第375話 アリバイ作り

 イナリが魔の森に通い始めてから一週間が経った。今のところ計画の下準備は順調に進んでいるが、まだまだ時間がかかる見込みだ。


 時間がかかると言えば、魔王討伐の方もまだ進展は無いようだ。今日も魔王が元気に空を捻じ曲げている様子を見れば、それは疑いようがない。


「向こうも順調に進めばよいのじゃが」


 イナリは空を見上げて呟き、はたと気づく。


 よくよく考えてみれば、アルト教支配下にあったカイトの魔王討伐の速度が異常なだけで、普通魔王討伐とは時間をかけて行うものなのではなかろうか。だとしたら、別に心配することも無いのかもしれない。


 そも、カイトに何かあればこの世界は滅ぶのだ。逆に言えば、イナリが平和な暮らしを享受できているということは、少なくとも悪いことは起こっていないということになる。


「……ま、なるようになるかのう」


 カイト達の事を憂いたところで、イナリにできることは祈ることくらいのものだ。ならばここは一つ、首を長くして吉報を待つとしよう。


 さて、そんなことに思いを馳せているうちに、イナリは今日も街門に到達した。今日もフレッドの姿がある。彼は三日に一回程度の間隔でここに居るようだ。


「イナリちゃん、エリスさん、おはようございます!今日もお二人で稽古っすか?精が出るっすね」


「けいこ?……あっ、あれか。うむ!我、頑張っておるぞ!」


 一瞬何の話かと思い硬直したイナリだが、すぐにフレッドの言わんとすることを理解し、細い腕で力こぶを作った。


 イナリは魔の森を火の海にするために日々の活動に勤しんでいたわけだが、表向きの動機はエリスから指南を受けることにしていたのだった。イナリの言葉を微塵も疑っていないフレッドは、そのことについて言及してきたのである。


「調子はどうっすか?俺も一時期冒険者やってたんでわかるんすけど、エリスさん、普通に強いですよね」


「……そうじゃな!」


 エリスが戦う様子を一度たりとも見たことがないイナリは、ただ元気に返事を返した。続けて、隣で口元を抑えて震えているエリスを尻尾で小突いておく。


「そ、それより。魔の森の様子はどうじゃ」


 掘り下げられても困るので、イナリは毎回街門で確認していることを尋ねる。


「毎日何人か怪我人が出てるみたいっすね。少しずつ人数も増えているんで、明日にも一般人は完全立ち入り禁止になるんじゃないかなって感じっす」


「ふむ。……それは何じゃ、森を囲む形で兵士が見張りをする感じかの?」


 いつかイナリが言われたことでもあるが、魔の森は広い。全ての箇所から人が入れないようにするとなると、かなりの人数が必要になるはずだ。


 疑問に思ったイナリが問うと、フレッドは首を振る。


「流石にそこまで人数を割きはしないと思うっす。せいぜい巡視隊を何組かってところじゃないっすか?」


「なるほどの。我らの行動に影響は出そうじゃろか」


「ん-、冒険者だし大丈夫だと思うっすよ。ただ、イナリちゃん単独だと、止めざるをえない感じっすかねー……」


「そうですね。イナリさんを放っておくと、何をするかわかりませんからね」


「まあ、そういう意味でもっすかね」


「我、物事を知らぬ童ではないのじゃぞ……」


 イナリは、己を見て頷き合うエリスとフレッドに、腕を組んで不平を漏らした。


 ところで、イナリが魔の森の様子について尋ねている理由は二つある。


 一つは単純に、自分たちの行動に対する影響が出るかどうかを確認するため。


 もう一つは、イナリの計画による人間の犠牲者を出さないために、立ち入りが制限されて人が居なくなった事を確認してから森を燃やしたいからだ。尤も、これについてはおまけみたいなものだが。


 大体、神託を出し、「魔王」の活動の兆候を見せているのだから、まともな思考回路を持つ人間ならば、イナリが魔の森を燃やすころには撤収しているはずなのだ。ここまで配慮して犠牲者が出たとして、それはもうイナリが預かり知ることではない。


「まあ、何じゃ。お主らの無用な懸念を払拭するためにも、我は引き続き稽古に臨むのじゃ。通すがよい」


「あ、そうっすね。お気をつけてどうぞ!」


 半ば強引な理由をつけてフレッドとの会話を締めくくり、イナリは街門を潜り抜けた。




「――イナリさん。今日は、例の計画を進めるのはやめておきませんか」


「……どういう風の吹き回しじゃ?まさかとは思うが、怪我人が出ているから止めようという話ではあるまいな?」


 魔の森へ向かう道中でのエリスの発言に、イナリは歩みを止め、目を細めてエリスに向き直った。


「いえ、そういうわけではないです」


 エリスは冷静に否定し、続ける。


「この発言は回復術師としては問題かもしれませんが、冒険者は多少の怪我は承知の上で危険な場所に赴いています。ましてや、魔の森は元より危険な場所とされているのですから、怪我をするのは自己責任です。……非情だと思いますか?」


「んや、概ね我と同意見で安心したのじゃ。こんなところで意見が割れては堪らぬ」


 エリスと仲違いをするようでは、計画に支障が出るどころか、日々の生活すら気まずいものになりかねない。安堵したイナリはエリスに身を寄せ、話を続ける。


「しかし、ならばどういう意図での発言じゃ?」


「先ほどのフレッドさんとの会話を思い出してください。この外出は表向き、イナリさんを強くするためのものです。イナリさんが多少強くなっていないと、一体何をしていたのかと疑われてしまうのではないかと」


「……一理あるのう。それを抜きにしても、誰も我らの事を見ていないのは妙よの……」


「そういうことです」


 イナリ達以外にも、魔の森に立ち入る冒険者はしばしばいる。それこそ、この道で立ち話をしている間にも、一組の冒険者パーティが横を通過していったところである。


「というわけで、ディルさんみたいでちょっと嫌ですが、今日は一緒に訓練をしましょう!」


 エリスはイナリの手を両手で包み、声を上げた。突然テンションが上がるエリスを前に、イナリは置いてけぼりにされている。


「……何か、妙に楽しそうじゃな?」


「それは勿論。イナリさんを手取り足取りできるんですから、楽しいに決まっているじゃないですか」


「邪念を感じるのじゃ」


 相変わらず平常運転のエリスに対し、イナリは己の身を護るように縮こまりながらジトリとした目を向けた。


「そも、訓練云々以前に……お主、戦えるのかや?お主とはそれなりの付き合いじゃが、結界術と回復術の印象しかないのじゃ」


「そういえばそうですね。ですが思い出してください。私も高等級の端くれ、本業の方には敵いませんが、それなりにやれるんですよ」


「ふむ。そういうことなら、お手並み拝見といこうかの」


 腕をまくり、力こぶを作って見せるエリスに対し、イナリは適当な返事を返した。


 残念ながら現時点では到底強そうには思えないというのが本音だが、門番のフレッドが強いというのだから、きっとそうなのだろう。


 だが、イナリにはエリスが戦う姿が到底想像できない。果たして、どのようにして戦うのだろうか?

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