第319話 言い逃れ
イナリが魔術師の胸に空いた穴を眺めて感心していると、先ほどこの場を去った看守が二名の兵士を伴って戻ってきた。先ほどの足音の正体は彼らであろう。
「おお、戻ってきてくれたのじゃな!不愛想な奴じゃと思ったが、見直したのじゃ」
イナリは安堵の息をこぼしつつ声を掛けた。
魔術師が死亡した今、看守たちが戻って来なくてもイナリに身の危険は無かっただろうけれども、この状態で放置されても途方に暮れることになるのは目に見えている。
それに、この看守は先ほど「大人の事情」によりイナリを助けようとしてくれた様子であったから、滞りなく合法的に外に出ることができるはずである。
「さあ、我を連れ出すのじゃ」
イナリが、アルトが壊した鉄柵の間を潜り抜けて看守の元へと歩み寄ると、彼は腰に提げていた剣に手を掛ける。
「止まれ」
「む?」
「五八七二。一体ここで何をした」
「……さてはお主、我がこれをしたと思っておるのじゃな?」
イナリがぱすりと指を鳴らし、魔術師の亡骸の方を指さして問えば、看守はそれに頷く。
「逆に、お前以外に誰が居ると?」
「まあ落ち着くのじゃ。お主が疑うのも無理はないがの、これには深い訳があるのじゃ……」
アルトが召喚された場面を見ていない彼らからすると、この惨状はイナリが生み出したものに他ならず、疑われるのは避けようがないことである。
イナリが外に出るためには、アルトの関与をうまいこと伏せつつこの状況を説明せねばならない。
「……あそこの魔法陣があるじゃろ?あれがな、暴走したのじゃ。それで魔術師の胸に穴が空いたのじゃ」
「嘘だな」
数秒の間に捻り出したイナリの嘘は、看守に容赦なく切り捨てられた。しかしイナリも食い下がる。
「な、何故そう断じるのじゃ」
「魔法陣がどう暴走しても、術者の胸と鉄格子一本だけが消失するなんてことは起こらない」
「むう……」
いつだかのリズやウィルディアによる魔術談義を聞いておけば、もう少しマシな嘘がつけたかもしれない。そう思ったところで後の祭りでしかないが。
イナリが唸っていると、看守の隣にいる兵士が声を上げる。
「容疑者に聞いたって否定するのはわかりきったことだろう。その子供に聞くより、周りの奴に聞いた方が早いんじゃないか?」
「そうだな。……誰か、説明できる奴は?」
看守が周囲に向けて声を掛けると、少し間を置いて一人の囚人が声を上げる。
「減刑が条件だ。それなら話してやってもいい」
「論外だ」
「そう思うなら交渉は不成立だ。とっととそこの怪物を牢屋にしまいな」
「……怪物?」
囚人の言葉に、看守はイナリを一瞥する。
「そうさ、そこにいるお前らのお気に入りのガキの正体は、獣人の形をした怪物さ。詳しい話が聞きたいって言うなら……わかるだろ?釈放を要求しないだけ良心的なはずだぜ?」
「黙って聞いておれば酷い言い草じゃのう。我を怪物などと評するとは――」
「話してくれ」
看守はイナリの言葉を遮って囚人に発言を促した。
「そうこなくちゃな。俺以外に話す度胸がありそうなやつも居なさそうだから、よく聞いておけ」
「我を無下にしおって、お主らには天罰が下るのじゃ!」
イナリがぷんすこと怒りながら恨み言を呟いても誰一人として反応する者は居らず、囚人は意気揚々と話し始める。
「お前が居なくなった後、あの魔術師が魔法陣に細工をして、もう一度発動したんだ。そしたら今度は得体の知れない子供が出て来て……それで……あ、頭が、痛え……ぐっ……」
「どうした、大丈夫か?」
意気揚々と喋っていた囚人だったが、突如言葉が止め、苦しそうに頭を抱え始める。これを見た看守らは訝しみつつ声を掛けるも、十数秒ほどで囚人の頭痛が収まったのか、様子が元に戻った。
「ああクソ、何なんだ」
囚人は悪態をつきながら顔を上げ、イナリ達の方に目を向ける。
「……あ?な、なんだお前!こっちに来るな、俺を見るなあぁ!」
「おい、落ち着け!」
「化け物だ!化け物が来る!」
兵士がどうにか宥めようとしているが、囚人は既に錯乱状態に陥ってしまっているようだ。
「五八七二、一体何をした!」
「いや、我は何もしておらぬが……」
焦りと怒りが入り混じったような看守の言葉に対して、イナリはふるふると首を振って返した。天罰が落ちるとは言ったが、これはイナリの与り知らぬところである。
ただ、囚人の身に何が起こったのかは薄々勘づいていた。恐らく、これがアルトが言っていた、目撃者が余計な事をした時の始末の一環なのではないだろうか。
だとすれば、アルトのことだからもっと物騒な手段でも使うのかと思っていただけに、命を奪わないだけ良心的なように見える。
