第323話 長い旅の一区切り ※別視点あり

<イナリ視点>


 イナリ達はまっすぐにパーティハウスへと帰宅した。絶妙にこじんまりとした佇まいの木組みの家の前の小さな庭は、しばらく手入れがされていなかったせいか雑草が生え放題になっている。


「そう日が経ったわけでもないのに、ここを見て懐かしいと思う日がくるとはのう」


「ふふ、そう思えるだけの日々をイナリさんが過ごしたということです」


 イナリの呟きに笑いながら答えたエリスだが、しばし間を置いて我に返ったように呟く。


「自分で言っておいてなんですけど、イナリさんと会って一年も経っていないのに言うような台詞じゃない気がしますね」


「それだけ濃密な日々を送っているということにしておくのじゃ」


「なるほど、それはいいですね。……そうですか、私達が出会ってから、まだ一年も経ってないんですねえ」


「まだ季節が一巡してなさそうじゃからのう。……ちと肌寒くなってきたのじゃ。疾く家に入ろうぞ」


「あ、ちょっと待ってください」


 イナリが腕をさすりながらパーティハウスの玄関に立つと、エリスがそれを引き留める。


「何じゃ?」


「その、非常に申し訳ないのですが」


 何かもの言いたげなエリスの様子にイナリは訝しむが、すぐに指をぱすりと鳴らして声を上げる。


「あっ、さては宴の準備が終わっていないから入るなということじゃな?ふふん、その程度気にするほど、我の器は狭くないぞ?」


「いや、そうじゃなくて……先に裏に回って、体を洗いましょう」


 得意げな表情をしていたイナリは静かに硬直した。


「……実は、今のイナリさん、ちょっとカビの匂いがするんです。私はそういうイナリさんも、全然受け入れられるんですけど……」


「何の擁護にもなっておらんのじゃ。そういう事はもっと早く言ってくれたもれ……」


 イナリは羞恥のあまり目に涙を浮かべた。




 その後、体を洗い、清潔な衣服に着替えたイナリは、井戸の後片付けをすると言うエリスを残して、一足先にパーティハウスの中へ入る。そして賑やかな様子のリビングに顔を出すと、直後、イナリに向かって何かが突進してくる。


「イナリちゃーん!」


「ちょっとリズちゃん、危ないよ!」


 イナリめがけて突っ込んできた少女はリズであった。その後を追うように注意をしながらハイドラが歩いてくる。


「あ、危うく倒れそうになったのじゃ」


「へへ、ごめんごめん。嬉しくてつい。お勤めご苦労様です、イナリちゃん!」


「うむ」


 イナリは抱きついてくるリズを軽く手で押し返しつつ文句を零すと、リズは改まった様子でイナリを労った。「お勤め」と言うほど何かをした覚えは無いが、労いの言葉自体はありがたく受け取っておくことにした。


「ハイドラよ、お主も居たのじゃな。……ウィルディアは居らんのかや?」


「ええと、サニーちゃんの容態があまり良く無くて看病に行っててね……」


「ああ、なるほどの」


 ぺたりと長い耳を畳んで告げるハイドラにイナリは頷いて返した。


「まあ、先生はパーティとか苦手な人だからね。サニーちゃんも、先生と聖女様がついてるからきっと大丈夫!ささ、イナリちゃんは今日の主役だからさ、座って座って!」


 イナリはリズに促され、食器が並べられている食卓に座らされた。そこからキッチンに目をやれば、エリックやカイト、イオリが料理を盛り付けている様子が見える。彼らはイナリの視線に気が付くと、笑って手を振ってきた。


 イナリはそれに手を振って返すと、椅子にもたれ掛かって天井を見上げ、一息ついた。


「ふう、帰ってきた感じがするのう」


「本当にお疲れ様、イナリちゃん」


 ハイドラがイナリの背に手を置き、労うように摩る。


「ねえ、もしイナリちゃんがよければ、牢獄の話を聞かせてくれたりする?」


「うむ、よかろう。じゃがまずは我が攫われた直後の話からじゃな――」


 こうしてイナリが自身の出来事を話しているうちに皆が集まり、旅の終了と皆の無事を祝うための宴が始まった。


 その中で、少し意外なことがあった。


 実は、途中まで姿が見えなかったディルは、オリュザ料理屋の店主が作った料理を取りに行っていたのだそうだ。曰く、冒険者経由の噂でイナリの事を知り、その身を案じていたのだとか。


