第372話 久方ぶりの門衛
朝から一仕事終えたイナリは、水たまりの中をちゃぷちゃぷと歩きつつ、魔の森側の街門へと足を運んでいた。
なお、先ほどイナリが晴らした空は、既に曇天模様に戻っている。イナリが無理やり雲を退かせただけなので、時間が経てば元に戻るのは当然のことである。
あまり何度も神の奇跡のような光景を連発するのも無粋だし、何より疲れるので、雨が降りそうになったらまた手を出すとしよう。
「時にエリスよ。神託の件はどうしたのじゃ?皆にはもう伝えたのかや」
「はい、イナリさんが準備している間に伝えてありますよ」
「そうか。その様子じゃと、何も言われなかったのかの?」
「んー……そんなことはなかったです。ただ、アースさんの名前を出したら割とあっさりでした」
「ふむ……」
イナリは一言相槌を打って返した。察するに、アース自身の神らしい振る舞いによる印象づけが功を奏しているようだ。
もし仮に同じようなことをイナリがしたら、果たして皆は引き下がるだろうか。……きっと、引き下がってくれるはずだ。そうであってほしい。
閑話休題。エリスはイナリに身を傾けながら続ける。
「でも、これで何かあったら色々と大変なことになりますからね。どうか、本当に何事も無いことを祈りますよ」
昨日の一件で不安要素は一通り解消したはずなのだが、依然としてエリスの心配症が発揮されているようである。
「ま、全ては結果でもって証明するとしようぞ。お主はただ、大船に乗ったつもりで我に続くがよい。……む、あやつは……」
イナリ達が街門に到着すると、そこに見覚えのある兵士の姿があった。
「イナリちゃんじゃないっすか!久しぶりっす!」
「フレッドではないか、久しいのう」
イナリの姿を認めた彼は、手を大きく振り、笑顔で声を掛けてくる。
「全然会えないもんだから心配だったんすよ!最後に会ったの、いつっすか?」
「この街を発って以来じゃろか。お主が息災なようで何よりじゃ」
「いやあ、忘れられてないか心配だったんで、安心したっす。エリスさんも、お久しぶりです」
「はい、お久しぶりです。お怪我などはありませんでしたか?」
「そりゃもう、すこぶる元気っす!」
エリスの問いかけに、フレッドは力こぶを作って返した。
「そういえばエリスさん、さっきの見ました?」
「さっきの、といいますと?」
「空がいきなり、ぶわーって晴れたやつっすよ!めちゃめちゃ神々しい感じだったんで、巷じゃアルト神が君臨したんじゃないかって、みんな噂してますよ。エリスさんなら何か知ってるんじゃないかと思ったんですけど」
「は、初耳ですね……」
エリスはふいと視線を逸らして答えた。
「ありゃ、そりゃ勿体ないっすね。本当にすごかったんすよ?神託と関係あるのかとも思ったんすけど……どうなんですかねえ」
「さ、さあ。神の御心は神のみぞ知るところですから……」
フレッドの言葉に、エリスはそれっぽい適当な言葉で返しつつ、隣で「我がやったのじゃ」とでも言わんばかりにそわそわと尻尾を揺らすイナリの尻尾をそっと掴んで押さえた。
「それで、お二人さんは森に行く感じですか?」
「はい、私はイナリさんの同伴です。ええと、何するんでしたっけ?」
エリスはイナリに目配せしてきた。
まさか「これから森を燃やしに行きます」などと言えるわけもなし、不審に思われないような理由をつけるよう促しているのだろう。
その意を汲んだイナリは口を開く。
「ええと……その、ちと強くなりたいと思うての、森でエリスから指南を受けるのじゃ」
自分で言っておいて何だが、エリックやディル、リズがいるのに、よりによって一番戦闘から遠い場所に居そうなエリスから受ける指南とは何だろうか。少し考えれば、誰でも人選がおかしいと指摘しそうなものだ。
言った直後に己の言葉の不自然さに冷や汗を流したイナリだが、それに反し、フレッドは肯定的な反応を示す。
「へえ、そりゃいいっすね。エリスさんに指南してもらえたら、将来は大物間違いなしっすね!」
「そ、そうじゃな……?」
別に指南を受けるわけでもなし、この場を切り抜ける事しか考えていなかったイナリだが、エリスから指南を受けると大物になれるようだ。
一体どういう理屈でそうなるのかとイナリが思考する傍ら、フレッドは物憂げな表情をつくる。
