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 証人尋問を前日に控えた朝。


 夜勤明けで帰り着いたマンションの郵便受けに分厚い茶封筒が入っていた。

 白い宛名シールに小ぶりなフォントの明朝体。

 裏返してみても送り主の記載はない。

 

 部屋に持ち帰り中身を確認すると、束になった名刺と数十枚に及ぶ死神規程条項、そしてその装飾に見覚えのある小さな砂時計が同封されていた。


 とりあえず僕はコーヒーケトルを火にかけ、手動ミルで豆を挽いた。

 そしてドリップフィルターに粉を移し、湯が沸くのを待つ間にシンクに置いた条項に目を通していく。


 規定にはまず死神の存在意義とその有益性がもっともらしく説かれ、その後に守らなければならないルールと禁忌事項が長々しく続いていた。


 それによると死神というのは基本的に善良な人間に関わることはなく、憎悪や怨恨などの悪感情の対象となった人間に対してのみその力を発揮することができるとあった。

 ただし恨まれている悪党が全て死神の鎌に刈られるかというとそういうことでもなく、どうやらそこはポイント算定に則っており、掻い摘んで云えば交通違反のように加算された点数が一定のレベルを超えたときにだけ死の罰則が下される方式になっているらしい。

 またいくら悪人といえどその者の所業に妥当と思われる法的な罰則が下される場合や反省や悔恨の色が濃い場合はその対象者でなくなることもあるという。

 さらにそこには天界や地獄界の思惑、あるいは現世の秩序維持なども絡むため、たとえ戦争や内乱を引き起こす極悪人の場合は、もはや通常の死神の管轄業務ではなくなると知り僕は思わず鼻白んだ。


 これじゃ警察と遜色ないな。


 ケトルの蓋がカタカタと鳴り、目を遣ると白く細い湯気がその先から吹き出していた。

 僕は火を止め、まずは沸騰した湯を粗挽きの粉全体を濡らす程度に注ぐ。

 するとエチオピアモカの芳醇な香りが一気に鼻腔をくすぐった。

 あの山小屋に残されていた妻の登山リュックにも同じ銘柄の粉コーヒーが残されていた。

 きっと彼女はあそこでエチオピアモカのコーヒーを淹れ、僕と一緒に飲むつもりだったのだろう。

 チクリと胸が痛んだ気がした。

 僕は二、三度首を振り、それからケトルをコンロに戻して条項のページをめくる。


 禁忌条項にはまず初めに決して個人の裁量だけで人間に死を与えてはならないとあった。僕は軽く肯く。

 なるほど、それはそうだろう。

 いったいどれぐらいの数の死神が現世にいるのかは知らないが、それぞれが個人的な感情や思惑で人を死に追いやるなら、それは法に触れない無差別殺人のようなもので、この世は混沌とした恐怖世界になってしまうに違いない。

 死神といえどやはり秩序の中の存在には変わりない。

 その付け紐リーダーの引き手が人間界にあるか、冥界にあるか、ただそれだけの相違だ。

 死神になったからといって決して無限の力を授けられたわけではないのだ。


 禁忌事項の後にはそれを破った際の罰則も記されていた。


 それによると最も重い罰として魂を剥ぎ取られて、さらに身分を従者に堕とされるというものがあった。どうやら申請承認なく複数の人間の命を奪うとその罰則が下されるらしい。

 そして従者と成り果てた者は死神の所有する牢獄に繋がれ、使役されるとある。


 牢獄……。

 使役……。


 条項にはそれ以上、従者に対する記述はなかったが、書類から目を離すとその刹那、網膜の裏に動画で見た死神の女の姿が甦った。


 フードの下に覗く青白く病的な皮膚の色。

 痩せこけた頬に張り付くひと束の髪。

 ひと雫の生気も感じられない落ち窪んだ瞳。

 そして標的が死に近づくほどに濃厚さを増していく怪しげな笑み。


 元々は彼女も死神リーパーだったのだろうか。

 そしてなんらかの禁忌を犯し、従者サーバントへとその身を堕とされたのだろうか。 




 

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