第371話 知ってましたよね?

「何か……何?混ざっちゃったの?」


「そのようじゃな」


 心底困惑している様子のアースに、イナリも苦い表情で頷く。本来の神託を知らないエリスだけが置いていかれている状況だ。


「どういう意味ですか?」


「貴方たちの受け取り方が間違ってるって話よ。どういうわけか、全くの別件に変な因果関係を見出したみたいね。でも、そっちにかかりきりになればイナリも安全になるし、逆にアリかしら」


「うむ。案外そうやもしれぬな」


 アースの言葉にイナリは頷いて返した。


 ただの勘違いによるものとはいえ、単に得体の知れない人物を探させるより、魔王を討つために重要だからという動機があったほうが、人間も動きたくなるものだろう。


「……何でしょう。私だけすごい疎外感を感じます」


「無理もあるまい。この場は今、神の方が多いからのう」


「そんな場所に居るんだから、疎外感より喜びを感じてほしいものだわ。知ってる?私ってそう簡単に会える存在じゃないのよ?」


 アースが胸に手を当ててしたり顔で告げるが、その様子をイナリは冷静に眺め、そして口を開く。


「……その割に、呼べばすぐ来るよの」


「確かに、呼んだら五秒くらいで来ましたよね」


「私は基本的に不干渉なのよ」


 余計な事を口走った狐とそれに同意する信者に、アースは頬を引き攣らせながら答えた。


「で。これ以上は何もないわよね?私はこの後忙しいから、そろそろ帰るわ。そう、忙しいから!」


「そんなに何度も言わずとも聞こえておるのじゃ」


 イナリは呆れつつ、亜空間へ消えていくアースの姿を見送った。きっとこの後も全然忙しくないだろうことは容易に察せられたが、敢えて黙るのが優しさというものだ。


 さて、アースが居なくなって部屋に静寂が訪れると、エリスがおもむろにその場にしゃがみ込む。


「はあぁ、よかったです。ひとまず、最悪な展開は無さそうですね……」


「最悪の展開とな。……ああ、お主、何かと悪い方向に考えがちじゃからのう」


 最初こそ怪訝な声を上げたイナリだが、すぐにエリスの様子に納得した。


 何時だったかは忘れてしまったが、パーティを追放されるかもしれないだの何だのと、あり得ない想像を語っていた記憶がある。今回もその例に漏れないといったところか。


「一体何を考えておったのじゃ?後学のために、話してみるがよい」


 イナリが適当な建前のもと興味本位で問いかけると、エリスはぽつぽつと答え始める。


「……まず一番に私が懸念していたのは、何らかの理由でイナリさんと一緒に居られなくなるケースです」


「そんな風になる余地、あるじゃろか」


「全然ありますよ、神託の内容が内容ですから。イナリさんが神託を聞いて一人で逃げ出してしまう可能性だってありましたよね」


「我、たかだか神託に名指しされた程度で逃げるような者と思われておったのか?」


「そういう意味ではないのです。……それと、神託で名指しされた人は普通、正気ではいられないと思います」


 イナリのややズレた反応に、エリスは苦笑しながら返した。


「後は、イナリさんが神にせよ魔王にせよ、身が危険だと確定した時にどうするかを考えていました。イナリさんを連れて逃げるにしても、どこへ行くべきかは大事ですよね」


「確かに、それは重要な問題じゃな」


 仮にこの街に居られなくなったとして、イナリだけでは、この世界における行き先の候補は著しく絞られる。


 その候補も、よくわからない人間に占拠されていたり、厳密な場所がわからなかったり、単純に遠すぎたり、地上から消え去っていたりで、実質的に流浪の民になる以外の選択肢はないと言ってもいい。


 エリスが居れば、その辺の問題は一気に解消するだろう。選択肢が非常に潤沢になるし、困ったときの頼りにもなる。逆に言えば、そこから最善を選ぶのが大変ということにもなるが。


