魔の森修復作戦(仮題)
第368話 つまりお主はそういうやつなんじゃな
勇者出立の儀の翌日、早朝。
「ふふんふーん♪」
普段ならばまだ眠っているこの時間帯、イナリは小鳥のさえずりを伴奏に鼻歌を歌いながら、パーティハウスの庭で土いじりに興じていた。
歌っているのは、先日エリスやアリシアと共に買い物に興じていた時、通り掛けに吟遊詩人が歌っていた歌だ。イナリが知る歌というのは大抵「古い」ものばかりだったので、この世界の音楽はとても斬新で、文字通り新世界であった。
「ふふっ、イナリさん、ご機嫌ですね」
「うむ。カイトがこの街を発ったからのう、ようやっと我も堂々と動けるようになったのじゃ。これが喜ばずにいられようか?」
尻尾を揺らしながら返すイナリを見て、先ほどまでニコニコとしていたエリスは表情を曇らせる。
「……動くって、もしかして魔の森の件ですか?まさか、一人でどうにかしようと?」
「くふふ、鋭いのう。そのまさかじゃ。……ああいや、お主が言わんとすることはわかるが、まずは聞くのじゃ」
イナリは、己の両肩に手を伸ばそうとしたエリスを手で制して続ける。
「よいか。我は豊穣神、つまり森を司る神。あの森を戻すのは我の務めじゃ」
イナリとて、これがなかなかに無理のある主張だという自覚はある。しかし、この世界は創造神以外に明確に定まった存在はいないので、こうして自信たっぷりに振舞っておけば誰も気づきようがない。
「それに、その場の思い付きで告げているわけではないのじゃ。思い出してみよ、我が無計画に行動を起こしたことがあったかの?」
「はい、結構思い当たる節がありますね」
「……まずは聞くのじゃ」
「聞いてますよ」
即答するエリスに、イナリは少し前に告げた台詞を繰り返した。
「過去の事は一旦水に流すとして、今回も周到に考えてあるのじゃ。今我がしているこれとて、例外ではない」
イナリは手に持っていた園芸用の小さなスコップで、己の目の前にある植物を指した。
「ブラストブルーベリーですか。……まさか、イナリさんのお家を占拠している人にぶつけるんですか?」
「否。そうしたい気持ちは山々じゃが、我が社を自分の手で壊すような真似は御免じゃ」
「あっ、心配なのはそっちなんですね。まあ、イナリさんを害する人間を気にかける意味もないですね」
「お主も大概じゃな」
ジトリとした目を向けたイナリを見て、エリスはハッとした後、小さく咳払いをする。
「んん。とにかく、物騒な用途でないなら安心です。しかし、それならその実は何に使うのですか?」
「我がゴブリン退治でよくやっていた方法じゃ。これとテルミットペッパーを使って、森全体を燃やすのじゃ」
「人にぶつけるよりよっぽど物騒ですね」
「そうは言うが、元より森に火を放つのは決定事項だったのじゃ。つまり、一連の事を人間の力でやるか、我の力でやるかの違いでしかないのじゃ」
驚きを通り越して真顔で反応するエリスに、イナリは平然と返した。
「ですが、人が巻き込まれないようにする策はどうするのですか?ハイドラさんと進めていた時も、そこが課題でしたよね」
「詳しいことはちと話せぬが、その点も問題なしじゃ」
「もう少し安心できる返事をいただけると嬉しいのですが……」
エリスは、イナリにジトリとした目を向けながら頬をぷにりとつまんだ。しかしイナリはどこ吹く風、自信に満ちた面持ちで言葉を続ける。
「お主には悪いが、既に賽は投げられておる。故に、わざわざ説明せずとも、我の言っている意味は近いうちに分かるのじゃ。お主はただ、大船に乗ったつもりで我に着いてくるがよい」
「イナリさんが妙に自信を出している時、大体危険のサインなので怖いのですが。それに、着いて行くというのは文字通りに受け取ってよろしいのですか?」
「うむ。先ほど我の力でとは言うたが、お主に手伝ってもらった方が都合がよくての。困っている我を助けてくれんかえ?」
