第322話 外の空気

 その後、誤解を解くのに時間を掛けた結果、イナリはまともにエリスと話せないままに牢獄へ帰されることになった。


 だが、数日にわたる事情聴取や調査を経て、正式にイナリの釈放が決定した。その調査というのも、複数の人間に同じような質問をされてはそれに返すだけであったので、特に言及することも無かった。


 そして、例の事件からおよそ一週間後、いよいよ釈放の日を迎える。


 牢獄から出されたイナリは、捕まる前に所持していた物品を全て持たされ、もはや顔なじみとなった看守により要塞の外へと連れて行かれた。


「全く、とんだ災難だったのじゃ」


 道中でイナリが零せば、看守が立ち止まって向き直る。


「……最初のころ、冷たい態度を取ってすまなかったな」


「うむ、許してやるのじゃ。それに、真に恨むべきは、有無を言わさず我をここに送り込んだあの連中じゃからのう……」


 イナリは脳裏に傭兵の連中の顔を思い浮かべながら、赤い瞳を妖しく光らせて呟いた。今なら呪い、祟り、天罰、どれでも行けそうな気分である。


 そんな不穏な事を考えるイナリの心境は悟られることなく、そのまま要塞の出口へとたどり着いた。兵士をはじめとした人々が行き交う様子ですら、もはや懐かしく思えてくる。


「さて、俺はここまでだ。外に迎えの者が来ることになっているはずだが……」


「あそこにおるのじゃ」


 イナリが指した方向には、満面の笑みと共に手を振りながら駆け寄ってくるエリスの姿があった。


「……来たみたいだな。では、俺はこれで失礼する。もう二度と会うことが無いことを願っているよ」


「うむ、世話になったのじゃ」


 イナリはこの場を立ち去る看守を見届けた後、エリスの方に向き直……ろうとしたところで彼女の腕に包まれた。


「イナリさん!やっと会えましたね!」


「もごご……昨日ぶりじゃな」


「……ええと、そうでしたね。先日はお見苦しいところをお見せしました」


「うむ……」


 半分くらいエリスが混乱している場面で構成されていたので、実際見苦しかったのは事実である。イナリの返事を聞いたエリスは静かに赤面しながら、誤魔化すように声を上げる。


「とりあえず、ここを出ましょうか」


「そうじゃな」


 エリスはイナリの手を引いて要塞の門を潜り抜けた。


 すると石壁に遮られていた日の光が差し込み、やや冷えた風がイナリの頬を撫でる。この世界の季節事情は知らないが、恐らくは秋か冬に当たる時期であろう。


「ああ、外じゃ。素晴らしいのう……」


 イナリは顔を上げ、全身で日光を堪能した。


 それはそうと、これは推定数か月ぶりに浴びる日の光である。そも、豊穣神をあのような薄暗い場所に閉じ込めるなど、とんだ不敬もいいところだ。これを耐え忍んだイナリの懐の広さに、メルモートの全住民が平伏するべきではないだろうか?


