第357話 狐は見た
そして四日目。
イナリがリズと共にギルドに出向くと、何か悩んでいる様子のハイドラの姿があった。
「おはよ~。……ハイドラちゃん?どしたの?」
「あっ、おはよう二人とも。ちょっと、問題発生だよ……」
「問題とな」
ハイドラは、リズが近づいて声を掛けるまで、二人の存在に気が付いていなかったようだ。イナリがその言葉を反芻すると、彼女は苦虫を嚙み潰したような顔で続ける。
「魔の森でポーションを撒いたら、それを見てた人と揉めたって事例が四件くらい届いたんだって……。さっき、リーゼさんに教えてもらったの」
「む」
もしかすると、先日イナリがギルドを去った後に誰かが来ていたのかもしれない。
それが有力な情報を得る機会になったか、あるいは延々と苦情を聞かされるだけになっていたかは、蓋を開けてみないとわからないが。
「もしかして、森にヤバい薬品撒いてると思われちゃった?」
リズの言葉に、ハイドラは長い兎の耳をへにょりと曲げながら深く頷いた。
「このまま変な風評が立つと拙いかも。依頼の進行に支障が出るかもしれないし、そしたらスポンサーも打ち切られちゃう!」
「すぽんさ?」
「カトラス商会……以前アルテミアまで行くのを助けてくれた商会さんとか、魔の森の復旧を望んでいる人たちの事だよ。お金とか瓶とか、色々助けてもらってるの」
「そういうのって、そんなに簡単に打ち切られちゃうものなの?その人たち的には、魔の森のイミテ草が消えた方がうれしいわけじゃん?」
「それはそうなんだけどね。風評の損失と、魔の森が戻ることの利益のバランス次第かな……」
「よくわからんが、直ちに支障が出ないのなら、一旦放置でも良いのではなかろうか」
イナリは話の内容を雑に理解して大雑把に提案するが、ハイドラの表情は依然として芳しくない。
「私達にできることも無いし、そうするしかないね。もし後の計画に響きそうなら、すぐに相談するね」
「うむ」
ハイドラの言葉に、イナリは頷いた。
その後は、例によって三人で決まった時間にポーションを配布し、休憩と昼食をとり、聞き込みのためにギルドで待機する。
最初のハイドラとの会話以外でとりわけ言及することは特にない。日が進む度新鮮さが失われ、「作業」に勤しむ気分に移り替わっているのをひしひしと感じる。こういう意味でも、あまりこの計画が長期化するのは望ましくないだろう。
それにしても、内容こそ違うとはいえ、しばしば教会で働いているエリスや、ギルドに入り浸るディルやエリックはどのような気持ちで日々を過ごしているのだろう?
もしや、エリスがイナリに癒しを求める心理とはそこから来ているのだろうか。だとしたら、後の二人はどのように気を保っているのだろう?
「イオリよ、お主はどう思う」
「何の話だ……?」
イナリは、丁度いいところに目の前に現れた、自身に瓜二つの少女に声を掛けた。
「まあいいや、丁度よかったよ。イナリ、お前と少し話がしたかったんだ」
「ほう?」
イオリは近くから椅子を手繰り寄せると、背もたれを前に跨るように座った。
「昨日、森を見てきた。この前は私が殴り倒したせいで、碌な情報も出せなかっただろ?」
「む、別に気を遣う必要は無かったのじゃぞ?」
「いや、単に私がしたかったってだけだ。お前には色々と借りがあるし……その、友達みたいなもんだろ?」
イオリは僅かに赤面し、目を逸らしながらにもしょもしょと言葉を紡いだ。そして、イナリの返事を待たずして、本題へと移行する。
「とにかく!これを見てほしい」
「ほう、写真か」
「ああ、勇者様のシャシンキをお借りしたんだ」
イオリが得意げに十枚の写真を取り出し、机に並べる。写真機の扱いが不慣れなのか、四枚くらい、躍動感を感じる物も混ざっている。
「ここに写っているのは全部、今のお前の家の様子を見てきたものだ。これは荷物を運びこんでいるところだな」
「あっ、こやつ、見覚えがあるのじゃ!いよいよ尻尾を出したのう!」
