第315話 全てを解決する一つの方法 ※別視点あり
<アース視点>
サニーの様子を確認し終えたアースは、そのまま街の中央辺りにある要塞へと赴いていた。
目的は勿論、イナリの様子を見に行くためだ。
今のイナリの境遇は、指輪で連絡が取れないことを不審に思ったアースがイナリ信者を問いただすことで判明したという流れがある。曰く、イナリがアースに迷惑をかけたくない様子なので、伝えるか決めかねていたとのことだ。
これは恐らく、アースがこの世界で力を揮うことが難しいという話を踏まえてのことなのだろう。とはいえ、イナリの少し脱獄を手伝うくらいなら造作もないのだが。
ここ最近の諸々で心理的な距離が縮まったと思っていたが、こういったところで頼って貰えない辺り、やはり億年単位で放置していた影響は小さくないのかもしれない。
「全く、イナリも何をやっているんだか」
アースはため息を零しながら堂々と要塞の中を歩いていた。アースの風貌は普通の人間とは一線を画した高貴なものなので、耳や尻尾を消して堂々と歩いていれば、どこかの貴族かと勝手に兵士が勘違いしてくれる。
「そこのお嬢様。一体ここで何をしていらっしゃるのですか?」
ただ、それでも話しかけてくる者は居る。そういう時は相応の対応をすればいいだけだ。
「ごめんなさい。私のお父様がここで働いていると聞いて、こっそり来てしまったの」
「それはそれは。もしお父様のお名前を教えて頂ければご案内しましょう」
「えっ?ええと、それは大丈夫よ。気持ちだけ頂いておくわ、ありがとう」
アースが愛想笑いを浮かべて兵士を避けようと一歩横にずれると、それを兵士が阻む。
「おおっと、お待ちください。何かあってはいけませんので、先に来訪者記録を残しに行きましょう。事務室はあちらに――」
「ごめんなさい、悪いけど、付き合ってられないわ」
アースが目の前にいた兵士の足元に亜空間へつながる穴を生成すると、兵士は悲鳴を上げる間もなくその場から姿を消した。何だかんだで、結局これが一番手っ取り早い。
ただ、誤解されないように断っておくが、先ほどの不幸な兵士のような者達のためにそこそこ快適な空間を用意してあるので、発狂したりすることは無いはずだ。……開放するのを忘れなければ。
「さて、目撃者も無し、と。ええと、牢獄エリアはどっちだったかしら」
壁を全部破壊することが許されたら楽なのになあ、などと考えながら、アースは要塞のあちこちに掲示されている案内板を見て行き先を確かめ、再び歩き始めた。
<イナリ視点>
「――俺をこんな場所に連れてきやがって!テメエら全員ぶっ殺してやるからな!!」
「うるさい!静かにしていろ!」
「……今日も賑やかじゃなあ」
石畳の上でイナリはしみじみと呟いた。
今のイナリは窮屈な牢屋での生活にそこそこ順応してしまった結果、こうして時折他所から聞こえる怒声や奇声、それを制止する看守の声も、少し煩い鳥の囀りを聞くくらいの心持ちで聞いていることができるようになってしまった。
あるいは、牢屋の隅に生えている苔を愛でる余裕すらできた。今日もいい感じの茂り具合だ。
イナリがここまで悠々としていられるのは、偏に寛容さによる賜物……と言いたいところだが、それ以外にも要因はある。
実は、以前アリシアと面会してからというもの、若干イナリの待遇が改善されたのだ。といっても大したことでは無くて、せいぜい看守の接し方が柔らかくなったとか、食事が温かくてまともな味のあるものになった程度で、要するに人並みの待遇に格上げしただけであるが。
きっと普段のイナリならば、それに対して「もっと神として敬うのじゃ」などと文句を垂れていただろうが、イナリは散々この環境に辟易した後なのだ。余計なことを言って顰蹙を買い、待遇が逆戻りになるなど御免なので、神としての矜持は一旦胸の奥底にしまって、今の状況に甘んじている次第である。
そんな風に利口に振舞っていた甲斐もあってか、たまに看守側から雑談を振ってくることもある。例えば、今日の外の天気はどうだとか、ご飯の献立は何だとか、情報量が薄い、二、三言でやりとりが終わるような取り留めのない話だ。
今日も今日とて、イナリの牢屋の前に来た看守が声を掛けてくる。
「五八七二。今日は鶏のミルク煮だ」
「みるくに?」
「牛乳で煮込んだものだ」
「なるほどのう」
イナリのカタカナ語の語彙が乏しいのはいつものことなので、看守は顔色一つ変えずにイナリに返し、イナリの向かい側の囚人に目を向けた。
「……全く、またこいつはこんなことを。いつになったら無駄だと分かるんだ?」
看守が文句を零しているのは、床に彫っている傷に対してのものだろう。
「そやつは何を描いておるのじゃ?ここからだとよく見えんのじゃ」
「俺でもわかるほどの滅茶苦茶な魔法陣さ。ここじゃ動作しないってのに、ご苦労なことだ」
看守はそう言いながら近くから箒らしきものを取り、向かい側の囚人が必死に築き上げてきた魔法陣を掻き消した。
何の躊躇いも無く行われる残虐な行為に囚人を些か不憫に思わないことも無いが、看守が床の魔法陣を消し終わると、囚人はまたによによと気持ち悪い笑みを浮かべながら床を擦り始めている。
