第320話 聖女探偵

「アルト神のお力ですか」


 看守が確認するように反復すると、アリシアは頷いて返す。


「はい。何かご存じですか?」


「そうですね……心当たりと言いますと、そこにある魔法陣でしょうか」


「魔法陣ですか?」


 アリシアは彼が示した方向にある魔法陣と、その隣に倒れている胸に穴が空いた男を見て声を上げる。


「ひ、人が倒れています!早く治療しないと!」


「聖女様、残念ですが既に手遅れです。彼は邪神を召喚した対価として、あのようになってしまったのです」


「邪神、ですか?」


「そうです。事の経緯を説明しましょう――」


 看守はアリシアに対し、イナリが魔法陣に召喚された部分から今までの経緯を大まかに話した。尤も、あくまで彼から見た経緯であって、真相とはかけ離れているが。


「――というわけです」


「そうでしたか、ご丁寧に教えて頂きありがとうございます。……我らが主神が生んだ世界を私情で滅ぼそうとは、嘆かわしいことですね」


 事の次第を知ったアリシアは、どこか冷めたような声で告げながら魔法陣の傍にしゃがみ込んだ。先ほどとは打って変わって、魔術師があのようになったのは当然の報いとしか思っていなさそうな様子だ。


「……不思議ですね。魔法陣を用いた聖魔法は発動できないはずなのですが、ここから我が主神の力を感じます。ただ、看守様のお話ですと、ここに現れたのは邪神だったのですよね?」


「はい。……五八七二が言うにはですが」


「五八……ええと、この子のことですよね。うーん……」


 アリシアは唸りながらイナリの方を見る。


「看守様、この子を少し預からせて頂けませんか?精神的にショックを受けているかもしれませんので、少し様子を見てさしあげたいのです」


「畏まりました。すぐに兵士を手配しますので、談話室をご利用ください」


「いえ、看守様はお忙しいでしょうし、私には元々護衛がついていますから、お気になさらずとも構いません。お気遣いありがとうございます。では、行きましょう」


「我、別に何の心配も不要なのじゃが?」


 手を差し伸べてくるアリシアに、イナリは訝しみつつ返した。


「それなら、私の相談相手になって頂けませんか?少し考えを纏めたいのですが、私一人では寂しいのです」


「ふむ」


 なるほど、イナリの心配というのは建前で、イナリと二人で話したいというのが真意なのだろう。前のように美味な菓子にありつけるかもしれないし、その対価として相談に乗ってやるくらいならば吝かではない。


 イナリはそんな思惑を巡らせつつ、アリシアに頷いて返した。




 こうして二人は監獄から移動することになった。当然イナリの手は縛られることになったし、道中護衛に挟まって移動することになったせいで非常に肩身が狭かった。


「あのさ、イナリちゃん」


「何じゃ」


 二人が談話室に入るなり、取り繕った口調をやめたアリシアが口を開く。


「この前、私はイナリちゃんの事をイナリちゃんとして認識するって言ったの、覚えてるかな?」


「むー……ああ、我がお主に謝った時のことかや。正直、何言ってるかようわからんかったし、覚えようとすらしておらんかったのじゃ」


「おおっと、中々手厳しいね……」


 アリシアは苦笑するが、「葛藤が解消したと思ってくれればいい」と言ったのは彼女の方だし、それ以外の部分を記憶すらしていなかったイナリは悪くないはずだ。


 そう開き直りつつ、イナリは近くにあった椅子にもたれかかる。本当は座りたかったが、アリシアが椅子を引いてくれない事には座ることすらままならない。何とも不便なことだ。


「で、それがどうしたのじゃ」


「うん、それなんだけど……ちょっと、そういう訳にもいかなくなっちゃったなって」


「ふむ?どういう事じゃ」


「イナリちゃんは、神なんだよね」


「然り。一応言っておくが、邪神の正体は我ではないからの!」


 イナリは縛られた両手を上げてびしりと指さしながら告げた。


「まあ、イナリちゃんは逃げようと思えば逃げられるんだもんね、それは分かってるから大丈夫。そうじゃなくて、いくつか聞きたいことがあるんだ。さっきの魔法陣のこととかね」


