3
僕は嘲笑を浮かべ、大きく肩をすくめた。
「そんなはずはないさ。一応、事故を偽装した殺人という線も洗ってはみたけれど、それを裏付けるような証拠はなにも出なかった」
「証拠?そんなものあるわけないでしょう。だってあれは死神としての仕事なんだもの」
そう答えた彼女の指がスマートフォンをサッと撫でると写真が消え、中央に再生ボタンがある画像に切り替わる。
「それを証明するのがこれ」
真っ黒なマニキュアの先が画面を軽く叩いた。
すると動画が始まり、煌びやかな光を放つステージが映し出された。
同時に気分をかき乱すサイケデリックな音楽が厚みのない音で聞こえてくる。
事故の映像だ。
ステージからずいぶん離れた客席から隠し撮りしたものらしいが、捜査の時に同じ場面のものを何度も繰り返し観たので間違いない。
画面がズームされる。
ステージのほぼ中央で犠牲者となった彼がマイクスタンドに体を絡み付かせるようにして一心不乱に意味不明な歌詞をシャウトしていた。
向かってヴォーカルの右隣にはベーシストがスラップで弦を弾き、逆サイドにはギタリストが恍惚な表情を浮かべながら音を掻き鳴らしている。
そしてその後ろの段上には照明を受けて煌めくドラムセットとそれを激しく叩き続けるプレーヤーの姿があり、さらにステージ全体の後壁となる巨大スクリーンには怪しい毒花のような暗い色調の幾何学模様が大きく映され、音楽のリズムに合わせて開いては閉じ、あるいはその明滅を繰り返していた。
やがて曲が間奏に入る。
僕はそこで彼女に顔を向けた。
「この後、何が起こるか僕は知っている。あらためて見る必要はないと思う」
正直なところ、警察官といえど人が死ぬ場面など平常心で見られるものではない。
けれど志摩は首を振り、強い口調で僕に命じた。
「いいえ、あなたが知らない真実はこれからよ。だからちゃんと見てなさい」
そして目顔で僕の視線をスマートフォンへと誘う。
彼女の瞳には不思議な圧力が込められていてどこか抗い難く、僕は仕方なく目を戻した。
画面ではちょうどギターソロが始まったところだった。
ギタリストが大きく背を反らせながらエフェクターを何度も踏み、怨霊が泣き叫ぶような怪しげな音を奏でる。
次いでヴォーカルの彼が黒革のロングコートを客席に脱ぎ捨て、見栄えの良い筋肉質な上半身を露わにした。すると客席から悲鳴にも似た甲高い歓声が一斉に沸く。
そのとき、ギターの爆音を掻い潜るようにして女の声が聞こえてきた。
おそらくはこのスマートフォンの持ち主、つまり志摩伊月の声だ。
「恐怖に悶えて死になさい」
少し掠れた剣呑な言葉に次いで画面がズームアウトし、その左端にフラスコを二つ重ねたような物体が現れた。
どうやら小ぶりな砂時計のようだ。
彼女の手に収まったそれは黒い蛇が絡み付いたような真鍮の装飾がなされ、流れ落ちる金色の砂の糸が見える。
ギターの音色がいっそう怪しく歪む。
そこでまた彼女の声。
強く囁くような響き。
「ルキフェルの名において命ずる。出でよ、サーバント」
その途端、手品のように砂の色が紅く変わった。
そして横倒しにされた砂時計がステージに向けてサッと振り翳される。
瞬間、手ブレのせいで映像が大きく揺らいだ。
同時に画面全体がが黒灰色を帯びる。
そして再びズーミングされると、その映像に僕は少し戸惑った。
ステージでは、あらゆるものがその動きを止めていた。
またあれほど騒々しかった音もすっかり消え失せ、忙しく明滅を繰り返していた大型スクリーンも青紫がかった幾何学模様をただ静かに映しているばかりだ。
なぜ動画を停止させたのだろう。
訝しげに志摩を見遣ろうとした僕の目線は、けれどその寸前、画面の中央に不可思議な光景を捉えて留まった。
静止画のはずなのにこのあと死を迎える彼だけがそこで動いていたのだ。
「時間を止めたの。こいつと私以外のね」
僕の耳もとで志摩がそう囁く。
そんな子供騙し、信じるわけがないだろう。
唇の端を上げ、そう嘯こうとしたけれど声が出なかった。
目にしている画像は彼女の言葉の信憑性を裏付けるのに充分なリアルさがある。
彼は突然動かなくなったメンバーや客席をキョロキョロとひとしきり見回すと、次に体を反らせたまま固まったギタリストに近寄り、声を掛けながら肩を叩いたり揺すったりし始めた。
「ねえ、クソ野郎。私の声が聞こえる?」
客席が静まったぶん、志摩の声はとてもよく響いた。
けれどそれは呟きに近く、到底ステージまで届くような声量ではない。
それなのに男は次の瞬間、ハッとした表情で振り返り、声の主を探すように客席を見渡した。
「誰だ。これは何の余興だ。大掛かりなことしやがって。俺は聞いてないぞ」
