第316話 傲慢な魔術師

「――ようやく起きたわね」


「……うむ?」


 目が覚めたイナリの目の前には、呆れたような声色と共に苦笑するアースの姿があった。


 結論から言うと、ここ数日で一番の快眠だった。いくら慣れたとは言っても、硬い床と創造神お手製の布団では、文字通り天と地の差があると言えよう。


「おはようイナリ。想像以上にぐっすりでびっくりしたわ。やっぱり、ここでの生活は堪えるわよね?」


「うむ。……ここを吹き飛ばす必要は無いのじゃ」


「まだ何も言ってないわよ?」


 おもむろに手を上げたアースをイナリは引き留めた。アースは不服そうな表情をしているが、イナリが何も言わなければ報復を提案してくるだろうことは容易に想像できる。


「まあいいわ。ところで貴方、持ち物はどうしたの?神器とか持ってたわよね?」


「あっ」


 アースの問いかけに、イナリは一言声を漏らした。


「まさかとは思うけど――」


「お、怒らないで聞いて欲しいのじゃが……没収されたのじゃ。多分、この建物のどこかにあるのじゃ」


 イナリが恐る恐る返すと、アースは特に表情を変えずにおもむろに頷いた。


「……まあ、想像できたからいいわ。丁度ここに来る前にそれっぽい場所も見つけたし、私が回収しておいてあげる」


「本当かや!取り戻せるかどうか不確かだったからのう、助かるのじゃ」


「いいのよ、神器を悪用されたら堪ったものじゃないもの」


 アースは布団を持ち上げ、汚れを叩き落としていく。


「悪用と言うと……人を殺めるとかかや?」


「人どころか神まで手が届くわよ。あとは、時空を切り裂いて他所の世界に侵略するとか。他にも触媒にすれば、いくらでもすごいことができるわね」


「そ、想像の遥か上だったのじゃ……」


「理論上可能と言うだけで、人間がその領域まで至った事例は千回に満たないくらいしかないけれど、一応気にすべき事ではあるのよ」


 千回というのが多いのかどうか何とも言えないところだが、ともあれ、神器はとてつもない可能性を秘めているのは確かなようである。


「何か、以前そのようなことを聞いたような気がしないでもないのじゃ。それにしてもアルトは、そんなものをいくつも人間に与えておるのかや……」


「如何にも苦肉の策って感じよね。どう収拾を着けるつもりなのかしらね?」


 アースは他人事のように告げながら、布団を亜空間へ放り込んだ。


「……あいや待つのじゃ。お主が我の物を回収してしまっては、人間らが怪しむに違いないのじゃ」


「ふふん。イナリ貴方、私を誰だと思っているのよ。創造神よ?」


 アースは手に白い立方体を浮かべると、それを伸縮させてあっという間にイナリの神器らしき何かを創り上げた。


「お、おおぉ、すごいのじゃ……!」


 イナリは尻尾を左右に振りながら目を輝かせた。その眼差しを浴びるアースは、得意げな表情を浮かべながら偽神器をドレスの間に仕舞う。


「さて、そういうわけだから、私はそろそろお暇するわ。通信用の指輪を渡そうかとも思ったのだけれど……怪しまれたくないみたいだし、やめておきましょ」


「うむ。また来てくれたもれ」


「次は外で会えることを祈っているわ。……ここを吹き飛ばしたくなったら、何時でもあの信者を経由して伝えなさい」


「……わかった、のじゃ?」


 イナリの歯切れの悪い返事を聞いたアースは、鉄格子をぽきりと折って牢屋から出ると、そっと鉄格子を元に戻してその場を後にした。創造神の力の無駄遣いもいいところだ。


「……あやつ、どうして我の物がある部屋を知っておるのじゃ?」


 そしてアースが居なくなったことで戻ってきた牢獄の喧騒を聞きながら、ふと浮かんだ疑問にイナリは首を傾げた。


 まさか迷子になっていたわけでもあるまいし、きっとイナリが寝ている間に千里眼でも使って、この牢獄を見てまわっていたのだろう。


 疑問が解決したところで、イナリは再び床に横になった。そしてほんの数秒で、ついさっきまで己を包んでいた布団が恋しくなった。




 ――それから、何日が経っただろうか。


 暦はおろか外も見えないこの監獄にいては、日付感覚が狂うのは避けられない。


 数少ない判断材料は、看守の挙動や食事の時期、監獄の消灯回数、エリスとの交信、悠久の時を生きたことにより狂いに狂った体内時計による推測ぐらいのものである。


「……」


 ここまで来ると、もはや取り立てて言及することも無い。ただ無心で向かい側にいる魔術師が魔法陣を描く様子を眺め、看守が魔法陣を取り除くのを眺め……その繰り返しである。


