第321話 我の知ってる神と違う
イナリは困惑しつつ考える。
アリシアの推理自体はいいとして、仮にそれが正しいと確信させてしまうと、教会に帰った彼女は、誤った真相を広めることになるだろう。
その辺の兵士や神官程度ならまだしも、一聖女の発言ともなればそれなりの影響力があることは間違いない。ともすれば、イナリとアースは晴れて魔王と邪神の厄災姉妹として名を馳せることになる。
言うまでもなく、そんなのお断りである。イナリが望むのは神としての名声であって、魔王だなんだと畏れられるのは望むところではない。
だが少し冷静になって考えてみれば、イナリが勝手にアースと結びつけただけで、「黒の女神」の正体が、イナリが知らない新たな神の可能性も残されていることに思い至った。
「……確認じゃが、黒の女神とは何じゃ?」
「あれ、イナリちゃん、アルテミアに居たときに見てなかったの?黒の女神っていうのは、アルテミアが滅ぶ数日前にアルテミアに現れた女神のことだよ」
「ああいや、それらしいのは見ておったのじゃが、それのことか定かでなくての」
「ああ、それなら丁度いいのがあるよ。ほら、これ」
アリシアは懐から一枚の巻物を取り出し、イナリに広げて見せてきた。
そこには、背に無数の翼があり、頭には天を切り裂く穂を思わせるような巨大な角が一対生えている、妖艶な姿の女性が描かれていた。よく見ると腕の数もやたらと多いし、そこから光線のようなものを放っているようにも見える。
言うなれば、子供が考えた最強生物を画家が全力を出して描いたような絵であった。
「誰じゃコレ……」
アルテミアの地下研究所で見た化け物とはまた違った方向性の化け物の絵を見て、イナリは絶句した。無駄に画力が高いせいで、絶妙にぞわぞわとした感情を喚起させられる。
「それが黒の女神だよ。アルト神からの神託が下った直後とか、その数日後の深夜に現れたんだって。この絵は深夜に現れた方のものかな」
「なる、ほど、のう……?」
アリシアの話を踏まえると、この絵の元となった
イナリは縛られた両手を使ってアリシアが持っている姿絵をしまうよう促し、話を進める。
「アリシアよ。その黒の女神について、教会はどう思っておるのじゃ?」
「邪神だと思っている人と、アルト神の友人だと思っている人で半々くらい。あとは天罰を代行するアルト神からの遣いだって言う人も少し居るね」
「ほう、総意が固まっておらんのじゃな」
「うん。元々神託論とかもそんな感じで、定期的に集まって『これ!』って言うのを決めてたんだ。でも、それをしてた総本山が無くなっちゃったこともあって、それはもうぐちゃぐちゃだね。聞こえよく言うなら……転換期って感じ?」
「ふむ」
「でも、今回の一件で黒の女神が尻尾を出したとしたら、事態は一気に進展するはず。……あ、尻尾って、イナリちゃんのじゃなくてね」
「そんなことはわかっておるのじゃ」
阿呆なことを口走っている聖女は置いておいて、イナリは考える。
察するに、今の教会はアルテミアが消えたことによる再編成の最中といった具合か。となると、そのうち複数の宗派が生まれたりするのかもしれない。現に、約一名「イナリ派」を名乗る銀髪回復術師の例があるし、無いとは言い切れないはずだ。
「そういえば、神託では黒の女神がアルトの友のようにも聞こえたがの?その辺はどうなのじゃ」
「いや、そうとは言い切れないよ。今まではアルト神が唯一の神だったのに、突然ぽっと出の女神が現れるなんておかしいから。きっと黒の女神は何か裏で企んでいて、アルト神に取り入っているのかも」
「そうか。ま、お主の好きなように解釈したらよいと思うのじゃ」
相変わらずアルト神が関わると厄介な聖女である。それに、仮に黒の女神がアルトに取り入っているとするならば、魔法陣で邪神を召喚する際にアルト神がそれを阻害しようとしたという話も破綻しそうなものだ。
尤も、それを指摘する理由がないどころか、変に深入りすると火傷しそうなので、イナリは大人しく引いておくことにした。放っておいてもそのうち気が付くことだろう。