「ただ、色々と気を付けてくださいね。もうご存じかもしれないっすけど、ここ数日、魔の森近辺でトラブルの報告が増えてきてるらしいっす」
「それは我もたくさん耳にしておるし、何なら当事者じゃ。あろうことか、我の社を占拠しておる輩がおるのじゃ!」
「社……あ、家の事っすか?そりゃヤバいっすね。俺も助けになりたい気持ちは山々なんですけど、ここから動けないもんで。有事の時にここまで駆け込んでくれれば、いくらでもやりようがあるんすけど」
「ふむ。まあ、その必要が無いことを祈るとしようかの」
「それは間違いないっす。平和が一番ってやつっすね」
森で何かあったとして、ここまで戻ってくるのにかかる時間は決して短くない。基本的に頼り先としては最終候補となるだろうし、イナリは気持ちだけ受け取っておくことにした。
「それと別件なんですけど、昨日神託が出たらしいじゃないですか。何が起こるかわからんですから、あんまり奥にはいかない方がいいっす。……って言っても、エリスさんは神官ですし、余計なお世話っすかね?」
「いえ、それがフレッドさんのお仕事でしょう。何も責めることなどありません、もっと自信をもってください」
「そう言ってもらえると嬉しいっす」
エリスの言葉に、フレッドは照れながら返した。
どうやら、街の兵士として、共有されるべき情報は既に共有されているようである。といっても、間違った解釈がされたものが通達されているのだろうけれども。
「最後に、事と次第によっちゃ魔の森への立ち入りが全面禁止になる可能性もあるんで、そのつもりでいた方がいいかもしれないっす」
「ふむ」
「というわけで、俺から伝えることは以上っす。どうぞ、お通り下さい!」
「ありがとうございます。お仕事頑張ってください」
「頑張るのじゃぞー」
イナリは街門をくぐりつつ、エリスに倣ってフレッドと、少し離れた位置に居た彼の同僚と思しき兵士に向けて声を掛けた。
数分後、イナリは魔の森の外れに立ち、両手を後ろに回した尊大な態度でエリスに向き直る。
「さて、行動に移る前に、まずは我の完璧な計画を伝えるのじゃ」
「はい、お聞かせください」
「まず前提。今回の計画を実行する際は不可視術を発動させるのじゃ。お主も含めての」
「私もですか?私、不可視術は封印するつもりで――」
「お主の言わんとするところは理解しておる。我とて、お主が目も当てられないくらい最悪な外見になることを忘れたわけではないのじゃ」
「前も思ったんですけど、イナリさんに言われると結構キツイですね、その、精神的に……」
全く包み隠さないイナリの言葉に、エリスは肩を落とした。
「じゃが、これからすることを考えると、やはり我らの行動は見られない方が都合がよいのじゃ。今回は共に不可視術を発動するからの、少なくとも、我がお主を見て恐れることはないのじゃ」
不可視術が機能する要件は、「術の発動時に目撃されていないこと」だ。つまり、発動するまでエリスを見ておけば、少なくともイナリの精神状態は保たれる。
言い換えれば、エリスが不可視術を発動させた後、森で鉢合わせた冒険者が正気でいられる保証はないとも言えるが。
「まあアレじゃ。うまいこと人目を避けつつ行動すればよいのじゃ。お主の……何じゃったか。なんたら結界があれば容易であろ?」
「広域結界ですか?まあ、その範囲内であれば何とかなりますけれど……」
「うむ、うむ。頼りにしておるのじゃ」
エリスはまだ何か言いたそうな様子だったが、イナリが彼女の背をてしてしと叩くと、その言葉を飲み込んだ。
「さて、次に必要なものの話じゃ。もしかしたら察しておるやもしれぬが、ブラストブルーベリーと、テルミットペッパーじゃ。いずれも我が持っておる」
イナリは懐からテルミットペッパーが入った瓶と、ブラストブルーベリー爆弾を取り出して見せた。
イナリがアルテミアでゴブリン退治をするときにお世話になった、誰でも簡単に放火魔または爆弾魔、もしくはその両方になれるセットである。
「いつものやつですね。それを投げるのですか?」
「ふふん、それでは芸が無いのじゃ。正解は……これを植えて増やすのじゃ」
得意げに笑うイナリを見て、エリスは首を傾げた。
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