第358話 お手紙
あの後、イオリと共に、五分に一回くらいの頻度でカイトの話が捻じ込まれる雑談に興じながら滞在した結果、いくつかの冒険者パーティから情報を得ることができた。
その多くがイオリの話を裏付けるようなものばかりだったので、やはり、あの連中の狙いはイナリの社周辺の土地で確定だ。
確かな進展に、イナリは満足感に満たされながらパーティハウスへ向けて歩いていた。小さな一歩だが、これを足がかりにイナリの逆襲が始まるのだ。
「さて、どうしたらうまく対処できるか……いや、待つのじゃ」
イナリはここで、ふとあることに気が付いた。
今イナリを中心に進行している魔の森修復計画(仮称)に基づけば、魔の森はこれから炎に包まれ、その後イナリの成長促進によって再び魔境化が進行することになっている。
これは何も知らない者からしたら、山火事と魔王の活動が同時に発生する大災害として映ることだろう。つまり、イナリが手を下すまでもなく、彼らは勝手に散り散りに逃げていくのではないだろうか?
「なんじゃ、何もする必要がないではないか!いやはや、こんなに単純な答えだったとはのう。これではただの取り越し苦労ではないか」
イナリは徒労感と安堵感が混ざった何とも言えない感情を覚えつつ、言葉を零した。何にせよ、楽に問題が解消するのは良いことに違いは無いのだ。今日はしっかり安眠するとしよう。
イナリは心なしか軽くなった足取りで街中を歩いて行った。
翌日、イナリがリズと、ついでにエリスと共に冒険者ギルドに赴くと、いつも使用していた机が壁に寄せられ、椅子も片付けられていた。
「どういう状態じゃ、これは?」
「昨日何かあったのかな?」
「んや、我が知る限りでは何もなかったがの……」
イナリ達が顔を見合わせて困惑していると、後方からアルベルトの声がかかる。
「お、来たな狐っ子。悪いが、一旦依頼は中止してくれ。これはギルド長としての指示だ」
「何じゃと?どういうことじゃ」
「先に、あっちの兎っ子には説明したんだがな」
食いかかる様に問い返したイナリを見て、アルベルトは酒場の隅に居るハイドラを指して前置く。
彼女は目に見えて意気消沈しており、隣に座るエリックに励まされているようである。もしや、ハイドラが用意したポーションに不備があったのだろうか?
「今朝、ギルドにこれが届いた」
「何じゃそれ?」
想像と違った展開に、イナリはまじまじと紙を見つめた。乱雑な字が紙いっぱいに書かれているのはわかるが、それ以上の事はわからない。
「脅迫状だ。要約すると、魔の森にポーションを撒くのをやめろ、止めなかったらどうなるか知らないぞ、って感じだな。とてもじゃないが、楽しい読み物ではないぞ」
「それはそうであろうな」
アルベルトが脅迫状を畳んで懐に戻す傍ら、エリスがイナリとリズを両腕で抱き寄せながら問う。
「差出人の特定はできているのですか?」
「ああ。ギルド前にバラまいただけのお粗末な手口だったから、その場で捕らえて衛兵に突き出してある」
「すごい豪快な手口だね」
アルベルトの言葉とリズの反応に、イナリは脅迫状が入った袋をギルド前で振り回す人間を想像した。
流石にここまで滑稽な絵面ではなかったと思うが、少し見てみたい気持ちもある。
「しかし、それならば問題は片付いたのでは?何故我らが中止せねばならぬのじゃ」
「単純に危険だからだ」
「危険?」
「ああ。流石に捕まえた奴以外にも仲間がいるだろうからな。そいつらを引き摺り出すまでは、この件は解決したとは言えない。何より、依頼の大本が狐っ子みたいなのだと知られたら、どうなると思う?」
「襲いますね。私ならそうします」
「エリス姉さん、一回落ち着いた方がいいかも」
イナリに捕食者のような目を向けるエリスを、リズが杖で小突いて制止した。
「しかし、ここにわざわざ乗り込む者が居るじゃろか」
「冒険者に扮して襲い掛かるケースも無いとは言えないし、街の中で問題が起きた例もあるだろう」
「……あったのう」
例えば、不味い飴を食べさせられたり、ギルド関係者に扮して攫おうとしたり。全て実体験である。
