第365話 勇者出立の儀(3)

 結論だけ言うと、特等席はとても良い場所であった。


 まず言及すべきは、備え付けの色々な飲み物や菓子を自由に飲食できることだろう。一番大事なところと言ってもいい。


 そして、木の温かみを感じる、上品な意匠の椅子がある。普段はエリスの膝の上が指定席のイナリが、わざわざそこから脱出して座ろうとしたほどに洗練された椅子だ。余談だが、エリスは「木に負けた」と謎の嫉妬をしていた。


 そんな椅子に座りながら正面を見れば、大きなガラス窓から転移魔法の魔法陣や、そこで作業している者の様子を眺めることができる。何かと偉ぶりたいお年頃のイナリにはとても刺さる構造だ。


 そんな風に部屋を堪能しているうちに、ディルとエリックが合流する。


「おはようイナリちゃん。体調は大丈夫?」


「うむ」


「お前、酷い酔い方だったぞ?今度正しい酒の飲み方を教えてやろうか」


「不要じゃ。我を何だと心得ておるのじゃ?」


「さあな。お前の姉曰く『びっくりするほどのおバカ』だそうだが」


「むう……」


 イナリは頬を膨らませて、分かりやすく拗ねた。ただディルが絡んできているだけかと思ったが、身内の言葉を引用されてしまうと弱い。


 その様子を見たディルは、一つため息を零してから口を開く。


「ま、やんちゃしても何とかなるような時でよかったと思っとけ。泥酔して取り返しがつかないことになった例なんざ、世界中にいくらでもある」


「皆、怒ったりしてないから安心して。ただ、今度は気を付けるようにするんだよ」


「……そうするのじゃ。改めて、迷惑をかけたのう」


 二人の言葉を聞いたイナリは、一拍間を置いてから二人に頭を下げた。


「ところでエリックさん。第二部の方は終わったのですよね?他の方々はこちらに来られないのですか?」


「ああ、それなんだけど、少しだけ待ってもらうことになったんだ」


「待ってもらう、ですか。何でまた――」


 エリスが言葉を言い切る前に、部屋の扉が開いて二人の人物が現れる。今日の式典の主役でもある、カイトとイオリだ。


 エリスは目を丸くして、膝に乗せていたイナリを持ち上げながら立ち上がる。


「お二人とも、どうしてこちらに?」


「皆さんには色々とお世話になったので、出発する前に挨拶したかったんです。本当は先日訪問する予定だったんですけど、思ったよりも準備に手間取ってしまって……少し無理を言って、時間を作ってもらったんです」


「いえ、こちらも先日は大変だったので、それは大丈夫ですけれども」


 エリスはイナリを一瞥しながら返した。確かに泥酔状態でカイトの前に出たら、何がどうなるか分かったものではない。


「……あっ、もしかして第一部が早く終わった理由って」


「お察しの通りです。ここぐらいしか落ち着いて話せるところが無いみたいで」


 カイトは頬を軽く書きながら苦笑した。


 その傍ら、イナリは腕を組んで静観していた。つまり彼は、演説がうまくいかなくて苦しんでいた同族ではないらしい。別にがっかりはしていない。


「ところでお主ら、まさか二人で行くのかや?ディルよ、着いて行ってやったらどうじゃ」


「まさか。俺は足手まといになるだけだ」


「そんなことはないですよ!ディルさんにはたくさんの事を教えていただきました。ね、イオリ?」


「そうですね。忍び足の技はいつも使わせて頂いています」


「え、何に?」


 カイトが訝しむが、イオリはニコニコと笑顔を返すだけであった。そこに不穏な空気を感じたのか、エリックが話の軌道を元に戻す。


「一応、何人か神官と魔術師が付き添う予定なんだよね」


「はい、拠点の確保をしてくれると聞いてます」


「ほーん……あれか、我らがごぶりん退治をしたときのようなものじゃろか」


「それが近いかもしれないね」


 イナリの言葉にエリックが頷く。


 それはそうと、イナリも一度例の魔王の近くに行ったことがあるが、それはもう酷い有様であったと記憶している。拠点を作るとして、果たしてそれをうまく維持する方法はあるのだろうか?