「ともあれ、お主が我を心配してくれたのはよくわかったのじゃ。感謝するのじゃ」


 イナリはいつも己がされているように、しゃがみ込んでいるエリスの頭を撫でた。普段は彼女の方が圧倒的に身長が高いので、こういう機会は案外貴重である。


「ところでイナリさん。冷静になった今、少し気になったことがあるのです。先ほどの流れがあった手前、あれこれ詮索するのは不躾だというのは承知の上で、一つだけ聞かせてください」


「何じゃ?」


 イナリが首を傾げて返すと、エリスはイナリを抱擁し、笑顔で問いかけてくる。


「先ほどのアースさんとの会話からして、イナリさんって神託の事、知ってましたよね?」


「あー……それはアレじゃ。我……神じゃからの」


 イナリがお決まりの便利フレーズで答えるも、エリスの表情は変わらず、抱擁というより拘束に近い態勢が変化することはなかった。寧ろ締め付けが強くなった気もする。


「のう、ちと腕を緩めてくれぬか?」


「ダメです。私がどれだけ心配したか、身をもって理解してもらいます」


「ぐ、ぐう……」


 それを引き合いに出されては、イナリもやめろとは言えなくなってしまった。


 こうして二人は、不審に思ったパーティメンバーが様子を見に来るまで、物置から出てくることはなかった。




 そんな一幕もありつつ、翌日。


「さあエリスよ、今日こそ森へ行くのじゃ!」


 イナリは何事も無かったかのように魔の森へ向かうための準備を整え、エリスに声を掛けていた。


 しかし、エリスは気まずそうに外を指さす。


「あの、雨降ってますよ……?」


「我の力を思い出すがよい。雨が降っているなら、晴らすだけじゃ」


 窓辺に立ったイナリが空に向けて手を掲げ、虫を追い払うようにぱっぱと手を振れば、少しずつ雲が薄れて光芒が差し、ものの二、三分程度で青空がくっきりと見えてくる。


 周囲は曇っているのに、この街の一帯だけ晴れている、実に奇妙な光景の出来上がりである。


「わ、わあ、すごーい。過去の魔術師が思い描いた天候操作が、一瞬で……」


「た、大変です!リズさんが石みたいに固まって、動かなくなってしまいました……!」


「おお、すごいのじゃ。かちこちじゃ」


 イナリは呆然とした表情のまま硬直するリズの体をつんつんとつつき、感心の声を上げた。


 それはそうと、皆に対してここまで露骨に天候操作を披露したのは初めてかもしれない。


 そして、それに対して皆が感嘆の声を上げる様子を見ていると、何かゾクゾクとした高揚感がこみ上げてくる。神の御業を見て驚く者の姿というのは、こうも気分が良いのか。


 風を操る力の応用である天候操作くらいでこうなるのなら、魔の森が生まれたとき、皆はどういう反応をしていたのだろう?


 もっと世界を植物で満たし、天候を操作すれば、魔王扱いしていたような存在であっても、皆、イナリを讃えるのだろうか?


 それならば、今回の件を皮切りに、もっと大々的に活動しても――。


「――イナリさん、大丈夫ですか?何だか怖い顔をしていましたが……」


「ん?ああいや、ちと考え事をしていただけじゃ」


 イナリは既のところで正気を取り戻した。讃えられるのは大歓迎だが、それで身を滅ぼしたり、皆との交流が途絶えてしまっては意味が無いのだ。そういうことをするにしても、計画を立ててからであろう。


 イナリが冷静になったところで、エリックが声を掛けてくる。


「イナリちゃん、安易に天候操作をするのは止めたほうがいいんじゃないかな……?」


「何じゃ、この豊穣神たる我に自然の摂理でも説いておるのか?無駄じゃぞ、我の存在自体が自然そのものみたいなものじゃからの!」


「こいつ、調子に乗り始めると本当にわかりやすいよな……」


「ふふ、可愛らしいくていいじゃないですか」


「お前も、あんまり甘やかしすぎるなよ……」


 尻尾をぶんぶんと振り、両手を腰に当ててふんぞり返るイナリに対し、ディルはため息をこぼしていた。

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