第360話 潜入ミッション

「それで、この神器をどうするのですか?神託を出しても間に合わなさそうですし……あ、もしかして!」


 ハッとするアルトを見て、アースも得意げに頷く。


「そう、転移者が今持っている神器とそれを入れ替えるのよ……イナリが!」


「えっ我??」


 イナリは髪が顔にかかる勢いでアースに向き直った。


「大丈夫、貴方の不可視術を使えば余裕よ。それじゃ、ささっと行きましょ」


「ちょっ待――」


 声を上げる間もなく、イナリは一瞬の浮遊感と共に、足元に生まれた亜空間に飲み込まれて消えていった。


 以前、天界から地上へ放り投げられた時と言い、何らかの衝動に駆られた時のアースは危険だ。イナリはまた一つ賢くなった。




 場所は変わって、月明かりに照らされた街の路地裏。イナリはアースと共に木箱に隠れ、ひそひそと囁き合っていた。


「のう。これ、お主やアルトでも良くないかの?」


「そんなことはないわ。私はともかく、アルトなんて地上に来ただけで聖女辺りにバレかねないのよ?」


「……確かにそうじゃな」


 アルトが牢獄に現れた結果、アリシアがすかさず駆け付けてきたのは記憶に新しい。こんな何もないところにアルトが居た痕跡があったら、大騒ぎになること間違いなしである。


 話は変わるが、イナリの力の残滓はどうなっているのだろうか?常に成長促進しているから、イナリが歩いてきた場所全てに痕跡がべたべたと残っていたりするのだろうか。だとしたら、何だか間抜けでちょっと嫌なのだが。


 そんなことを考えるイナリの意識を、話を続けるアースが引き戻す。


「私がやってもいいけれど、貴方の不可視術の方が優れているのよ。呪いも記憶操作も無しに動作の結果だけ残るなんて、インチキもいいところなんだから」


「な、何じゃ、急に。そんなに褒めても何も出せぬぞ?」


「正直な感想を言ったまでよ。というわけでほら、これ持って」


 くねくね体を捻って照れるイナリを見て、アースも僅かに顔を赤らめながら神器を投げ渡した。イナリは慌てて両手でそれを受け止める。


「重……くないのじゃ。何じゃこれ、見た目のわりに軽いのう」


 時々扉を開けるのにも苦労するイナリですら片手で振れると言えば、その凄まじさが伝わるだろう。重厚感に満ちた見た目に反して軽すぎて、奇妙な感覚である。


「アルトの加護の効果ね。さっき殺傷力がどうのとか言っていたけど、少なくとも剣の切れ味は変わってないと思うわよ」


「ふむ。つまり、殺傷ではなく詐称というわけじゃな!」


「ふふ、貴方うまいこと言うわね」


 イナリの言葉にアースは感心したように声を上げた。姉妹ということもあって、ギャグセンスも同レベルである。


「アルトをあまり待たせても悪いし、ささっと終わらせましょうか。ええと、転移者の家は……あそこね」


 アースは長屋の表札を遠目に眺めてカイト宅を見つけると、小さな亜空間に腕を突っ込んでがさごそと弄り始める。


 そして間もなく、カチャリと施錠が解除される音が玄関から鳴る。内側から鍵を開けたのだろう。


「これで大丈夫よ。私はここで待っているから、ささっと行ってらっしゃい」


 アースに軽く背を叩かれたイナリは、意外なものを見る目をアースに向けた。


「……何よ」


「いやお主、扉に穴を空ける以外の方法も知っておるのじゃなあと思うて……」


「貴方、私のこと何だと思ってるの?」


「あいや、ちょっとした冗談じゃ!では行ってくるのじゃ!」


 アースの言葉に、イナリは不可視術を発動し、そそくさとカイトの家に向かった。




「邪魔するのじゃ」


 イナリは幾ばくかの背徳感を感じつつ、きしりと音を鳴らす玄関扉を押し開けて、カイト宅に侵入した。


「やってること、完全に盗人のそれじゃよな。いや、もはや刺客の類じゃろか」


 施錠された扉を突破し、神器を片手に他所の家に侵入する……誰かに見られたら間違いなくお縄になるだろう光景である。


 しかし実際に何かを盗むわけでもなし、より性能の良い神器と入れ替えてお暇するだけだ。何も悪いことはしていない。


 そんな風に開き直りつつ、暗い部屋を見回す。


 月明かりで辛うじて見えるくらいだが、見た限り、以前見たときから様相は変わっていない。部屋の隅にあるベッドでは、二人分の呼吸音に合わせて毛布が僅かに動いているのが見える。しっかり眠っているようだ。


