第370話 この神託…何か変…
「お主、我にどのような答えを求めておるのじゃ」
イナリが困惑しながら問いかけても、エリスは依然として狼狽した様子で、何も返事は期待できない。これでは埒が明かないと判断したイナリは、軽く指で腕を叩いた後、一つため息をついて口を開く。
「お主がそんな風では、答えられることも答えられぬぞ?まずは落ち着くがよい」
「そ、そうですね。では、お言葉に甘えて……」
エリスは頷きながらイナリを抱きしめ、頭や尻尾を撫でまわし始める。
これが彼女の落ち着く方法だというのであれば、止めるのは野暮かもしれない。だが、「落ち着く」という言葉は、断じてこのような行為を意味するものではなかったはずだ。
イナリがそんな疑問を抱いている間、薄暗く狭い倉庫の中で、布が擦れる音だけが響く。
「……これは、落ち着くためにやっているのじゃよな?」
「はい」
訝しむイナリに対し、先ほどまで狼狽していた様子のエリスは、一切の迷いがない真っすぐな瞳で答えた。過程はともあれ、落ち着いているのは確からしい。
しばらくなされるがままにしていると、エリスがイナリの耳の先端を触りながら口を開く。
「確認させてください。イナリさんは神です。そうですよね?」
「うむ」
この言い方だと、まるでエリスがイナリを崇拝しているみたいな言い方になってしまっているが、あながち間違いでもないのだろうか。
イナリがそんなことを考えているうちに、エリスがさらに言葉を重ねていく。
「先日、アルト神からの神託が下されたそうなのです。この街の教会が解釈した結果『樹侵食の災い』が動き出す兆しがある。決して立ち向かうことなく、逃げるように、と……」
「ふむ」
先日頼んでおいたことにアルトはしっかり応えてくれたようである。ついでに、後半の部分には「イナリに手を出すな」という意図も窺える。
随分と気が利くものだと感心しているイナリをよそに、エリスは物憂げな表情をつくる。
「この神託、変です」
「変とは?」
「アルト神はどうして、イナリさんの動向を読めているのですか?何か兆候があったならまだ理解できますが、イナリさんはこれから動き始めるのですよ?」
「我、神じゃからの。同じ神として、アルトも我を無視できないはずじゃ」
「それなら、イナリさんが魔王でないとすぐにわかるはずです。……今、しれっとアルト神を呼び捨てにしましたね」
胸を張って告げるイナリに、エリスは冷静に指摘すると、アルト神を呼び捨てにしたことを咎めるように頬をつまんだ。
それを受けたイナリは、またすんとした表情に戻って返事を返す。
「では、未来視でもできるのではないか」
「それだと、イナリさんがこれからとんでもない災害を巻き起こすことになります」
「先の発言は撤回じゃ。ううむ……」
イナリは唸った。
魔王の威を借りてイナリの社を占拠する連中を散らす事しか考えていなかったが、確かにイナリの素性を知る者からすると、神が別の神から魔王扱いされている奇妙な状況に映るだろう。
そして、その真相は「そう言うように頼んだから」となる。そんなふざけた答えを出そうものなら、イナリはこの場でエリスに締め落とされることだろう。
そんな痛い目に遭いたくないイナリは、一旦話を逸らす路線を試してみることにする。
「そもそもじゃ。我を魔王と勘違いしたのはアルトではなく人間なのではないか?アルトが元より我を神として扱っているとするならば、わざわざ訂正することもなかろ」
「……でも、今回の神託では、イナリさんがこれからとる行動を災いと表現していそうですよ」
「ぬおお……」
かなり的確なところを突いたつもりが、むしろアルトがイナリを魔王として扱っていると言って差し支えない証拠が出てしまい、イナリは頭を抱えた。
「やはりイナリさんもおかしいと思いますよね。おかげで私も混乱してしまい、先ほどはおかしな質問をしてしまいました」
「そ、そうじゃなあ……」
結局、話をややこしくしているのはイナリがアルトと面識があることを伏せている事、その一点に尽きる。状況が状況なだけに、変にはぐらかすこともできず、しかし素直に教えるのも中々厳しい。
イナリは考えに考えた末、一つの結論に辿り着く。
「……一旦、アースに相談じゃ」
「それがよさそうですね」
イナリが己の指輪に触れながら告げると、エリスもそれに同意した。
「――で、私が呼ばれたと。……呼び出すのは結構なのだけれど、物置に三人は狭いと思わなかったの?」
「すみません。他の部屋には皆さんが居るので……。会話が届きにくい場所はここしか無いんです」
「……仕方ないわね、我慢してあげる」
アースはため息をつくと、近くにあった木箱に腰掛けた。
「あの、この機会にお伺いしたいことがあるのです。アースさんは、アルト神と面識があるのですか?」
