第356話 無表情なエルフ

 こうして、イナリの少し忙しい日々が始まった。




「――これを持っていくがよい。頑張るのじゃぞ!」


「ありがとうな。そっちも頑張れよ!」


「うむ」


 イナリが除草ポーションと治癒ポーション、それに食用キューブをまとめて差し出すと、冒険者の男は笑顔で受け取り、手を振りながら去っていく。


「次の者!」


 イナリの声に、目の前にエリスよりやや年下くらいの少女が立つ。例によって物を渡そうと顔を上げたところ、空のような薄い水色の髪の間から、尖った耳が覗かせていることに気が付く。


「……お主、えるふ、かの?」


 エルフは以前、常識として教わったことがある種族の一つだ。確か、長い耳が典型的な外見的特徴の一つで、寿命がやたらと長く、基本的には森で暮らす閉鎖的な種族なのだとか。


 余談だが、ハーフエルフなる概念もある。


 簡単に言うとエルフの血が混ざっている者の事らしいのだが、僅かに混ざっている程度でも定義上はハーフエルフに該当するようなので、外見では判別できないことが多いようだ。なので、先祖を辿って初めて自身がハーフエルフであることを知る、なんてこともしばしばあるらしい。何ともややこしいことだ。


 そんなわけで、気づいていないだけで、エルフとは何度も遭遇したことがあるはずだ。


 とはいえ、ここまで純粋なエルフを見るのは初めてだ。故に、物珍しさに思わず声を上げてしまった。


「エルフだけど。それがどうかしたの?」


「あいや、単純に珍しいと思うての。気を悪くせんでほしいのじゃ」


「別にいいよ。慣れてる」


 エルフの少女は相変わらず表情一つ変えずに答えた。感情が読み取りづらくて仕方ないが、少なくとも気分を害してはいないはずだ。


「それと、勘違いかもしれぬが……お主、前に会ったことあるよの?」


「あるよ。この前、うちのアホの激レア魔物探索に付き合わされた時」


「じゃよな?あの時は気が付かなかったのじゃ」


 イナリはぽんと手を叩いて納得した。彼女は、カイトに鳥居を見られた日の翌朝、魔物の肉を焼いていた少女であった。


 彼女の言葉には若干の辛辣さがにじみ出ているが、きっと「激レア魔物」の探索で色々あったのだろう。深入りはしないのが吉と見える。


「そろそろいいかな。後ろが詰まってる」


「そ、そうじゃの」


 イナリはいそいそと物品をまとめて差し出すと、彼女はそれを受け取り、僅かに微笑んだ。


「ありがとう、森を守る同志よ」


「む?うむ」


 一瞬とは言え表情が崩れたことに、イナリは驚きつつ頷いた。


 やはりエルフというだけあって、森に対する想いはそこらの人間とは一味違うようだ。もしかしたら、豊穣神のイナリとエルフは趣向的に相性がいいのかもしれない。


 イナリがそんなことを考えていると、一歩外に歩き出した彼女は足を止め、受け取った荷物から一つ、立方体状の物品を取り出した。


「ごめん。これは返してもいい?前に一口食べたけど、自然を冒涜する味がした」


「食用きゅーぶか。まあこれは……うむ、よかろう」


 イナリは食用キューブを受け取り、さりげなく保管箱へ戻した。


 ハイドラ曰く、以前から「改善」を重ねたらしいが、何が変わったのかは謎だ。少なくとも食欲を微塵もそそらない見た目は相変わらずだし、エルフが「自然を冒涜する味」と表するということは、まあ、そういうことなのだろう。


 イナリは改めてエルフの少女を見送り、次の冒険者を迎えた。




 そして午後には、イナリは一人で魔の森についての聞き込みだ。


 といっても、昨日に続いて、基本的には机の前でひたすら待っているだけだ。ギルドの受付からよく見える位置なので、変なトラブルに遭う心配も皆無である。


 そんなわけで、ギルドの食堂で腹を満たしたイナリは、ギルドの職員が気を利かせて持ってきた毛布と、小さな暖炉でぬくぬくとしていた。


 薪が燃える音が心地よく、イナリを眠りへと誘うのにそう時間はかからなかった。


「すやあ……」


「イナリ、こんなところで寝るのは無防備過ぎると思うわ」


「のじゃ!?ねねね、寝ておらんわ!」


 イナリが跳ね上がるように身を起こすと、机の上に座って呆れたように見下ろすアースと目が合った。


「……お主、何でここに居るのじゃ?」


「様子を確かめに来たのよ。貴方最近、私にも『アレ』にも全然連絡してないらしいじゃない」


 アレというのはアルトの事だろう。ここで口にするわけにはいかないのはわかるが、その呼称はむしろ如何わしさを加速させている気もする。


「いやな、そろそろ連絡しようと思っておったのじゃ。本当じゃぞ?色々忙しくて、時機を見ておったのじゃ。本当じゃぞ??」


「二回も言わなくても分かるわ」


「しかしお主、我の言葉を疑っておろう。今もこうして忙しくしておるのじゃ」


「その割には快眠していたようだけど?」


 悲しきかな、イナリが何と言おうと疑惑は深まる一方であった。


 射貫くような視線に耐えかねたイナリが事情を一から説明しようとしたが、アースが先に口を開く。


「まあいいわ。その辺の話は今度聞かせて頂戴」


「む、今でなくてよいのかや?」


「アレが三人で会って話したいって言って聞かないのよ。だから、その時に取っておいて頂戴。その方が手間も省けるでしょ?」


「確かにそうじゃな」


 現時点では、イナリがしていることについて現状以外に話せることはそう多くない。もう少し人間からの情報が集まってからの方が話すことも増えて良いだろう。故に、イナリは頷いた。


 それはそうと、アルトは以前、牢獄の中で「今度ゆっくり話しましょう」と言っていたが、あれは社交辞令などではなくて、本当にそのつもりだったらしい。


「あの様子だと、二、三日くらいで声がかかると思うわ。稲荷寿司とか、貴方が好きそうな物も持っていくから、楽しみにしておいて頂戴」


「うむ、感謝するのじゃ」


「それじゃ、伝えることも済んだから、軽くサニーに挨拶して帰るわね」


 アースが机から降りて、黒いドレスを軽く叩いた。


「我も最後にサニーに会ってからそれなりに経ったのう。折角じゃし、我も行くのじゃ」


「ここの事はいいの?」


「うむ。昨日の今日じゃし、どーせ誰も来ないのじゃ」


「悲しいわね……」


 同情するアースをよそにイナリも立ち上がり、職員に毛布を返してギルドを去った。


 そしてその後、二人はサニーと小一時間ほど雑談や飯事に興じた。アースの主な目的はサニーの体調の確認なのだろうが、イナリといいサニーといい、一度気に掛けることにしたらかなり手厚く面倒を見る性格がよく表れていると言えよう。


 また、幸いというべきか、アースを警戒しているアリシアが訪れることは無かった。アリシアの件についてはアースに軽く伝えておいたが、当人は面白がるのみで、特に何も懸念している様子は無かった。

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