イオリが指した一枚の写真には、以前川岸で出合った翁が、他の集団から少し離れた場所で偉そうに立っている様子が映っていた。
それを見たイナリは、怒りに震えた。勝手に社を好き放題するのは勿論のこと、己を差し置いて偉そうにするなど、到底許されることではない。
「これ、何を持ち込んでいるのじゃ?まさか変な魔道具ではあるまいな」
イナリは、洗脳用の魔道具を持ち込んだニエ村の事例を想起した。あの恐ろしさは言うまでもないし、その拠点にイナリの社が使われては、いわくつきの土地になってしまうだろう。
そんなイナリの懸念に対し、イオリは首を振る。
「これは多分、拠点を作る準備だ。私も何度かやったことがあるから、何となくわかる。あと数日もすれば、柵や小屋なんかも建つかもしれないな」
「ぐぬぬ、我の家を乗っ取る気満々ではないか……!」
そもそも、イナリの社の周辺は魔の森で唯一、魔物に侵されない安全圏だ。
さては、土地神云々はただの建前で、最初からここが狙いだったのではなかろうか?だとすれば、異教徒云々の前提からしておかしくなるわけで、エリスやアリシアとの見解に齟齬が生まれるのも頷ける。
あるいは、また別の可能性もあるのかもしれないが……それは今考えたところで仕方がないだろう。
「そうじゃ、我の畑はどうなっておるのじゃ!?」
「畑?あー……どうだろうな?ブラストブルーベリーの処理に困っているんだろうが、そのまま使われそうな気もする……わからないな」
「それならまだよいが。もし我の畑を潰したら絶対に許さんのじゃ!貴重な茶の木もあるのじゃぞ……!」
「できればイナリが本気を出すようなことがないことを願うよ。……お前も多分、アースみたいな芸当ができるんだろ?」
イオリは声を潜めて呟いた。
イオリはアースのように変身して敵を駆逐するようなものを想定して言っているのだろう。流石にそこまでの事はできないが、魔王扱いされている力を持っているという意味では、似たようなものかもしれない。
「で、こっちが、さっきの連中とお前の家に立ち寄った冒険者が揉めている様子だ」
「……む?これ、『疾風』の面々じゃな」
ほんのり見覚えがある程度の冒険者が映っている写真のうちの一枚に、エナやチャーリーが果敢に何かを訴えている様子が映っていた。悲しきかな、客観的に見るとチャーリーがいちゃもんを付けている側にしか見えない。
「知り合いがいるのか。何か言われなかったのか?」
「何も聞いておらんのじゃ。昨日の事じゃし、我が席を外した後に入れ違ったとみるべきかの」
「そうか、なら私が話すより、そっちから聞いた方がいいだろうな。この写真は好きに使ってくれ」
「うむ、感謝するのじゃ」
イナリは机の上に並べられた写真を懐にしまった。
「ところで話は変わるんだが……イナリ、『エーサン』って知ってるか?」
「えーさん?何じゃそれ」
イナリは怪訝な声を上げた。今日はよくわからない単語をたくさん聞く日のようだ。
「最近、勇者様がしばしば呟くんだ、『魔王を倒してまたエーサンと会わないといけない』と。どうにも、『チキュー』の事を知っているらしい」
「人なのじゃな」
「ああ、人だ。それも女だ!勇者様を誑かす脅威になるかもしれない……!」
「それは知らぬが」
相変わらず変なところで頓珍漢な事を口走り始めるイオリに、イナリはため息を零した。
「もし何か分かったら教えてくれ、頼む」
「よかろう」
イオリの懸念は正直どうでもいいのだが、神陣営とカイト以外で地球の事を知る存在があるのは確かに気がかりだ。近々神陣営で集まる機会もあるし、その時に相談することの一つとして覚えておくとしよう。
「それと、近いうちに私たちは魔王討伐に出発するだろ?折角だから、その時は見送りに来てくれ」
「もとよりそのつもりじゃが、お主も行くのじゃな」
「当然だ。私は常に勇者様の隣にある!!」
「そうか、楽しそうじゃな」
静かなギルドに響き渡るイオリの声に、イナリは端的に返した。
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