第369話 スティレとは誰ぞ
「――イナリちゃーん、おーい?」
「んう、何じゃ……」
「あ、起きた」
エリスが外出した後ふて寝していたイナリは、リズに体を揺すられて目を覚ました。
やや微睡みつつ寝返りを打って振り返ると、すぐ目の前にハイドラとリズの顔があった。ハイドラはイナリの顔を見るなり、晴れやかな笑顔とともに手を振って見せる。
「イナリちゃん、おはよ!」
「……何故お主がここに居るのじゃ?」
イナリは目を擦りながら身を起こした。
「ハイドラちゃんがね、イナリちゃんに相談したいことがあるんだって」
「そうなの。イナリちゃんのことを『森を守る同志』って言ってた人、覚えてる?」
「ああ、あのえるふの者じゃな。覚えておるぞ」
「あの人、スティレさんって言うんだけどね――」
ハイドラは、先日スティレと出会ったことと、そこで話したことについて語った。
曰く、イナリやハイドラの方に危険は及ばないから、魔の森を元に戻すために個人的に除草ポーションを売ってほしい、とのことらしい。
「――で、一応ギルドの方でざっくり裏は取ってきたので、イナリちゃんの意思を確認したいと思ってきました」
「ふむ」
ややおどけるような口調でのハイドラの言葉に、イナリは一考する。
「それはよいのじゃが……我、明日こそは魔の森で活動を始める予定なのじゃ。ちと悪い言い方になるやもしれぬが、出る幕は無いと思うのじゃ」
「確かに、さっきイナリちゃんがウキウキで話してたね。『我が魔の森を守るのじゃー!』って」
「そんな小童のような言い方をした記憶は無いがの」
イナリがリズの頭をてしりと叩くのを後目に、ハイドラは首を傾げる。
「うーん、それってつまり、私がポーションを売ったらスティレさんを損させちゃうってこと?うーん、そうなるとポーションを売るのは気が引けるけど……」
エリックの返答を聞いたハイドラは長いウサギ耳をぺたりと畳んで告げた。ここで「じゃあ今のうちに売ろう」とならない辺り、彼女の良心が窺える。
「当初の予定通り、火を放ちづらい場所の対処を任せるもよし。我が動いた後でもう一度様子を見て、意思を問うもよし。我は特に懸念することも無い故、お主の判断に一任するのじゃ」
「それに全部じゃなくてさ、少しずつにしてもいいんじゃない?」
「確かに、様子を見ながら考えてみるしかないのかなー……。あと、まだ確認したいことがあって」
ハイドラはおもむろにエリックとディルの方に体を向ける。
「エリックさん、ディルさん。スティレさんの冒険者内での評判を教えてほしいです。信用しても大丈夫な人なんでしょうか」
確かに、スティレがとんでもない性格の人物だったりしたらこの話自体無かったことにした方がいいだろうし、この懸念は妥当なものだろう。
そんなハイドラの言葉を聞いたエリックとディルは顔を見合わせる。
「冒険者の中でも手練れの部類だとは思うが」
「うん。あんまり自分から依頼を受けてはなさそうだけど、信用できる人だと思うよ」
「……それ、本当に信用できるのかや?」
首を傾げるイナリに、エリックはおもむろに頷く。
「要するに、パーティの誰かが依頼を受けたら着いて行くとか、ギルドから指名依頼が入った時だけ動くとか、そういう感じかな。イナリちゃんと似ている感じだね」
「なるほどのう……」
思い返せば、イナリが自発的に依頼を受けた経験は数えるほどもない。話を聞いている分には変だと思っていたら、イナリ自身がまさに変な冒険者であった。
「前者はともかく、後者はそれなりに実績を積んでからじゃないと中々ないことだし、信用の裏付けとしては十分だと思うよ」
「参考になりました、ありがとうございます!」
ハイドラはエリックに向けて笑顔で礼を告げた。話は一区切りしたはずだが、冒険者談義が好きなのか、ディルはまだこの話を掘り下げていく。
「ちなみにスティレはソロだと狩人、パーティだと魔術師になる万能型だ。パーティの等級は6だが、個人の実力なら7にも届くと睨んでいる。将来は有望だぞ」
「お主、やたらと詳しいのう」
「まあ、知り合いのパーティメンバーだしな」
「そういえばそうじゃったな」
イナリはディルと彼の知人が談笑していた様子を思い出して納得の声を上げた。その傍ら、リズが感嘆の声を上げる。
「職業の兼ね方がすごいね。エルフの魔術師ってだけでもかなりすごいのに」
「ああ。どっちの職業もエルフの能力と相性がいいからこそ成せる業なんだろうな」
「いいなあ。リズもエルフだったらなあ」
リズとディルの会話を聞いて、イナリはまた首を傾げる。
「のう、エルフの能力とは何じゃ?」
「純粋なエルフは風を読み、自然と対話できる……と、言われているね」
「急にあやふやじゃな」
エリックの言葉に、イナリは半ば呆れつつ返した。
「伝承をそのまま引用しただけだからね。本当にそういう類の能力を持っているのは間違いないんだけれど……」
「通説だと、植物がもつ魔力の流れを読めるとか、風の流れに敏感とか、そんな感じらしいよ」
「ほーん……」
自然と対話という、豊穣神ですらできない事ができると聞いて密かに焦っていたイナリだが、リズの言葉を聞いて安堵した。幸い、イナリのプライドがボコボコにされることはなかった。
イナリがそんなことを考えているとはつゆ知らず、さらにディルが続ける。
「後はスティレに限った話じゃないが、ナンパに失敗した奴が逆恨みしたりして悪評を広められることはあるらしいな」
「うわあ、異種族あるあるって感じですねえ……」
きっと似たような経験をした事があるのだろう。ディルの言葉にハイドラは顔を顰めた。そんな様子を後目に、イナリはエリックに向けて尋ねる。
「のう、『なんぱ』って何じゃ?」
「エリスに聞くといいよ」
「なるほど、そういう感じか」
つい最近似たような流れを経験したことがあるイナリは遠い目で頷いた。多分、エリスに聞くことは無いだろう。
それにしても、イナリは今のところ他の冒険者から露骨に悪意のある行動をされた経験は無いように思う。これは単に運が良いのか、エリスがそういった輩を片っ端から締め上げているのか、はたまたアルトが何か仕組んだのか……謎は深まるばかりである。
ともあれ、ハイドラが持ち込んだ件については一旦様子見ということになり、そのまま皆で昼食をとったり、群青新薬の代金をハイドラから貰って時が流れた。
エリスが帰宅したのは夕方過ぎであった。
扉の音が聞こえるなり、イナリはぱたぱたと玄関へ駆けて行き、両手を前に広げてエリスの前に立つ。
「おかえりじゃ。さあ、お土産を所望する――」
「イナリさん、少し二人でお話したいことがあります」
「む?……わわ、どこへ行くのじゃ!?」
どこか焦燥した様子のエリスはイナリの手を掴むと、他の面々の前に一瞬だけ顔を出すなり、そのまま物置へと移動した。確かにここなら、他の皆が来ることはないだろうが……。
「エリスよ、どうしたのじゃ。こんな場所で話さねばならぬ事とは一体何なのじゃ?」
「神託を……神託を、聞いたんです。イナリさん、教えてください。イナリさんは……何者なのですか?」
「……え、我は我じゃが……?」
混乱しているのか謎の問いを提示してくるエリスに対し、イナリは途方に暮れた末、何の意味もない返答でもって返した。
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