「さて、神器はどこかのう……」


 大抵、この手の道具はどこかに立てかけてあるものと相場が決まっている。「虹色旅団」の男性陣は確かそういう管理方法だったし、リズも部屋に杖を立てていたはずだ。……殆どの場合、次に見た時には床に倒れていたが。


 その経験則に倣って、イナリは部屋の角や椅子、机の周りを確認して回った。ついでに、衣装棚や物置、何か色々入ってそうな上開き式の箱の中も頑張って覗き込んだ。蓋が勝手に閉まって頭が挟まれそうになり、二度と開けないと心に誓った。


「……見つからないのじゃ」


 イナリは呆然と呟いた。まさか、教会で管理しているなんてオチではないだろうか。だとしたら、一度アースのもとへ引き返した方が良いかもしれない。


 そんなことを考えつつ玄関へ向けてすり足で移動していたイナリだが、あることに気が付いて思いとどまる。


「まだ一か所、見ていない場所があったのう」


 イナリはそっとこの部屋の主が眠る場所に歩み寄り、そっと毛布をめくりあげた。


「……見に来ておいてなんじゃが、どうしてここなのじゃ?」


 何故か、カイトとイオリの間に神器が隔てられていた。


 その光景に、イナリは困惑と呆れと脱力が入り混じった複雑な感情を抱いた。


 傍から見るととても寝心地が悪そうだが、何故このような状況が生まれているのだろうか。例えば、神器が無いと不安で眠れないとか、間に神器を隔てないとイオリが近すぎて大変とかだろうか。……よくよく考えると、割とちゃんとした事情があるのかもしれない。


 ともあれ、そんなことは一旦置いておいて、さっさと務めを果たすとしよう。


「全く、無駄に手間取らせおって……」


 イナリはぼやきながらベッドに登って二人の間の枕元にしゃがみ、そっと神器の握りの部分を掴んで引き抜く。なるほど、イナリが持てない程ではないが、確かに先ほど用意した神器よりも重い。


 続けて、引き抜いた神器をそっと床に置き、新しい神器に差し替える。二つの神器の形状は全く同じなので、鞘に戻す上で支障はない。


 最後に神器の位置を調整し、少しめくりあげた毛布を元に戻す。そして入れ替えた神器を回収するのも忘れない。これにて任務完了だ。


「ふう、これで一件落ちゃ――」


「――や、やめろっ!」


「うひょあ!?」


 突然叫び声をあげて身を起こすイオリに、イナリも変な声を上げながら飛び跳ねた。驚きのあまり、心臓がバクバクしている。


「……夢か。よかった……」


「何じゃ夢か、驚かせおって……」


 二匹の狐は、各々胸をなでおろした。


 カイトもその声に目が覚めたようで、顔を上げてイオリの様子を心配する。


「……大丈夫?」


「すみません勇者様、悪夢を見ていたようで……」


「我もびっくりしたのじゃ」


 イナリは、自身の声が聞こえないのをいいことに無粋な茶々を入れた。しかし実際、入れ替え作業中にあんなことをされたら大事故もありえたので、ここは大目に見てほしい。


 イオリはしばらく息を整えた後、再び毛布に潜り込み、神器を押しのけてカイトに身を寄せ、眠り始めた。一体どういう夢を見ていたのかはわからないが、普段は強気な様子のイオリにも色々あるようである。


「……何か、見るべきでない物を見てしまったような気がするのう」


 イナリは一言ぼやきつつ、アースが待機する路地裏へ戻った。

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