4
女……。
生気のない青白い皮膚。
フードの内側から垂れ下がり頬に張り付いたひと束の髪。
眼窩に落ち込んだ
けれど口角は引き攣ったように上がっている。
嗤っているのか。
形容し難い悍ましさが押し寄せ、背筋に冷たい電流が走った。
「真上に照明があるでしょう。いまからそれがあんたの頭に落ちてくる。ねえ、なかなかシュールなショーだと思わない」
「う、嘘つけ。そんなことができるわけ……」
うわずった声で彼は嘲る。
「始めなさい」
その指示に死神がその大鎌を天井に差し向けた。
するとしばらくして彼の足もとに真鍮色の小さな物体が音を立てて転がった。
「照明の台座を固定しているネジよ。全部で八本あるみたい。だからあと七本」
彼の顔が動揺で歪む。
「ふん、バカバカしい……。いや、冗談だろ」
カラン。
ステージに響く金属音。
見上げたままの彼の眼が大きく丸くなった。
「あと六本。ちなみに照明の重さは台座を合わせて四十キロほどみたいね。これって頭に直撃したらどうなるのかしら」
大鎌が天井に向けて軽く振られる。
続く小さく軽やかな音。
床で跳ねたネジが舞台袖の薄闇に消えていく。
死神の女が男のそばで冷ややかで恍惚な表情を浮かべている。
けれど彼にはその姿が見えないようで一瞥もしない。
「や、やめろよ。そりゃ殺人じゃねえか。バレたらてめえもタダじゃ済まないだろうが」
「ふふふ、そんな心配は無用よ。だって私はなにもしてないんだから。ここにいる人たちにとっての現実はあんたが勝手にそこに移動してバカみたいに上を見上げて、落ちてきた照明を顔面で受ける。ただのコメディーみたいな事故。私はその他大勢の観客のひとり。それだけのことよ」
画面の隅に砂時計が現れた。
不意にフォーカスが合う。
ガラスの中で流れているものが赤い砂ではないことに僕はようやく気づいた。
これは血だ。
赤黒い血液。
血液の時計。
上半分に残っているそれはもう後少しで尽きそうだ。
死神の女が天井に向けて鎌を伸ばす。
そしてまた響く金属音。
「あと四本。あ、ちょっとグラついてきたかも」
軋むような音がして、志摩が嬉しそうな声を上げた。
「や、やめてくれ。なんだ、なにが望みだ。謝罪か。わ、悪かったよ。沙月の腹の中にガキがいるなんて知らなかったんだよ。言ってくれりゃ、オレだって」
落ちてくるネジが画面上に縦の細いラインを描く。
小さくて甲高い音。
「おかしいわね。沙月は子供ができたことを何度もあんたに伝えたって言ってたけど。でも堕ろせ、堕ろせの一点張りで、そのうち連絡もつかなくなったって聞いたわ。あと三本ね、そろそろヤバいんじゃない」
「ヒイッ!嘘だ。けど、謝る。謝ります。ごめんなさい。だから、もうやめて」
切羽詰まった彼の悲鳴が静まりかえった会場に響き渡った。
その歪んだ声に死神は哀しげな目付きのまま、さらに笑みを濃くする。
「謝罪なんていらないわ。私が望むのはあんたが感じているその恐怖ともうすぐ訪れる惨めな死だけ」
血時計はあと数滴で終わりを迎えそうに見える。
死神の鎌が煌めいた。
天井から金属の擦れ合う嫌な音が短く響く。
「ヒィッ、ヒィッ、ヒィッ……た、助けて。なんでもする。だから、お願いだから」
垂れ流す涙と洟水で化粧がまだらに剥がれたその顔はまさにピエロ。
目を凝らすと革製のブーツの周りに小さな水溜まりができていた。
哀れな姿に変貌したその彼に志摩はためらいもなく死神に指示を出す。
「もういいわ。あんたの声を聞いているだけで吐きそうになるのよ。だから死んでいい。サーバント、
血時計が最後の一滴を振り落とした。
狂気の笑みを満面にした死神の女が大鎌を一閃。
刹那、天井から落下してきた真っ黒な物体が彼を直撃するとその瞬間、破裂したその頭部から盛大に血飛沫と脳漿が弾け飛んだ。
そしてやや遅れて破壊的で凄まじい音が響き渡り、続いて会場内の全ての者が息を吹き返した。
哀しげに泣き叫ぶギター。
跳ねるように響くスラップベース。
正確にリズムを刻み続けるドラム。
けれど異変に気がついた彼らが演奏を止めると、いったん客席は静まり、そして海鳴りのようにどよめき、それから立て続けにいくつもの悲鳴が上がる。
やがて舞台袖から複数のスタッフが彼のもとに駆け寄り、口々に何か叫んだ。
それは僕が捜査の時に見た映像と全く同じ光景だった。
ひとつだけ違うのはその慌てふためく人の群れの中、横たわったヴォーカルのそばにひっそりと死神の女がたたずんでいること。
そしてその不確かな存在が霞のように消えていくと動画はそこでふっつりと止まった。
「どう、これで信じてもらえた」
志摩の問い掛けに僕は言葉もなく静止した画面をしばし見詰める。
そして少しばかり正気を取り戻したところで辛うじて嘯いてみせた。
「フェイクにしてはよくできている方だと思う」
「冷静な意見ね。けれど時には素直さも必要よ」
僕の思考は混乱していた。
たしかにスマートフォンに収められた動画には継ぎがなく、また編集加工されたような跡もないように見える。
が、まさかこんなオカルトが真実であると言われても信じられるはずもない。
やはり精巧に作られたフェイク動画であると考えるのが妥当だ。
けれどそうなると彼女の目的が分からない。
時間と費用をかけてこんな動画を作成し、僕に見せたところでいったい何が得られるというのか。
不意にあるひとつの胡散臭い可能性に気がついた。
なるほど、そういうことか。
横目に睨むと志摩は吸っていたタバコを灰皿で揉み消し、椅子から立ち上がった。
「まあ、いいわ。三日後の満月の夜、もう一度ここで会いましょう」
「会ってどうする。まさか、さっきの死神を紹介してくれるとでも」
彼女は僕の肩に手を置き、うっすらとした笑みを浮かべた。
「違うわ。これはスカウトなの。私と同じようにあなたには
「素質?僕に?」
失笑。けれど頬が奇妙に引き攣る。
「ええ、そうよ。こうして私と普通に会話できることがそれを証明しているわ」
僕が眉を顰めると志摩は素軽く肩をすくめた。
「まあ、信じられなくても仕方がないわね。でもあなたにとって心の底から憎いと思える人間がいるのならこの勧誘に応じてみても損はないと思う。一応、私の経験上はと断っておくけれど」
そして彼女は立ち去り際、僕の背中にこう呟いた。
「司法なんて所詮は悪人を護るばかりの盾よ。そんなくだらないものより、こっちの
ヒールの音が遠ざかり、やがて消えた。
バーテンダーはその彼女に一瞥もくれず、グラスを磨き続けていた。
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