第366話 勇者出立の儀(4)
しばらく待ち続けていると、イナリ達が待機している特等席のちょうど向かい側にある観客席に三名、豪奢な装いの者が現れた。
「誰じゃあれは?一人はアリシアに見えるが」
「そうですね。あとは領主様と……多分、学園長でしょうか」
「どっちも知らんのじゃ。が、偉い者があそこに立っていることは理解したのじゃ。となれば、我もあそこに行かねばならぬな。何故なら、ここで一番偉いのは我なのじゃからな!」
「いや、『行かねばならぬな』じゃないですよ」
腕の中でもぞもぞと動くイナリを、エリスはがっちりと拘束しながら返す。
「イナリさん、まだ酔ってます?大丈夫ですか?」
「水が必要なら持ってくるぞ?」
「不要じゃ。我は至って真面目じゃ!」
冗談めかして心配してくるエリスと、おどけて親切に振舞うディルに対し、イナリは吠えるように返した。エリックは何も言っていないが、笑いを堪えていそうな様子なのがわかる。全く不敬極まりないことだ。
イナリが頬を膨らませて不満を露にしていると、突如、会場中がにわかに騒がしくなる。
「――勇者が来たぞ!!」
誰かがそう声を上げたように、会場では、カイトを先頭に魔法陣の中央へ向かう勇者一行の姿があった。あらかじめ聞いていた通り、計二十名程度の神官や戦士、荷物持ちが付き添っているようだ。
そしてその後に続いて、魔術師が魔法陣を囲む形で展開していく。その中にはリズとウィルディアの姿もある。
彼らがそれぞれ所定の位置につくと、魔術師たちは杖を構え、早速魔術の詠唱を始める。
随分と淡々としているような気もするが、第一部、第二部と時間をかけて儀式を執り行ってきたのだから、これ以上魔王討伐前に無駄に時間を割いても仕方ないのだろう。
それはそうと、会場の歓声をものともせず一斉に同じ句を唱える様子は、まるで神聖な儀式のようである。簡単そうに見えるが、かなりの技術を要するはずだ。
「ふうむ、これは壮観じゃのう」
イナリが詠唱に感心している間に、会場に刻まれた魔法陣が少しずつ青白い光を放ち始め、やがて会場全体を照らしていく。
会場の中央に居るカイトはというと、光をものともせずに、元気に周囲に向けて手を振っている。イオリも、どこか恥ずかしそうにしながらも、控えめに手を上げては下げて、そんなことを繰り返している。
そして、詠唱がそろそろ終わるだろう頃合いに、カイトがイオリの肩を叩き、イナリ達が居る方角を指さす。イオリはそれに頷くと、二人で両手を振ってきた。
イナリ達はそれに応えるように、大きく手を振って返した。
その後まもなく、魔法陣が発動して辺り一帯が閃光に包まれ、カイト達は魔王のもとへと発っていった。
そして、会場の中央に居たカイト達を見ていたイナリは、魔法陣が放った閃光にしっかり目をやられ、床にうずくまっていた。
「酷い目に遭ったのじゃ。もう魔法陣はこりごりじゃ……」
会場を後にし、エリスに手を引かれて外へ向かうイナリは、未だにチカチカする目を押さえながら零した。
悲しいことに、周りを見ても、誰一人としてイナリと同じ苦しみを味わっている者はいない。どころか、「いいもん見たなあ」くらいの感覚で盛り上がっている者ばかりである。
その様子を見て、イナリは悟った。
この世界の人間は日常的に魔法や魔法陣の光を見ているから、光に耐性があるのだ。いつだかハイドラが「魔術師には光への耐性がある」ということを言っていたが、実際は、この世界の人類が普遍的にその耐性を持っているのである。
この説はきっと、カイトに転移魔法の感想を尋ねれば検証できるはずだ。惜しむらくは、その機会が今後あるとは到底思えないことか。
「とりあえず、美味しいものを食べて落ち着きましょう。エリックさん、ディルさん、いい出店を知りませんか?」
ご機嫌斜めなイナリを宥めるべく、エリスが男性陣に問いかける。まずそれに答えるのはディルだ。
「俺は行商人の方を見てたから、食べ物系はさっぱりだ」
「行商人が来ているのですね。イナリさんに似合う装飾が買えたら嬉しいですね」
「僕も同じようなものだね。あとは吟遊詩人や芸者も何人かいたかな。それと、ハイドラさんが店を出すって聞いたから、少しお邪魔しに行きたいな」
「ほう、ハイドラが。……まさかアレを配っておるわけではあるまいな」
エリックの言葉を聞いたイナリの脳裏には、つい最近「自然を冒涜する味」と評された、白くて四角い物体の姿が浮かんでいた。
エリックに先導されて連れてこられたのは、魔法学校の正門に一番近い広場に構えられた屋台であった。
「いらっしゃい、いらっしゃい!錬金術師お手製、ウサギ印の薬草包焼きはいかがですか~!!」
「嬢ちゃん、一つくれ!」
「こっちもだ!」
「ありがとうございます!すぐにできますから、銅貨二十五枚を準備してお待ちくださいね!」
錬金術師ならポーションや魔道具辺りを取り扱うものと思っていたが、まさかの料理系の店であった。