 イナリはしばし思案した後、イオリの隣に歩み寄り、そっと囁きかける。


「お主、あそこに生半可な覚悟で行くべきではないぞ?」


「何だ。私に勇者様の隣に立つ資格は無いとでも?」


「そんな話はしておらぬ。よいか、よく聞くのじゃ。あそこは……死ぬほどくさいのじゃ」


「は?」


「いや、本当に、鼻がもげると思うたのじゃ。あの臭いは人を殺める力がある、覚悟した方がよいぞ……」


「そ、そんなにか。な、何か対策できるかな……」


 先ほどまでの威勢のよさはどこへやら、イオリは見た目相応の少女のようにしおらしくなってしまった。


 水を差すような真似はしたくなかったが、転移した瞬間気絶したりするよりはマシだろう。これで、イオリが少しでも楽になることを祈るばかりである。




「――改めて、本当にお世話になりました!皆さんが居なかったら、イオリも僕も、どうなっていたかわかりません」


 カイトが綺麗な姿勢で頭を下げると、ディルが手をひらひらとさせて返す。


「いいってことよ。アルテミアの件は、どっちも殆ど成り行きみたいなもんだしな」


「確かにディルの言う通りだ。……いや、イナリちゃんのおかげというべきなのかな?」


「悩むなら我の功績にするのじゃ」


「はは、じゃあそうしようか」


 手を上げて主張したイナリに、エリックが微笑みながら頷き、再びカイトに向き直る。


「でも忘れないで。アルテミアから出てきた後のことの殆どは、君の努力の結果だよ」


「そうだな、確か、昨日あたりから神器が急に軽くなったんだろ?」


「そうなんです!やっぱり休むのって大事なんですね……!」


 純粋すぎる感想を零すカイトを、イナリは直視することができなかった。それは休んでいたからとかではなく、イナリが神器を入れ替えたからだ。


 そんなイナリの心情を悟る者がいるわけもなく、そのままディルが続ける。


「まあ、なんだ。たまに面倒ごとにも巻き込まれてはいたが、基本はサポートしてただけだ。加護なんぞに頼らないで毎日訓練に勤しむお前を、他の冒険者も見習わせるべきかもしれん」


「あの、アルト教の神官がここに居るってこと、忘れないで下さいね……」


 久々に謎の熱血漢と化したディルの隣で、エリスが小さく声を上げる。なお、アルト教神官を自称しているが、その実態はイナリ信者である。


 その傍ら、イオリが口を開く。


「私からも感謝させてほしい……特にイナリに。私が勝手に身分を偽ったり、獣人の事で迷惑もかけてしまったのに、こうして会いに来てくれて、本当に嬉しい」


「う、うむ。お主はもう友人なのじゃ、当然じゃろ?」


 イナリは僅かに目を泳がせつつ答えた。昨日までベロッベロに酔っていたなどとは到底言えたものではない。


「魔王を討伐したら、ようやく勇者様と落ち着いて過ごせそうなんだ。まあ、勇者様が居たところに帰る方法を探しながらになりそうだけど」


「……そうか」


 イナリは言葉に詰まりつつ、一言だけ返した。その様子にイオリも何か訝しんだように見えたが、カイトの声によって遮られる。


「イオリ。そろそろ時間だから行かないと」


「そうですね、勇者様。……それじゃあ、またな!ちゃんと私達が出発するところ、見ておくんだぞ!」


「うむ」


「皆さん、本当にありがとうございました!絶対に魔王を倒してきます!」


 手を振って部屋を出ていくカイトとイオリを、イナリ達は手を振って見送った。


「……よくもまあ、あんなに真っすぐでいられるよな。俺だったら絶対魔王討伐なんて行かねえし、何なら復讐とか考えるぞ」


「ディルさんの顔でそれを言うと結構洒落になりませんが。……しかし、アルテミアの教会はあんな純粋な方を傀儡にしていたのですよね。本当に、救えませんね」


 エリスが心底軽蔑したように呟いた。


 その傍ら、イナリは考える。


 きっとカイトは魔王を倒すだろうという確信がある。そうなれば、カイトは地球へと送還されるだろう。


 ではその後、イオリはどうなるのだろう?


「……全て、円満に終わればよいのじゃが」


 イナリが小さな声で零した言葉に答える者は、誰もいなかった。

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