「ああ、その件かや」


 なるほど、その話をするうえでイナリが神であるという事実を避けては通れないらしい。アリシアの世界観は既にボロボロだろうが、うまく対処してくれることを祈るばかりだ。


「まず確認なんだけど……イナリちゃん、邪神のことは見た?」


「……見たのじゃ。じゃが、我から言えるのはそれまでじゃ」


「呪いのせいだよね。イナリちゃんでもそんな風になるなんて……」


 イナリは、都合の悪い指摘を全て架空の邪神に押し付けた。それを受けて憐みの視線を向けてくるアリシアに、僅かに気まずさを感じた。


「じゃあ仕方ないから、私が推理するよ。できれば当たって欲しくない予想なんだけどね……」


「ふむ?」


 アリシアは不穏な前置きを告げると、おもむろにイナリを抱き上げる。


「わわっ、何をするのじゃ、放すのじゃ!」


「あっ、ごめんね。もう一回イナリちゃんの力を感じてみたくてさ。……それはそうと、ちゃんと看守さんからご飯は貰えてる?すごい軽くて心配だよ……」


「大丈夫じゃ、我の体質じゃからの。……それより、我を降ろし、この暴挙に至った理由を説明するのじゃ。事と次第によってはただじゃおかないのじゃ。具体的にはエリスに相談するのじゃ」


「ちょっと待って、それはダメだよ。本当にダメだよ……」


 アリシアは慌ててイナリを解放し、顔を青ざめさせながら告げた。


「くふふ、冗談じゃ。して、一体どういうつもりじゃ?」


「ええと、確認したいことがあったんだ。アルト神が持ってる力って、イナリちゃんが持ってる力と大体同じだったりするのかな?」


「なるほど、それを確かめるための行動だったわけじゃな。うーむ……」


 イナリは唸りながら考える。


 これは要するに、神の力と呼ばれるものが、イナリのものであろうとアルトのものであろうと同質かという問いだろう。これに本音で答えるならば「知らない、そんな事考えたことが無い、どうでもいい」といったところである。


 しかし、アルトやアースと関わる機会も増えてきた以上、一考の余地はあるかもしれない。


「お主はどう思う?我に触れて、何を感じたかの?」


「前と同じで、うっすらアルト神に似た力を感じたよ。今回はちゃんと意識して確認したから、気のせいじゃないと思う」


「ふむ」


 アリシアの言葉を聞きつつ、イナリは神器について考えていた。


 神器とは、神の力が染みついたもの。そして、アルト製の神器はアルトの信者が神器と認識でき、イナリの神器はイナリの信者……つまりエリスだけが認識できる。細かい理屈はさておき、そういう特性がある以上、やはり神の力は神によって若干違うということになる。


「まあ、僅かな違いはあるのではないか?」


「そっか。一応、判別は出来るんだね?」


「我にはできぬが、お主ができるならできるのではないかの」


 半ば投げやりなイナリの返事に、アリシアは何か希望を見出したようである。


「で、これが何になるのじゃ。お主の予想には反していると思うがの」


「実は魔法陣があった場所の周辺にはね、三種類の神の力の残滓があったんだ。一つはアルト神のもの。これが殆どだったけど、それ以外に少しだけイナリちゃんの力の残滓と、それ以外の何かの力の残滓があったんだ」


「……それが邪神であると?」


「うん。恐らく、邪神の召喚を阻止しようとアルト神が抵抗したことで、アルト神の力が強く感じられたんだと思う。それに、邪神の正体も見当がついてるんだ」


「ほ、ほう?」


 何故か架空の存在が実態を帯び始めていることに対し、イナリは困惑の声を上げた。何だか、話が良くない方向に膨らんでいる気がしてならない。


 イナリは恐る恐る続きを促す。


「して、邪神の正体とは?」


「アルテミアが滅んだ直前に現れた、黒の女神だよ」


「……」


 ドヤ顔聖女の推理曰く、邪神の正体はアースだそうである。


 これに対し、イナリはただぽかんと口を開けることしかできなかった。

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