「そんな白々しく頼み込まなくても手伝いますよ?」
「それはよかったのじゃ。我の見立てだと、ちと骨が折れる仕事やもしれんからのう……む、エリスよ、誰か来ておるぞ?」
そんなことをしていると、パーティハウスの正門に神官が現れた。この街の教会にしばしばいる、会釈だけしたことがある程度の仲の神官だ。
彼の存在に気が付いたエリスは、相手が口を開くより先に声を掛ける。
「おはようございます。どうかなさいましたか?」
「はい。その、エリスさんに少々お伝えしたいことが」
「分かりました。……すみませんイナリさん、少しお話ししてきますね」
「うむ。その間に準備をしておくのじゃ」
エリスはイナリを一撫ですると、神官の近くに歩み寄っていった。それを見届けたイナリは、手を洗うべくパーティハウスの裏の井戸へと向かった。
「――イナリちゃん、どこか行くの?」
「うむ。魔の森に行くのじゃ」
イナリが衣装棚から引っ張り出した着物を着付ける傍ら、起きたてのリズが芯が通っていない声で問いかけてくる。
リズはベッドの上でごろりと転がりながらイナリを見据える。
「あっ!もしかして、イナリちゃん一人で頑張る感じ?」
「ほぼ、と言ったところじゃ。エリスにも手伝ってもらうがの」
「そうなんだ」
エリスとは対照的に、リズの反応はかなり前向きなものであった。きっと、ハイドラと共に計画に深く関わっていたためだろう。
「リズも行こっか?最近、転移の方にかかりきりだったからさ、魔法が撃ちたくて手が疼くんだよね」
「せめて、その疼きを収めてからにしてくれたもれ」
前言撤回、全然そんなことは無く、ただただ物騒なだけであった。
それはそれとして、リズをはじめ、他の者を同行させるかは要検討だ。というのも、エリスを連れて行くのは護衛目的ではなく、イナリの力を使わせるためだからだ。
……正直、当人すら忘れているようなものを大事に隠しておく意味はもはや無い気もするが、とにかく秘密は秘密だ。他の面々を連れていくのであれば、少し考える必要がある。
その辺のことに思いを馳せているうちに、イナリはあっという間に準備を完了させた。
腰に提げた小さな鞄の中には、神器やブラストブルーベリーをはじめとした必要な道具も一式揃っている。久々に自前の着物を着ることができたので、気合もバッチリだ。
イナリは寝間着姿のままのリズと共に部屋を出て、居間にいるエリスに向けて威勢よく声を掛けた。
「さあエリスよ、時は満ちたり!我と共に森に行こうぞ!」
「イナリさん、本当にごめんなさい。先ほどの件で、急遽教会に行かないといけなくなってしまいました」
「えっ」
イナリは右手を掲げた姿勢のまま小さく声を上げた。
その現場に居合わせたエリックとディル、それに隣にいるリズは、皆揃って気の毒なものを見るような目を向けている。
そんなイナリを見て、エリスは慌てて言葉を重ねていく。
「あ、明日なら絶対に大丈夫ですから!そ、それと、帰りに何か美味しいものをお土産に持ってきますよ。ですから今日は、皆さんと一緒にいい子にしていてください」
「……お主、教会と我だったら教会の方を選ぶのじゃな。そうかそうか、つまりお主はそういうやつだったのじゃな、よおくわかったのじゃ」
「そ、そんなこと言わないでくださいよぉ……」
エリスは遠い目で告げたイナリに縋りついた。
イナリはその様子を十数秒ほど堪能したところで、ぱっと笑みを浮かべながら声を上げる。
「……なんてな、冗談じゃ。我はお主を拘束するつもりは無い故、疾く行くがよい。ただし、お土産は絶対じゃ。よいな?」
「はい、必ずや!」
びしりと指を指して念押しするイナリを見て、エリスは敬礼するような姿勢で返すと、慌ただしい様子で居間を後にした。
そして、それを見届けたイナリは、長椅子に丸まって静かに拗ねた。
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