 微細な変化として、魔術師が魔法陣を描く技術が日に日に進化しているように見えるが、だから何だという話で、退屈な日々に変化を与えるようなものではない。


 今日もきっと何もない一日になるのだろう。イナリがぼうっとそんなことを考えていると、突如魔術師がまともな言葉を発し始める。


「――出来たぞ!これできっと……ああ、遂にこの時が!」


「……何じゃ?」


 この魔術師が奇妙な笑い声と文字起こしが不可能な言葉しか発さないと思っていただけに、イナリは思わず声を零した。


 しかし魔術師はそのことを気にも留めない。彼の声は誰に向けてのものでもないようだ。


「くくく、馬鹿どもが。魔術が使えないのなら聖魔法を使えばいいだけのこと。こんな簡単なこともわからないとは。いや、私の頭脳が優れているだけだったな。私が狂ったフリをしていることも見抜けないのだから!」


「……」


 イナリは突然はしゃぎ始めた魔術師に冷ややかな視線を向けた。看守から聞いた前評判よろしく、この魔術師はとても素敵な性格の持ち主らしい。恐らく、この周囲にいる囚人も同じような反応をしていることだろう。


 そんなことを考えていると、魔術師の血走った目がぎろりとイナリを睨む。


「……そこの貴様。何を見ている?」


「む?我か?」


「そうだ。その目、気に入らない」


「我もお主が気に入らないのじゃ」


 一体何が魔術師のお気に召さなかったのかは知らないが、お互い隔離されている身である以上、相手がこっちを害することができない事は間違いない。故にイナリは売られた喧嘩に真っ向から挑んだ。


「……まあいい。この魔法陣を動かせば、その間抜けな面を二度と拝まずに済む」


「本当に何なのじゃ?」


 イナリは怒りを通り越して困惑した。相手のペースがまるで掴めないのもそうだし、実質初対面のような関係なのに、どうしてここまで敵対的な態度を取られているのだろう。いや、これで友好的な態度を取られても気持ち悪いだけではあるのだが。


 そんなイナリのことは既に眼中から外れたようで、魔術師は自身の腕に傷をつけて出血させ、それをそのまま魔法陣の上に垂らす。


 すると突如、魔法陣が白金色の光を発し、薄暗い牢獄を照らし始める。


「ま、眩しっ、わ、我の目が……」


 イナリが目を押さえて蹲る傍ら、周辺の囚人がにわかに騒ぎ出し、異常を察知した看守も慌てて駆け付けてくる。


「おい、そこで何をしている!」


「こっちで緊急事態だ!」


「くくく、この魔法陣は、異界の神を召喚するものだ!これが発動したら最後、私をこんなところに閉じ込めた貴様らも、功績を蔑ろにしてのうのうと生きているあいつらも、全ておしまいだ!はーっはっは!」


「魔法は使えないんじゃなかったのか!?」


「おい、今すぐあの魔法陣の発動を止めるんだ!」


「もう手遅れだ!逃げろ!」


「おい、俺たちも出してくれ!」


 魔術師が勝利を確信したように叫ぶ中、辺りは一瞬にして混沌に包まれた。ここの囚人を救う余裕など無いのか、看守の多くは一目散にこの場から走り去っていく。


 その様子を見て、イナリも一歩遅れて危機感を抱き始めた。


「わ、我もこのままだと拙いのかのう?」


 果たしてどうしたらよいものかと一考していると、突如イナリと顔見知りの看守の一人が牢を開き、駆け寄ってくる。


「――五八七二!逃げるぞ!」


「な、何故じゃ?」


「大人の事情だ、後で話す!」


 看守が叫びながらイナリを背負い上げた直後、魔術師が再び声を上げる。


「逃げようと無駄だ、何故ならこの魔法陣は間もなく発動するからなあ!さあ、皆で終焉を見届けるとしようではないか!」


 直後、魔法陣の放つ光がさらに強くなり、全てを白い光で包み込んでいく。


「さあ出でよ、異界の神よ!」


 その声を最後に、監獄が全て白い光で満たされた。




 そして光が収まると、魔法陣の上に一人、異界の神が召喚された。


「……ええと、その……どうしたらよいかの?」


 魔法陣の上に立たされていたのは、金色にも見える小麦色の長い髪と狐耳、もふもふとした尻尾が特徴的な少女、イナリであった。

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