「あると言ったら、どうするの?」
「……アルトだけに、か?」
「イナリ、ちょっと静かにしててもらえるかしら」
「はい」
威圧感のあるアースの言葉に、イナリはその場で正座した。うまいことを言ったアースを讃えようとしただけなのだが、些か空気が読めていなかったようだ。
そしてエリスもエリスで、何事も無かったかのようにアースに返事を返す。
「別に何もしません。私はただ、イナリさんと暮らしていくことができればそれでいいですから」
そう言いながら正座しているイナリを抱え上げて立たせ、アースに視線を戻す。
「ただ、面識があるのであれば、今のイナリさんの状況を知らないはずがないですよね。アルト神の行いについてどのようにお考えなのか、よろしければお伺いしたいのですが」
アースを前にしたエリスは、臆さず目の前の黒き女神に言葉を掛ける。
あわや険悪な雰囲気になるかと思い焦ったイナリだが、その予想に反し、アースはしばし間を置いてから頷く。
「……そうね。結論から言うとあるわ。というか、私も散々目立ったことだし、無い方が変よね」
「神託で『友』という言葉がありましたよね。やはり、あれはアースさんの事でしたか」
「そういうこと」
納得したように頷くエリスに、アースも追従する。
なるほど、アルトとアースに繋がりがあることを強調することで、一旦イナリの事を隠すという戦略を取ったようだ。アースは基本的にこの世界にはいないし、あちらで引き受けてくれれば、イナリ側に注目が集まりにくくなることも期待できる。
「それで、神託の件については……そうね、とりあえず問題が無い、とだけ言っておくわ」
「……どういうことですか?」
答えとしてはあまりに不十分なアースの応答に、エリスは顔を顰めて問いかける。しかしアースはどこ吹く風といった様子で立ち上がり、イナリを指す。
「私の口から言うことではないということよ。いつかイナリから話せる時が来たら、直接聞くといいわ」
何だかいい感じの雰囲気で告げるアースだが、イナリは察している。多分これは、良い言い訳が思いつかなくて、意味深な事を言って煙に巻こうとしている。
それを察知したイナリの視線を受けたアースは、小さく舌を出して返してきた。間違いなく意図的にやっている。
神陣営がそんなやり取りをしている傍ら、エリスは俯いてイナリを見ながら、ぽつりと呟く。
「……私はまだ、信用してもらえていないのでしょうか」
「そんなことはないわ。ものすごく認めがたいことではあるけれど、イナリが一番懐いている人間は間違いなく貴方よ。ただ、どれだけ信頼を重ねても、時間をかけないと解決しないことって、あるでしょう?」
「時間、ですか」
「そう。ここに来るまでに大変なことがあったイナリには、まだ時間が必要なの。きっといつか、イナリから貴方に伝える時が来るわ。だから、その時まで待っていてあげて頂戴」
よくもまあ、こうも適当な事をつらつらと言えたものだ。それにこんな言い方をされては、むしろ打ち明けづらくなっていないだろうか。
目の前に立っている地球神に対してイナリがジトリとした目を向けると、それに気づいた彼女は慌てて話の軌道を元に戻す。
「というわけで改めて言わせてもらうけれど、今回の神託でイナリに不都合は生じないわ。もし貴方の仲間が神託を聞いて疑問に思っているようだったら、私の名前を使ってでも、イナリが疑われるようなことがないようにしなさい。いいわね?」
「わ、わかりました」
「イナリも、大丈夫だと思うけれど、助けが必要ならすぐ呼ぶこと。この信者を経由してもいいから。わかった?」
「うむ」
むしろ未来のイナリが苦労するような気もするが、一旦この場の危機は去ったとみるべきか。
アースの言葉に各々が頷いたところで、彼女は手をポンと叩く。
「それじゃ、解決ね。もう帰っていいかしら?」
「うむ」
「あっ、待ってください!」
帰還用の亜空間を壁に開いたアースを、エリスが呼び止める。
「何、まだ何かあるの?」
「はい。その……実は、神託には続きがありまして」
エリスの言葉に、場が静まり返る。
「……続きがあるとは、初耳じゃぞ?」
「す、すみません。まずはイナリさんの正体を聞こうと思って、後回しにしていて……」
ずいと迫るイナリに、エリスはただ弁明した。
「話してみなさい」
「ええと……『エーサン』の謎を解明して神天星が天にある時間に祈りをささげると、『樹侵食の災い』を討つことができるそうなのですが……これはどういうことでしょう?」
「……我、初耳じゃぞ」
「私も初耳だわ」
一人の神官と二匹の狐神は、狭い物置部屋でしばし見つめ合った。
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