シンとしたアリーナに彼の叫ぶ声が響いた。
「余興?……そうね、私にとってこれ以上興味をそそられる余興はないかもね。だって処刑されるアンタを特等席で見物できるんだから」
「処刑だぁ?ハハッ、全ッ然、意味分かんねえんだけど。……ていうか、どこにいるんだよ。なんか耳の奥で声が響いてるような気がするんだが」
ステージの最前に立った彼がそう言って顔をしかめ、片耳を押さえる。
その直後、画面が大きく揺らいだ。
そしてレンズが床に向けられ、カツカツと響く靴音とともに薄暗く不確かなブレの大きい映像がしばらく続いた。
しばらくして再び上向いた画角はやや斜め上から彼の姿を大きく映していた。
おそらく志摩が足を運んだ位置はステージ手前に設けられた柵に興奮して幾重にも押し寄せた観衆のやや後方。画面の下部に突き上げられた手がいくつか覗いている。
「お、おまえ……まさか、
「ふふ、沙月はもうこの世にいないわ。知ってるはずよ、自分が死なせたんだから」
上半身裸の彼はしばらくの間ステージの上で呆然と立ち尽くしていたが、やがて顎をさすりながら薄ら笑いを浮かべた。
「ああ、そうか。そういやあ、あいつ双子だって言ってたな。じゃあ、なにか。おまえはその片割れってわけだ。なるほど、なるほど。で、これはいったいなんなんだよ。サプライズにしちゃあ、ちょっと度が過ぎるぜ」
「そうね、たしかにちょっと行き過ぎたところはあるかもしれない。だから承認が下りるまでに少し時間が掛かった」
彼女の静かな声が不穏に響く。
「承認?うちの事務所がこのバカバカしい余興にゴーサインを出したってのか。ふん、ありえないぜ。これじゃあせっかくアガった気分もドン引きでライブが台無しだ。どうしてくれるんだよ。つーか、てめえ勝手に撮ってんじゃねえよ」
居丈高に彼ががなり立てる。
「仕方がないわ。記録映像を残しておくように指示があったんだもの」
「はあ?指示?なんだよそれ。誰がそんなの出した」
「これから地獄に行くあんたには関係ないわ。。それに時間もあまりないから、そろそろ刑を執行しましょうか」
「いつまでも訳分かんねっことくっちゃべってっとぶっ殺すぞ、てめえ。おい、警備員。くだらねえ芝居してねえでその頭のおかしい女を摘み出せッ」
わめき散らす彼を映し続ける映像の片隅にまた砂時計の影が現れた。
焦点がぼやけているせいで判然としないが、砂の色はやはり赤い。
「ショータイムを始める。サーバント、罪人を処刑場へ連れて行きなさい」
その声に続いてまた無数の羽虫が飛び交うような粘つく音が響き、同時に画面が黒灰色に濁る。
そして数秒後、再びクリアになり始めた画面に映し出された彼は不自然なほど姿勢良く直立して、それまでとは打って変わって驚愕に満ちた表情を浮かべていた。
「くッ、なんだよこれ。か、身体が……」
そしてクルリと踵を返し、幼い子供のように大きく手を振り上げながら向かって左の舞台袖へとぎごちないその歩みを進めていく。
僕はおもわず目を瞬いた。
彼のそばに何者かの姿がある。
「誰か……いる」
そのあやふやな呟きに志摩が肯き、短く答えた。
「あれが私の
その者は真っ黒な雨合羽のようなフード付きのロングコートを羽織り、恐ろしく柄の長い大鎌を肩掛けに携えていた。
まさに死神。
後ろ向きで顔つきは窺い知れないが、輪郭がドス黒い瘴気のような影に覆われていてスマートフォンの小さい画面からでも悍ましさが伝わってくる。
僕は目を逸らすことも声を出すこともできず、ただ息を呑んで画面を見続ける。
「な、なんだよ。これはどういう仕掛けだ。誰かがオレの体を勝手に動かしてやがる。くっそ、気色悪いぜ。やめろ、このアマ……」
「うるさいわね。少し黙らせなさい」
冷ややかな志摩の声の後、死神の鎌が彼の首筋に添えられる。
するとそれまで大きく振り上げていた彼の両手が素早く自分の首をつかんだ。
「ぐッ……く、首が締ま……息が……」
「まだ殺してはダメよ。お楽しみはこれからなんだから」
しばらくして鎌が外れた。
同時に彼の手が首から解ける。
途端に激しい咳き込みが始まり、そのうちに荒い息遣いに変わった。
「……ぐッ、舐めやがって。いい加減に……」
「そこでいいわ、止めて。そして顔を上に向けなさい」
志摩の指示通り、彼はその場で足を止め、クルリとこちらに向き直った。
そしてそのそばにたたずむ黒衣の者もじわりとした動作で振り向く。
目深に被ったフードの影にその顔が覗く。
その容姿に僕は大きく目を瞠った。
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