 イナリが暴論に近い考えを抱いていると、エリスが慌てた様子でイナリの肩を叩き、囁きかけてくる。


「イナリさん、尻尾!尻尾増えてます!!」


 エリスの言葉に我に返って自身の尻尾の様子を見れば、確かに尻尾の数が二本増えていた。


「すまぬ、無意識にやってしまったようじゃ。危なかったのう……」


 どうやら、解放感を得た勢いで成長促進度も解放してしまったらしい。うっかり九尾になったりしようものなら、この街は一瞬で崩壊していた事だろう。


 イナリはそっと成長段階を最低に戻し、尻尾の本数を一本に戻ったことを確認した。


「周囲の影響は大丈夫そうですが……イナリさん、油断すると勝手に尻尾が増えちゃうんですか?」


「まさか。今回の件が特殊なだけで、普段から尻尾を出すような我ではないのじゃ。抑圧から解放された時には反動がある、そうであろ?そういうものじゃ」


「ええと……なるほど?」


 エリスはイナリの尻尾を一瞥しつつ釈然としない様子で返した。イナリとしてもやや無理がある言い訳だと感じたので、少しばかり言葉を足しておくことにした。


「……じゃが、我の油断が招いた事故であることは事実。今日はゆっくり休みたいところじゃ」


 イナリは呟きつつ、パーティハウスへ向けて街道を歩き始めた。


 相変わらず人が行き交っているが、アルテミアへ向かう前よりも二、三割増しくらいの人口密度になっているような気がする。これは果たしてアルテミアから流れてきた者がいるせいか、それともイナリの感覚が麻痺しているせいか、あるいはその両方かもしれない。


「ところで、迎えはお主だけかや。他の皆は何をしておるのかの?」


「パーティハウスでイナリさんを迎える準備をしていますよ。ついでに、改めて旅が無事に終わったことのお祝いも兼ねています。イナリさんが気に入る料理もあるはずですよ」


「本当かや?それは楽しみじゃ」


 イナリはまだ見ぬ御馳走に思いを馳せて頬を緩めた。


「ちなみに、カイトさんとイオリさんも居ますよ」


「ああ、何やら大変だったという二人じゃな」


 イナリはおもむろに頷いた。彼らに関しては、エリスから神託経由で軽く話を聞いていたのである。


 それは、カイトが持っていた写真機が商人の目に留まって一悶着あったことに始まり、カイトが詐欺に遭いかけたとか、冒険者ランクを上げる時、イオリを好ましく思わない輩にいちゃもんをつけられて揉めたとか、イナリの無罪を証明する過程でイオリの過去の経歴が滅茶苦茶なことが問題視されたとか……端的に言えば、常に何かと揉めているという印象である。


「我も半分くらいしか理解しておらんかったが、大体解決したのであろ?」


「はい、何とか……」


「そうか。そちらもそちらで、中々苦労したようじゃな。あやつら、今後はどうするつもりなのじゃろか」


「小さめのパーティハウスが契約できたと聞いたので、将来的には独立するのかと」


「ふむ。あやつ、魔王を倒す使命は忘れておらんであろうな?」


「どうでしょう。何だかんだで冒険者生活をエンジョイしていそうなので、もしかしたら忘れている可能性もあるかもしれませんね……」


「えんじょい?というのはわからぬが。あやつの行動がわからないと、我が困るんじゃよなあ……」


 カイトの動向自体は以前から懸念していた事ではあるが、彼も教会の管理から外れてからそれなりの時間が経ったので、ある程度意志は固まったはずである。


 故に、勇者として魔王を倒すつもりがあるのかどうかは改めて確認するべきだろう。悩ましいのは、彼の意志がどう転んでもイナリの頭を悩ませることになるのが確実な点か。


 イナリが唸っていると、頭の上にエリスの手が置かれる。


「難しいことは落ち着いてから考えましょう?その方がいい案が浮かんでくるというものです」


「しかしのう。今まで閉じ込められていた分、やるべきことが山積みなのじゃ。今の件もそうじゃし、一度我の家の様子も確認しに行かねばならぬし……」


「気持ちは分かりますが、今イナリさんが一番すべきことは休むことですよ。イナリさん、ついさっき『休みたい』と言ったばかりでしょう?というか、私がイナリさん成分を補給したいので休んでください」


「本音が駄々洩れじゃが……まあ、そうじゃな」


 イナリは苦笑しつつ返し、また話題を切り替えることにした。


「今日、サニーとは会えるのかの?」


「それなのですが……つい先日、魔法の練習をして体調を崩してしまったみたいでして」


「む、それは……大丈夫なのかや?」


「ウィルディアさん曰く魔力欠乏症に似た症状だそうですので、恐らくは大丈夫でしょう。ただ、今日のところは残念ながら、ですね」


「そうか。明日にでも見舞いに行ってやるとするかの」


「それが良いと思います。きっと喜んでくれますよ」


 イナリの言葉にエリスは微笑みながら頷いた。

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