それはそうと、この様子では、普段のアースが黒の女神と結びつくような事態はそうそう起こりえないように思われる。ならば変に誤魔化したりする必要も無いだろうし、ここは一つ、実在しない邪神の尻尾を追いかけてもらうとしよう。
「それにしてもお主、随分駆けつけてくるのが早かったのう」
「当然だよ。アルト神の強大な力を感じたら、行かないなんて選択肢はないんだから。最初は思わず、数百年ぶりに地上に降臨なされたのかと思っちゃったくらいだし」
「そ、そうか」
しれっと正解を言い当てるアリシアに、思わずイナリは言い淀んだ。
「し、しかし、それを抜きにしても早すぎると思うがの?」
「ふふふ、丁度用事があったからね。何を隠そう、実はイナリちゃんの釈放審判の立会人をしてたんだ。つまり、イナリちゃんの釈放はそう遠くないはずだよ」
「ほ、本当かや……!?」
釈放審判については少しだけエリスから聞かされていた言葉で、簡単に言うと釈放して問題ないか精査する時間らしい。それが行われるのは、釈放が決まるまでの過程の中でも最終段階なのだそうだ。
これを聞いたイナリは目に涙を浮かべた。エリスから「もうすぐだ」という話は神託越しで何度も聞かされていたが、それがいよいよ現実になると実感すると、改めて思うところがあった。漸く、苔を愛でる以外にすることが無い冷たい石でできた部屋から脱出し、皆と過ごす日々に戻ることができるのだ。
その様子を見て、アリシアがそっとイナリを抱擁し、頭を撫でる。
「逃げることもできたのに、よく頑張ったね。偉いよ、イナリちゃんは」
「わ、我は神じゃぞ。そんな子供のように扱うでないのじゃ!」
イナリは文句を零しながらもぞもぞと動いて抵抗したが、やがて大人しくアリシアに撫でられることにした。
その状態のまま、イナリは静かに尋ねる。
「……我、神じゃぞ?お主、我を何とも思わんのかや?」
「もちろん、今も思うところはあるよ。最初は、この部屋でイナリちゃんがアルト神と繋がりが無いか尋問する気満々だったし」
「ヒェ……」
しれっととんでもないことを告白するアリシアに、イナリは先ほどまでとは違う種類の涙を流した。何かを間違えていたら、邪神云々どころでは済まされない、とんでもない展開になっていたらしい。
「でも話してるうちにね、やっぱりイナリちゃんはイナリちゃんだなって思っちゃった。エリスが大切に思う気持ちも、ちょっとわかったかも」
アリシアが微笑しながらそう呟いた直後、部屋の扉が開く。
「失礼します、聖女様。釈放審判の立会人の署名を頂きに参りました」
噂をすれば何とやら、声の主はエリスであった。しかし、イナリの姿がアリシアに隠れてしまっているせいで、エリスはイナリの存在に気がついていない様子である。
エリスは音がならないように扉を閉めると、イナリ達がいる方へ歩み寄る。
「あれ?お一人でしたか。アリシアさん、先ほどは突然部屋から出ていくので驚きましたよ。何やら騒ぎがあったとのことですが、一体、なに、が……」
エリスは、アリシアの腕の中で涙を流しているイナリの姿を認めると言葉を止め、手に持っていた紙をぱさりと落として硬直した。
イナリはそれを気に留めず、アリシアの腕の中で微笑みかける。
「エリスよ、久方ぶりじゃのう」
そして、その言葉を受けて正気に戻ったエリスがアリシアに迫る。
「なななななななんでイナリさんがここに?どうしてそこに?いつの間にそんな仲になったのですか?イナリさん、私は?アリシアさん?どういうことですか??」
「落ち着いて、エリス。多分エリスが思ってるようなやつじゃないから、落ち着いて」
こうして、ここに一つの修羅場が生まれた。
その後のやりとりは割愛するが、この誤解が解けるまでにはそれなりの時間を要したとだけ言っておこう。
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