「何なんじゃこやつ……」
「アルテミアにいた魔術師らしい。まだこいつがプライドの塊みたいな奴だったころに聞いた」
「ほーん……というか、随分素直に教えてくれるのじゃな」
「どうせ他の囚人に聞けばわかることだ。それに、それを聞こうとした五八七二までおかしくなっちまったら目も当てられない」
「どうあがいても我があんな風になる未来など無いと思うのじゃが……」
「誰だって最初はそう思っているさ」
看守はそう言ってイナリの前から姿を消した。もしや看守から話しかけられるようになったのは、イナリが精神的におかしくならないようにするための措置なのだろうか。そこまで気を遣うぐらいなら、疾くここから解放してくれないだろうか。
イナリは脱力したようにため息をつくと、床の毛布を被って横になった。
異変が起こったのはその日の夜。監獄が消灯され、皆が寝静まった後のことである。
鉄格子がある側に背を向けて眠っていたイナリは、後方から鉄が砕ける様な音を聞き、何かが起こっている事を察知して目が覚めた。
というのも、普段ならば昼夜問わず、一時間に一回は誰かが問題を起こしているような監獄が、先ほどの鉄が砕ける音以外何も聞こえないほどの静寂に包まれているのだ。これを異常事態と言わずしてなんと呼ぼうか。……あるいは、普段の方が異常なのかもしれないが。
イナリが恐る恐る寝返って見ると、そこには、眠っていたイナリを起こそうと手を伸ばしていた黒髪の少女、アースの姿があった。イナリと目が合った彼女は、僅かに目を丸くしてから呟く。
「おはようイナリ。貴方、寝ている時は起きないんじゃなかったの?」
「……それが誰による情報なのかは聞かないでおくがの、いくら慣れたとて、こんな場所で快眠ができるわけがあるまいて」
「それはそうね」
アースは周囲を一瞥して返すと、手に持っていたかつて鉄格子の一部だったものを床に投げ捨て、手をぱちりと叩いて笑顔で告げる。
「まあいいわ。なら、こんな辛気臭い場所、さっさと脱出しましょ?」
「残念じゃがそれはできぬ。我はここに居らねばならんのじゃ」
イナリがおもむろに首を振れば、アースの表情が僅かに険しくなる。
「どうして?私、貴方の信者から貴方がここに居るって聞いたから来たのよ?」
「ここでお主とここを出てしまっては、他の皆と共に居られなくなってしまうであろ?」
「それなら天界のあの部屋を使ったらいいじゃない」
「うーむ、そういう事ではないのじゃよなあ……」
イナリが腕を組んで唸ると、一考したアースが指を鳴らして声を上げる。
「あっ、わかったわ!脱走犯になるのが嫌ってことね!」
「うむ、簡単に言えばそういう事じゃな」
「じゃあ、ここ一帯を消し飛ばせば解決ね!貴方をこんな風にした連中への復讐にもなって一石二鳥よね!」
「待つのじゃ。早まるでないのじゃ」
力業が過ぎる、とんでもない解決策を提示するアースをイナリは全力で引き留めた。アースと言いアルトと言い、創造神は誰も彼も極端な者しかいないのだろうか?
そんなことを思いつつ、イナリは己がここに留まっている理由を丁寧にアースへ伝えた。
「――と、いうわけじゃ」
「ふーん、大体意図は理解したけれど……イナリも随分人間に染まったのねえ。昔はもっとこう……植物のこと以外何も考えてなかったわよ、貴方。覚えてる?」
「……全く記憶にないのじゃ」
「まあ、まだまともな大陸すらできてなかったころの話だし、そんなものよね……」
姉妹として振舞っているせいで忘れがちだが、イナリはアースの神の力を基に生まれた、いわばアースの子なのである。今のイナリの心境は、全く身に覚えのない己の幼少期の話を親から聞かされた時の感覚であった。
「というか、こんな話をしている場合ではないのじゃ!看守が来る前に、その鉄格子を直して、お主も立ち去るべきじゃ!」
「そこはちゃんと偽装してあるわ、気にしなくても大丈夫よ」
「何でその辺の配慮はできるのに、我を脱走犯にしようとしたり、ここを消し飛ばそうとか言い出したりするのじゃ……?」
イナリは心の底からの疑問を零しながら、ずれ落ちた毛布を体にかけ直した。アースはそっぽを向いて強引に話を進める。
「私はそろそろ帰るけど……本当に、何もしなくていいのね?」
「うむ。……ああいや、折角じゃ。今日だけ共に寝てくれぬか?遮音されている今なら、久方ぶりに安眠できる気がするのじゃ」
「……ここで?」
「ここでじゃ」
「……仕方ないわね」
アースは渋々と言った様子で亜空間から綺麗な布団を取り出して床に敷いた。
「ほら、そんなところじゃなくて、貴方もこっちで寝なさいな」
「うむ」
イナリは毛布を放って布団に潜り込んだ。それに続いてアースも隣につく。
「全く、どうせならもっと清潔な場所がよかったわ。苔とか生えてるし……」
「その苔、我が育てたやつなのじゃ」
「えっ?あー……いい苔ね。その、他と比べて一線を画していて……良いと思うわ」
「……」
アースのどこか既視感のある言葉に、イナリはじっとりとした目を向けながら尻尾をぶつけて返した。
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