 イナリはオリュザ料理を頬張りながら、己を案じてくれた人間に思いを馳せた。




<教会サイド>


 日が沈みつつある時刻。


 メルモートにある教会の副神官長が自室で休んでいると、その部屋の戸が叩かれ、一人の少女、アリシアが現れる。


「失礼します、副神官長様」


「お待ちしておりました、聖女様。茶を淹れてありますので、そちらにお掛けください。……あの子の容態はいかがでしたかな?」


「幸い、順調に回復しています。ただ、魔力消費が激しい魔法の使用は今後慎重にと、ウィルディア様が仰っておりました。詳しくはこちらに」


 アリシアは小さなメモ書きを懐から取り出し、副神官長の前に差し出す。


「……なるほど、承知しました。こちらの内容は他の教会とも共有しておきましょう。本当に、聖地の者は罪深いことをなされた」


 副神官長はそう零しながらメモ書きの内容に目を通し、懐にしまった。


「ところで副神官長様。先日ご相談させて頂いた件の方は如何ですか?」


「ああ、それでしたらこちらに」


 アリシアの言葉に、副神官長はデスクの上の冊子を手に取って机の上に置いた。その冊子の表紙には「アルテミア地下研究所への侵入者に関する記録」という題目があり、その上に大きく「部外秘」の文字が付されている。


「……以前、機密資料を机の上に広げないよう、注意がありませんでしたか?」


「仰られたいことはよくわかります。ただ、この部屋の書類が増えすぎて、管理が行き届いていないのです。侵入者の検知機構も増やしたことですし、ご容赦頂けると……」


「そ、そうでしたか」


 以前、この部屋に侵入し重要資料に細工をされたという事件があり、この教会の情報管理に関して指導が入ったことがあった。アリシアはその話を小耳にはさんでいたために指摘したのだが、先ほどまでの威厳が嘘のように弱弱しく答える副神官長の様子に、逆に申し訳なさすら感じてしまった。


「ところで、どうしてその記録に興味をお持ちに?」


「邪神の正体に迫ってみたいと思ったのです。そうでなくとも、聖地で起こった事件の一部始終を知るべきでしょうから」


「なるほど、それは素晴らしいお心がけです。良い考えが浮かびましたら、是非私にもお話しください」


「はい、その時はよろしくお願いいたします」


 アリシアはそう言って副神官長の部屋を後にした。そして自室へと戻ってベッドに腰掛け、先ほど受け取った資料を眺める。


「襲撃者は三名の獣人、黒の女神が現れる前に確認されたのは……一名か。多分これ、イオリちゃんだよねえ……」


 この三人の獣人がサニーが言うところの「お狐さん」であることは間違いないとして、三人のうち二人、イナリとアースが研究所へ入ってからの動向が不明になっている。そして、イナリは神、イオリは普通の獣人であることがわかっている。


 そうなると、直感的にアースも神なのだろうという考えに至る。


 あくまで推測の域でしかないが、以前彼女が教会に現れた際の事を思い出せばある程度納得できる。他の神官が誰一人としてアースが来訪したことを知らない。エリスなどに聞いても「よく知らない」としか返って来ない。何にせよ、何か秘密を抱えているのは間違いないのである。


「うーん、今度イナリちゃんに聞いてみるかなー……教えてくれるかなあ?」


 アリシアの中でのイナリに対する印象は定まっていない。頑として口を開かない様子が想像できるが、逆にあっさり教えてくれる可能性もある。


「またお菓子でも用意してもらおうかな?」


 聖女は、アルテミアの事件を受けて僅かに社会的地位が落ちた。その影響で、今までほど己の行動にあれこれ言われるようなことが無くなったのは、不幸中の幸いと言うべきか。


 今回も、お菓子を取り寄せるよう世話人に頼む必要はあるだろうが、イナリに会うこと自体はそう難しくないだろう。それこそ、釈放後の様子を見に行くとか言えばいいのだ。


 ただ、お菓子で釣るという行為に僅かに抵抗を感じていた。イナリの外見が外見なだけに、幼気な子供を騙しているような感じがするのだ。


「イナリちゃん、ちょっと騙されやすそうだからなー」


 アリシアは独り言を呟き、一つの可能性に至る。


 もし黒の女神の正体がアースだったとして、彼女の狙いがアルト神ではなくイナリだったら?


 それならば、イナリと行動を共にした理由も、イナリに呪いをかけた動機も説明できそうだ。黒の女神がアルト神に取り入ろうとしているという説より、余程筋が通りそうなものである。


「……どうしよう……」


 ふと浮かんだ恐ろしい可能性にアリシアは頭を抱え、そのままベッドに横になった。


「……とりあえず、エリスに相談しよ」


 未来が霧に包まれているような不安を感じつつ、アリシアは一番の親友の顔を頭に浮かべて目を閉じた。

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