イナリがそう思っていたところで、囚人が声にならない声を上げながら壁に頭を打ち付け始めた。もはや看守や兵士の声も届いておらず、完全に意思疎通は不可能になってしまったようである。
……前言撤回、全然良心的でも何でもなかった。
さて、この一連の事態を見て、他の囚人らもイナリと同じような事を考え、ここで起きたことを話したら何が起こるか察したらしい。
こうなるといよいよ彼らが何か話すことは無くなってしまっただろうし、アルトが望んでいた「神を召喚しようとするな」という言葉を伝えて欲しいという本懐は叶わなくなったことだろう。
だが、イナリはこの状況に活路を見出した。兵士たちが慌てる様子を後目に、イナリは看守に向けて声を掛ける。
「のう、わかったであろ?」
「何がだ?」
「我らは、真実を告げることができぬ。真実を告げた者は最後、あのようになってしまうのじゃ」
イナリはできる限り真剣な表情を心がけながら告げた。
「……呪いの類か。確かに、それほどの術師が居るのであれば状況の説明ができなくもないな。しかし、そんな芸当が可能な存在など、そう多くは……いや待て。まさか!?」
看守は魔法陣を見て息を呑んだ。
「邪神が、召喚されてしまったのか……!」
「……うむ?」
「邪神だ、恐らくあの魔術師が召喚に成功したんだろう?それならば高度な呪いを瞬時にかけることも、音もなく術者を殺害し、逃走することも容易だ。なんて厄介なことになってしまったんだ……」
「ああ、まあ、そんな感じじゃな。うむ」
看守はそれらしい推理を展開しているが、超常的な現象を全て邪神の仕業で片づけるというあまりにも豪快な推理な上、邪神扱いしている者の正体はこの世界の創造神である。
色々な意味でツッコミどころ満載だが、訂正する理由もないのでイナリは適当に頷いておくことにした。それに悲しきかな、勘違いしてもらえばしてもらうほど、イナリにとっては都合が良いのだ。
「さて、もうよいであろ?疾く我を連れ出してくれたもれ」
イナリが再び看守の前に一歩踏み出すも、彼は無言でイナリを見下ろす。
「……何じゃ」
「随分と冷静だと思ってな。魔術師の死亡にも、邪神の出現にも一切動転しないその様子……周りの囚人達は皆恐怖していたのに、五八七二、君だけが冷静でいる」
「それは年の功と言う奴じゃ。お主らにはわからんようじゃが、我はお主らの何万倍も生きておるからの。多少のことでは動揺せんのじゃ」
「その割には食事が何だの、この仕打ちが何だのと文句を零していた気がするが」
「……それは我にとって重要なことじゃからの。もう一度言うが、多少のことでは動揺せんのじゃ」
イナリが自分に言い聞かせるように腕を組みながら返すも、看守は冷ややかな視線を向けてくる。
「五八七二。実は邪神の正体は、お前じゃないのか?」
「違うのじゃ、もしお主が我があの魔法陣により召喚されたことを根拠にそう考えておるのであれば完全な勘違いじゃぞ、あれは魔法陣の誤動作じゃ。あっ、それとあやつが我を怪物などと評したのも勘違いじゃ!恐らく我が邪神を見て動揺していないのを血が通っていない者だと誤解してそのように形容しただけじゃ。あるいは、我が魔術師に直接手にかけたと思うておるのか?ほれ見よ、我、返り血の一つも着いてないのじゃ!これぞ潔白の証ぞ!そも、我が邪神ならとうにこの場を去っておるし、こうして大人しくしているわけがあるまいて!どうじゃ、わかったかの!?」
「……はあ」
聞かれてもいないことをべらべらとまくし立てるイナリに、看守はため息をついた。
「五八七二が何もしていないというのはよく分かった。とりあえず落ち着くんだ」
「我は終始冷静じゃ」
「なら結構だが。じゃあ、もうここから連れ出す必要は無くなったから、牢に戻れ」
「んな!?そ、そんな……」
イナリは、躊躇なく己を牢へ誘導する看守を見て、耳と尻尾をへたりと下げて絶望した。ようやく見えてきた希望が一瞬にして潰えたような感覚であった。
「……悪いが、現場検証するまではどうすることもできないんだ。わかってくれ」
看守もその様子を不憫に思ったのか、かつて囚人だったものを布で包んで運び出す兵士達を一瞥しながらイナリに告げた。
その直後、この場に新たな人物が現れる。
「――失礼します」
「聖女様!?どうしてこのような場所へ?」
現れたのは聖女アリシアであった。看守は態度を改めて彼女に話しかける。
「この場所に我らが主神の力を感じたのです。心当たりはございませんか?」
アリシアの言葉は、看守ではなくイナリへ向けて告げられたようにも聞こえた。
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