「今回の相手が何をしてくるかはわからんが、冒険者とて、冒すべきでないリスクなんぞいくらでもある。あと、俺が怒られてしまうからな」
「そちらが本音じゃな」
真顔で情けないことを口走るアルベルトに、イナリ達の冷ややかな視線が刺さる。
「とにかく、依頼を継続させたせいで、妙な事に巻き込まれてほしくないのがこのギルドの総意だ。申し訳ないが、俺が再開を指示するまでは凍結だ」
「むう、仕方あるまいな……」
イナリが両手を後ろに拗ねたような態度を取ると、アルベルトはさらに釘を差してくる。
「それと、特に狐っ子は一人で過ごすことがないように」
「その点は大丈夫です。常に私がイナリさんの傍に居ますので」
「ま、その辺はうまくやってくれ。必要ならギルドに預けたりしてくれてもいい。というわけで、よろしく頼む」
ギルド長はそう言い残し、事務室の方へ引き返していった。
依頼が中止となると特に用事も無くなってしまい、イナリ達は渋々パーティハウスへ帰宅した。
「参ったのう」
「大変なことになっちゃったねえ。特にハイドラちゃんの負担がすごそうだよ」
「あれじゃよな、ええと……すんぽうさ、みたいなやつじゃ」
「……あっ、スポンサー?」
「それじゃ」
「エリックさんが手伝うそうですが、後で話を聞いてみましょうか」
エリスの言葉にリズが頷く
それにしても、魔の森に火を放つ方で問題になると思っていたら、まさか依頼ごと頓挫することになるとは思っていなかった。
こうなると、いよいよイナリ一人ですべてを解決する路線を視野に入れるべきか。その具体的な方法はまだ殆ど考えていないのだが。
イナリは長椅子に寝そべり、机の上の菓子に手を伸ばした。そしてそれを口に運びつつ、ふと浮かんだ疑問を問う。
「そういえば、結局カイトはいつここを発つのじゃ?」
「ええと、明後日の昼頃になっていたはずです」
「なるほどの。イオリに見送りに来てほしいと言われておっての、問題ないじゃろか?」
「問題ないと思います。元々『虹色旅団』はそれなりに関わっていますし、イナリさんだけダメ、なんてことは無いでしょう」
確かに思えば、エリックやディルはカイトの監督者、リズは転移魔法の関係者、エリスは教会関係者といった具合で、何かと密接な関係がある。そこに神であるイナリが入れない訳が無いだろう。
あるいは、最悪アリシア辺りに頼むという手段もあるだろうか。隙を見せるとアルトの事を探ってきそうで怖いし、変な対価を要求されても困るので、できれば避けたいものである。
それにしても、色々と忙しくしていたこともあって、未だにアルトの方にカイトの件を相談せずにここまで来てしまった。最近、やるべきことが増えていて手が回りきっていないように感じる。
「我がもう二、三人くらい居れば、色々楽になるのじゃがのう……」
「ふふ、おかしな話ですね。イナリさんが増えたら私、一人貰っちゃうかもしれませんよ?」
「その時は、ちゃんと我を選ぶのじゃぞ」
「ふふ、当然そのつもりですよ」
イナリは身を起こし、エリスに寄りかかった。
「……あの、イナリさんと全く同じ存在が居た場合、それはイナリさんなんですかね?もし仮にイナリさん以外のイナリさんを選んだ場合、間違いだと気づくことはできるのでしょうか……?」
「……頭が痛くなりそうじゃ。この話はやめじゃ」
イナリとエリスが哲学的な恐怖と対峙していると、部屋に戻っていたリズがドタドタと足音を鳴らして居間に現れる。
「――ちょっと、リズの机になんか変な紙あったんだけど!?」
「む」
顔を青くしたリズが、「変な紙」を机に叩きつけるように置く。
「……随分良質な紙ですね。これも脅迫状ですか……?」
「んや、これは……アースからの招待状じゃな」
紙には、「日が暮れたときに召集」と書かれていた。言うまでもなく、アースが先日話していた件なのだろう。
アースかアルトかは知らないが、二神とも指輪を介して伝えることもできただろうに、律儀に手紙を用意したようである。
「エリスよ。悪いがお主、今日は一人で寝てくれたもれ」
イナリの言葉に、エリスは絶望した。
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