

 僕は再び書面に目を落とした。


 基本的に対象者に与える死の種別については各々死神の裁量に任されていると記されていた。

 それらには病死、事故死、あるいは自殺に見せかける方法まであるらしい。

 ただしその際、関係各所に申請を提出し、承認を得られなければならないと書かれている。


 関係各所。申請。承認。

 逮捕状請求のために裁判所に足を運ぶ警察官の仕事とたいして変わらない。


 やがてしっとりと湿ったコーヒーと慎ましい湯気を確認した僕は、改めてケトルを持ち上げ、ゆっくりとドリッパーに湯を落としていく。

 丁寧にゆっくりと少しずつ、心を落ち着かせて、その泡立ちの音に耳を澄ませるように。

 やがてサーバーに充分なコーヒーが溜まると僕はそれをマグカップに入れ替え、それから条項書面とともにダイニングテーブルへと場所を移した。

 

 コーヒーを啜るとまろやかな熱と苦味が口に広がり、心地良い香りが鼻腔を抜けた。そして片手でページをめくっていくと新任のリーパーにおける特別研修という項目が目に入った。


 研修の目的は砂時計アワーグラスワークの熟達と従者の制御、そのハンドリングが主であると書かれている。

 


 これが初回特典か。


 あの日、ベッドから起き上がった志摩は僕に警告してから去った。


「いい、一度きりよ。あなたには殺したい人間が少なくとも二人いる。けれど特典はそのうちの一人だけ。それ以上の願望は捨てなさい。人間の姿のままでいたければね」


 条項を読み進めると確かにそのようなことが書かれていた。

 第一種リーパー就任時における実施研修は単回のみ。

 また特典とはいえその対象は上層部が査察し、死の罰則が相応しいと認定されて初めて処罰が許されるらしい。

 そしてもし研修に過誤があれば、そのときは熟練のリーパーのもとで短期訓練を行う必要があるという。


 もうひと口、マグカップを傾ける。


 細かい追記事項に目を通すと、死神として承認されるには持って生まれた資質に合わせ、殊更に恨む人間が存在することも条件として必要だと記されている。

 要するに先天的な素質があったとしても殺したいほどに恨む対象がいなければ死神にはなれない。


 とすればその条件を兼ね備えてしまった僕や志摩はリベンジのチャンスを与えられたとほくそ笑むべきなのか、あるいは平穏無事な人生を送れなかったことに対して悲嘆に暮れるべきなのか、果たしてそのどちらであるべきなのだろうか。


 徹夜明けのはっきりしない頭にその想念はいささか重すぎて、僕はさらにひと口のエチオピアモカとともにそれを喉奥に流し込んだ。


 さらにページをめくる。


 そして書面の終わりかけに記載された短い規定項目を目にした僕は思わず紙面を持ち上げ、その文言を指でなぞった。


 第二種リーパーへの転属を希望する者は追加研修が必要となる。


 僕は傍らに置いていた名刺に視線を移した。


 大冥界公認委託派遣マネジメント所属

 第一種リーパー      村上 祐


 たしか志摩の肩書も第一種だったはず。


 僕は背もたれに掛けたスーツからスマートフォンを取り出し、志摩との履歴から通話ボタンを押した。

 すると数回のコールの後、あくびまじりの不機嫌な声が鼓膜に届く。


「こんな早朝になんの用なの。死神ならそれらしく夜のうちに済ましておくべきだわ」

「悪いね。でも、ちょっと確かめたいことがあって」

「実行は明日のはず。なら今夜でいいでしょう」


 そう言って通話を切ろうとする彼女になんとか食い下がり、第二種について問うとひとしきり沈黙があり、やがて胡乱げな声が聞こえてきた。


「ねえ、忠告したはずよ。一度だけにしなさいって」

「ああ、たしかにね。けれど、第二種を希望すれば研修の機会がもう一度与えられると条項にある。詳しく教えて欲しい。第二種とはいったいどういうものなのか」


 沈黙。

 そして深いため息が続いた。


たすく、あなた人間を辞めたいの」

「よく分からない。けれど復讐の機会が増やせるならそうなってもいいと思う」


 沈黙。

 

「そう。そうかもしれない。けれどやっぱりお勧めはしないわ。それに第二種を希望するにしてもそれは明日の執行研修をつつがなく終えればの話。そのためにまずはあなたの従者とコミュニケーションを取っておくこと。しっかり手懐けておかないと本番で無様な失態を犯すことになるわよ。いいわね、余計なことは考えずに明日に集中しなさい」


 僕の返答を待たずに通話が途切れた。

 そして僕はひとしきり考えてみる。

 確かに志摩伊月の云うことは正しい。

 まずは明日の死神デビューを首尾よく終えることが先決だ。


 条項を最後まで読み終えた僕はすっかり冷めてしまったコーヒーをガブリと口に注ぐ。すると唇の端に数滴の飛沫が生じてワイシャツに跳ねた。

 僕はその小さな虫のようなシミを見つめてそっとため息を吐き、次いでテーブルの上に立てておいた砂時計をおもむろに摘み上げた。

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