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 覗き込むと画面には砂浜とコバルトブルーの海を背景に笑顔の美男美女が仲睦まじく身を寄せ合って映っている。

 夏だろうか。

 あるいは南国で撮影したものなのだろうか。

 目鼻立ちの優しげな髪の長い女は薄手の真っ白なワンピース。

 男は派手な柄のアロハシャツに短パンで女の肩に腕を絡めていた。


 ハッとした。


 志摩の言う通り、この男のことなら確かによく憶えている。


 ちょうど一年ほど前のことである。

 ある人気ロックバンドのヴォーカルがコンサート中に亡くなるという事件があった。

 死因は落下してきた照明が頭部を直撃したことによる脳挫傷と頚椎骨折。

 検死の結果、即死ということだった。

 明らかに事故だったが、死亡する寸前の男の挙動が少しばかり異様だったことから念の為に詳しい捜査が行われた。


 人為的な過失における死亡事故などについては捜査一課が手掛けるのが通例であり、本来なら組織犯罪対策部に所属する僕の出る幕ではなかったが、折り悪く一課は都内で起きた無差別通り魔事件の捜査と対応におおわらわで、そのとき資料整理をしていた僕がよほど暇そうに見えたのか、上司からの指示で手伝いに借り出されたというわけだった。


 当初、捜査班は照明装置のセッティングに不備があったのではないかとして、バンドの所属する芸能事務所や舞台施工を仕切った運営会社を調査したが特に過失は認められなかった。またそれを予見することも不可能であったとの結論に達した。


 けれど事故の映像を何度見返しても不可解さが残った。


 なぜ彼はわざわざ死地となったその場所に移動していったのか。

 そしてなぜ機材が落ちてくる直前、その場で天井を見上げていたのか。


 事故現場はステージの袖にやや近い場所であったが、リハーサルではヴォーカルがその立ち位置で歌うことは予定されていなかったという。

 それなのに彼は曲の間奏中にフラフラとした足取りでその場所まで歩み、そして立ち止まって頭上を見上げたのだ。

 まるで数秒後に落ちてくるその照明を待ち受けるかのように。

 そして特に避ける素振りもなく数十キロもあるその機材に押し潰されてしまった。


 当然ながらその奇行の理由を知る者など誰もいなかった。

 バンドのメンバーに尋ねても皆、沈鬱な顔をして首を捻るばかりだった。

 そしてそのような疑問を残しながらも、それは不運な事故として処理され、数日間はメディアのトップニュースとして取り沙汰されることになった。

 深く同情されて然るべき死である。

 実際、SNSには弔慰コメントが星の数ほども挙げられ、有名ミュージシャンたちはこぞって追悼ライブを行ったとも聞いた。

 けれど、僕としては捜査中に耳にした彼に対する多くの悪評のせいで、正直なところ素直に憐憫の情を寄せられないでいた。

 その噂とはたとえば女癖が悪く、堕胎させられた女の数も片手では足りなかったとか、あるいは金遣いが荒く、自己破産に追い込まれる寸前で事務所が肩代わりしていたとか、独断的な性格でバンド内でもいざこざが絶えなかったとか。

 挙げ句の果てに違法薬物にまで手を出していたという捨ておけないものまであった。

 とはいえさすがに警察も死者の墓を暴くような真似はしなかったが、それでもその後、彼の交友関係を洗ってはどうかという話は課内で吟味されたようだった。

 とにかく僕が協力したのはそこまでであり、後のことはよく分からない。

 けれどそういう経緯で僕は彼のことをよく知っていた。

 

 記憶をひとしきりなぞった僕はひとつ肯き、次に写真の女へと目を向ける。

 するとすぐにまざまざとした既視感が押し寄せ、僕は顔を振り向かせて志摩の顔を見つめた。

 

「ご明察、それは私よ」


 そう言って自分に指先を向けた彼女に僕はわずかに首を傾げる。

 違和感がある。何かが違う。


「ふふっ、さすがは刑事。簡単にはごまかせないか」


 僕はいつのまにか再びチェアに腰を落としていた。


「妹なの、双子のね」


 志摩は手を伸ばし、画面をピンチアウトして女性を拡大する。


「ね、私と違って健康的でしょう。白いワンピなんか着ちゃってさ。こいつと結婚の約束までしていて幸せそうだったわ」


 そう言って自嘲的な微笑を浮かべた志摩を僕は鋭い目で見遣った。


「ということはずいぶん酷い目に遭ったんだろうね、妹さん」

「ええ、ちょっと悩んで、そして自殺するぐらいにはね」

 

 僕は少し間を置き、それから短い言葉を選ぶ。


「そう。それはお気の毒に」

「だから私、この男を殺してやったのよ。ステージの上で華々しくね」


 そう打ち明けてクスクスと忍び笑いを漏らす彼女に僕は同情した。


「まあ、呪い殺されて当然の男だったみたいだ。罪を死で贖ったと信じてもバチは当たらないさ」


 その浅薄な慰めに志摩伊月は怪訝な顔つきで僕を見詰め、やがてその妖しく輝く唇を歪に上擦らせる。そしておもむろにバッグからロングサイズのタバコを取り出して咥えた。


「ふふ、そうね。そう考えて無理やり溜飲を下げた人間も多かったかもしれない。けれど私は違う。正真正銘、こいつを殺したのは私なの」

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