勇者を転移させるという大きな行事が終わったこともあってか、ハイドラの屋台は繁盛している。それに、イナリが想像していた恐ろしい物体を配布しているわけではないようだ。
ハイドラの頭につけている三角巾の隙間からは長いウサギ耳が覗かせており、残像を残す勢いで忙しなく揺れている。会計から呼び込み、調理、盛り付けまで、全ての作業を器用にこなしているようだ。
「なんか、異様に板についてるのじゃ」
「錬金術師って、何でしたっけ?」
そんな様子を、イナリとエリスはぽかんとした表情で見つめていた。
「なるほど、あの身のこなし、持ち前の脚力を最大限に活かしているな」
「ディル、そんな風に女の子をジロジロ見るのは失礼だよ」
エリックは、腕を組んで師匠面をするディルを軽く小突いてから、ハイドラに声を掛ける。
「ハイドラさん、こんにちは」
「あっ、エリックさん!それに皆さんも、来てくれたんですね!」
「うむ、噂を聞いてきたのじゃ。生憎、リズだけ居らんがの」
「ああ、リズちゃんは忙しいもんね、しょうがない……はい、お待たせしました!」
ハイドラが注文を捌きながらイナリの言葉に頷いた。幸い、ちょうど客が途切れたようなので、少し雑談をしてみることにした。
「お主、ここで何をしておるのじゃ?」
「何って……見ての通りだよ?」
ハイドラは鉄板の上に置いている串をひっくり返しながら首を傾げた。そして、間髪入れずにくすりと笑う。
「なんてね、冗談だよ!私、こういう行事にはよく参加してるの。ウサギ印の宣伝になるからね!」
「抜かりないのう。して、何を売っておるのじゃ?」
「肉を薬草で包んで焼いたものだよ。味付けは趣味で作ってた調味料。全部私が育てたものを使っているから、質には自信があります!」
「なるほどな、通りでいい香りがするわけだ。だが、銅貨二十五枚で元が取れるのか?」
「大丈夫です、その辺はちゃんと計算してますよ、ふふふ」
ディルの問いに、ハイドラはこめかみを指さしながら、したり顔で返した。
「じゃあ、僕たちにも四本、貰ってもいいかな?」
「はい、すぐに焼きますね!」
エリックの言葉に、ハイドラはいそいそと薬草で包んだ肉が刺さった串を手に取り、鉄板の上に並べ始めた。
「むぐむぐ……美味じゃ。辛いのじゃ」
「香辛料ですかね?ちょっと癖がありますけど、美味しいですね。水が欲しくなってきました」
「これで飲み物も一緒に売る戦略なんだね。流石ハイドラさんだ」
ハイドラから包焼きを受け取ったイナリ達は、屋台の隣にあった長椅子に座って食事をしていた。
すると、突如、背後から女性に声を掛けられる。
「――失礼します、お隣よろしいですか?」
「ああはい、どうぞ……え」
振り返って答えたエリスは、直後に変な声を上げて硬直した。
「む?エリスよ、どうかしたのかや」
「……あ、あの、どうしてここに?」
困惑するエリスの視線の先には、地味な外套に身を包んだ少女の姿があった。しかし、僅かに覗かせている白い髪が、イナリの記憶の中のある人物を想起させる。
「お主、アリシアか?」
「へへ、来ちゃった」
アリシアは手を後ろに組み、悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべていた。その様子を見て、エリックが口を開く。
「エリス、どうしたの?その人はお知合い?」
「は、はい、そんな感じの人ですね!ちょっとあっちでお話ししてきますね!」
エリスはそう言うと、片手にイナリを抱えつつ、アリシアの手を引いて物陰へと連行した。
「アリシアさん、こんなところで何をしているんですか!?聖女ともあろう方が、こんな場所を歩いていたら――」
「ほら、前から一緒に出掛けたいなって話はしてたでしょ?今日ならいけるかなって思って」
「だ、だからってそんな……私達が見つからなかったらどうするつもりだったんですか?」
「全く考えてなかったよ。イナリちゃんの残滓を掴めたら、あとは簡単にわかるから」
「えっ何ですかそのズルい能力」
「お主はどこに突っかかっておるのじゃ」
エリスに抱えられたままのイナリは、足をぷらぷらと揺らし、包焼きを齧りながら呟いた。
それはそうと、エリスに劣らず、アリシアにも中々のストーキング能力が備わっているようだ。ただ、「残滓を掴む」と言っている辺り、いつでも気楽にイナリの場所を突き止めることができるわけではなさそうなので、そこは安心だ。
「ま、それは一旦置いておいて。さあ、三人で一緒に見て回ろう!」
腕を掲げて声を上げる、聖女とはかけ離れたアリシアの姿に、エリスとイナリは顔を見合わせた。
こうして、三人は日が暮れるまで魔法学校内を散策して一日を終えることになった。
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